「プロの役者であるか否か」や「役者としての経験値」ともうひとつ、奥田瑛二と池上季実子はそれらにプラスして、誰の目で見ても、文句なしに見栄えがいいことが挙げられます。

 とくに池上季実子の美しさはすごい。こういっては何だけど、今の目で見ると相当ダサい髪型とファッションなんですよ。なのにそれを押しのけるくらい、本当に美しい。
 というか、「男女7人夏物語」というドラマは池上季実子の美しさがないと成立しないんです。池上季実子扮する千明が文句なしの美人でないと物語の説得力がまるでなくなってしまう。
 ひとりの女優として考えるなら、ちょうどこのドラマの頃の池上季実子は全盛期をやや過ぎたくらいの時期で、全盛期でも二番手や主人公の相手役(それもコメディ)が多く、そこまで目立った存在ではなかった。男性人気が際立って高かった、という記憶もありません。
 しかし、これも今の目でからになってしまうけど、当時の同年代の女優と比べても美人度は抜きん出ている気がするし、もっと上手く活かせた女優だったんじゃないかと思ってしまう。
 「男女7人夏物語」は池上季実子のキャリアの中でも上位ランクで上手く活かせている作品だと思う。順列的には二番手だけど、ドラマ自体が大ヒットしたこともあって代表作といっても過言ではないはずです。

 その点でも「秋物語」は劣る。
 単に顔立ちだけでなく、振る舞いすべてがカッコ良かった奥田瑛二が女性視聴者の憧れになれても、存在自体が笑えないギャグでしかない山下真司では担えないし(事実、視聴者から山下真司への評判は最悪だったらしい)、池上季実子にかんしても、非常に申し訳ないけど岩崎宏美では相手にならないのは当然として、手塚理美でも池上季実子と比べたら落ちる。手塚理美は非常に色っぽいのですが、今の目では顔立ちの垢抜けなさに目がいってしまう。
 映画にしろテレビドラマにしろ、美男美女の美しさやカッコよさを楽しむのが許されているというか、「フィクションの見方」として確立されています。
 そういうことが出来るのが「夏物語」であり、出来ないのが「秋物語」といえる。というかそうなってしまっている。

 あと一点、展開的に難しいのはわかるのですが、「男女7人秋物語」と銘打ちながら、メインの7人が一堂に会する場面が最終回の一度きりだったことは、タイトルの否定ではないかね。
 最終回とて全員が同時には映らないし、どうしようもないくらい重い場面だったので「初めて全員揃った!」みたいな感慨もまるでなかった。(たぶん大半の視聴者は「高木、アホか!」としか思わなかったはず)
 何かっつっと7人が集まり、すったもんだがあった挙句にもかかわらず、最終回でも全員集まって明るく終わった「夏物語」とはその辺のテイストも違いすぎる。
 明るい雰囲気の中で、となると船上のシーンでも手塚理美抜き(代わりに麻生祐未がいる)で揃うんだけど、これもほんの一瞬です。結局7人が揃ったのは最終回と放送前の予告、あとは「男女7人秋物語 評判編」というドラマ終了後に制作されたバラエティ番組だけだった。
 ただ、大抵のシーンの撮影には全員揃っていたと言われており、「評判編」では本編でほとんど絡みのなかった大竹しのぶと岩崎宏美、手塚理美、岡安由美子の仲睦まじい様子が映っていましたが、仮にも「男女『7人』秋物語」と謳うのであれば、強引にでも、何度かは全員が揃うシーンを入れるべきだったと思う。

 さて、いよいよ「夏物語」の核心へ及びたいのですが、その前に「秋物語」から最後にもうひとつだけ。
 主題歌の「SHOW ME」についてなんですが、たしかにこの曲がかかると盛り上がるのは盛り上がるんです。一時期は「SHOW ME」のイントロ(♪ ジャンジャガジャガジャジャ~!)と口三味線でやるだけでギャグになったくらいだし。
 しかし「いや、そこまで盛り上げる場面じゃないだろ」みたいなラストでこの曲が始まると、不自然なほどにドラマチックになってしまうんです。何というか、曲自体(というかイントロ)が大仰すぎる、というか。
 「夏物語」の時の「CHA-CHA-CHA」は物語を盛り上げる効果は薄かったけど、不必要に劇的にすることもなく、軽妙な作風にもマッチしていた。
 ところが「SHOW ME」は大仰すぎて、意味ありげすぎるのです。やたら意味ありげにしてしまうと、ただでさえ重い空気が流れるドラマが一層重くなってしまった、というか。

 さあ、ここからいよいよ「夏物語」について、です。ですけど「ぜんぜん「夏物語」の話になってないじゃん!」てな気分になると思うけど、大丈夫です。そのうちつながります。そのうちって。

 さて、ギャグを劇中に挿入する、これは実は極めて難しいことなんですよ。
 たとえコメディであっても「さあ笑え」的なことが行われると物語の流れは止まる。それだけでも具合が悪いことが多いのに、肝心のギャグがスベりでもすれば前後のシーンを巻き添えにした挙句、死んでしまう。
 それでもひとつふたつなら、やむを得ないのかもしれないけど、多量のギャグを挿入するとなると死んだシーンが多くなりすぎる危険性をはらんでいるということになるわけで、仮にそうにでもなれば作品全部が死ぬことになってしまう。

 しかも危険を承知の上で挿入したギャグも、コメディアンや芸人ではない役者がやれば「爆笑」までいくことは滅多にない。ネタがいくら良くても爆笑レベルに押し上げられるのは、石立鉄男、西田敏行、大泉洋などのコメディアン要素の強い俳優だけでしょう。
 成功したとしても微苦笑で終わる、しかも失敗した時のリスクが大きいのであれば、最初からギャグなんか挿入しなければ良い。もし笑いが必要だったとしても流れを止めてしまうギャグではなく、ほんのりとしたユーモアで十分です。
 いわば安全策です。保守的といっていいのかもしれない。が、安全策であろうが保守的であろうが、ギャグではなくユーモアの方向に流れたとしても、制作側を責めるわけにはいかない。極めて可能性が低いことに賭けろ、普通の役者がやっても爆笑が取れるような超ハイレベルなギャグを考えろ、など受取手側のエゴでしかないのだから。

 もしギャグという形で大々的に笑いを挿入したいのであればコメディアンや芸人を主演に起用するしかないんだけど、実は「男女7人夏物語」まで、コメディアンや芸人が主演のロマンチックコメディドラマはほとんどなかったんです。
 なるほど、テレビ黎明期からエノケンこと榎本健一や古川ロッパ主演のドラマが作られているし、植木等や渥美清主演のドラマもずいぶん作られた。(「男はつらいよ」だって元はテレビドラマです)
 しかしこれらはロマンチックコメディではない。いや、もうこれは今の感覚では信じられないかもしれないけど、そもそもロマンチックコメディのテレビドラマなんて、1970年代より前は皆無に近いレベルで作られていないんです。もっといえば独身男女の恋愛ドラマ自体が非常に少ない。恋愛が主題であったとしても「訳あり」の男女のドロドロとした展開のものばかりだったんだから。

 ようやく1980年代に入ると、若い独身男女の恋愛模様を描くドラマが作られはじめます。
 「想い出づくり。」あたりが嚆矢とり、桜田淳子が主演した「25才たち・危うい予感」などは複数男女の恋愛という意味において「男女7人夏物語」の原型となったといえる作品も作られだしている。
 ではコメディアン・芸人主演の、恋愛要素のあるドラマはというと、他ならぬ明石家さんまが「心はロンリー気持ちは「…」」を「男女7人夏物語」の2年も前に始めています。
 ただし「心はロンリー気持ちは「…」」は純粋ドラマではなく、ドラマとしての展開はあくまで刺身のつまで、本筋とは一切関係ないギャグを楽しむための番組だった。つまりドラマというよりバラエティに近いといった方がいいでしょう。

 こうやって見れば「男女7人夏物語」が作られた背景がわかると思います。
 「心はロンリー気持ちは「…」」の明石家さんまを主役に、「25才たち・危うい予感」のような複数男女の恋愛を描く。
 せっかく明石家さんまが主演なのだからギャグは挿入するが、「心はロンリー気持ちは「…」」のような感じではなく、「女はそれを我慢できない」の如く、あくまで本筋に沿った形のギャグを入れる。
 ギャグ盛りだくさんのロマンチックコメディとなれば良い副作用も発生する。
 今の目で見れば「男女7人夏物語」は恐ろしくダサい世界というかダサい時代背景ですが、それは逆にいえば積極的に時代の最先端を取り込んでいるからで、やりすぎ、と思えるほどオシャレに徹している。
 普通ここまでやるとクサ味だったり嫌味になるものなんですが、そこはギャグで中和させる、という作戦です。
 今でこそ「男女7人夏物語」はトレンディドラマの元祖などと言われるけど、実に巧みな両面作戦を敷いているんです。このドラマでトレンディが浮いていないのは、明石家さんまという、いわば部外者の<力業>があればこそです。

 しかしそうなると別の問題も出てきます。
 本筋に沿った本格的なギャグを明石家さんまだけでこなすのは無理で、いくらさんまといえども相手がいないとどうしようもない。
 そこで、だと思う。コメディセンスに長けた大竹しのぶ、「オレたちひょうきん族」でさんまと共演していた片岡鶴太郎の起用に至った理由は。
 「さんまと大竹しのぶ」「さんまと鶴太郎」のシーンはコントスレスレであり、大竹しのぶとのシーンでいえばコインランドリーや食堂での丁々発止のやりとり、鶴太郎でいえばさんまが足で鶴太郎の背中をさすったり、鶴太郎にアツアツおでんを食べさせるという「ひょうきん族」でお馴染みだったギャグまで挿入されている。
 これらは「コメディに挿入されたギャグ」としても非常にレベルが高く、「微苦笑」ではなく十分「爆笑」できるレベルで、しかもすごいのは本筋の流れをほとんど止めていないことです。
 これはロマンチックコメディの本場であるハリウッド映画でも成功しているものは極めて少ない。
 もうそれだけで「男女7人夏物語」が歴史に残る傑作というのをわかってもらえるのではないかと思いますが、もちろん欠点がないわけではない。

 一番の問題は美和子(小川みどり)の立ち位置です。
 美和子は合コンで知り合った男3人組とほとんど絡むことはなく、最後は見合いをして結婚してしまう。途中貞九郎と伏線とも思えるシーンがないわけではなかったけど、まったく発展せずに終わっている。
 別に「美和子も男3人と絡ませるべきだった」と言っているのではありません。ある種の傍観者も使いようによっては有意義な存在となるのは理解できるんです。
 小川みどりを起用に至った理由は、彼女の本職であるリポーター的な、「オンナのホンネ」的な毒舌で場を和ませつつ、男性陣と女性陣との接着剤の役割を期待してのことだったのだろうと思う。もちろんズブの素人の小川みどりにマジな恋愛シーンを演じさせるのは難しいという判断もあったのだろうけど。
 しかし恋愛が主軸のドラマでこのポジションはあまりにも難しいんです。

 序盤はまだいい。事実序盤は上手く機能していたと思う。しかし恋愛というのは「当人同士でないとわからないことが多すぎる」んですよ。そうなるとまるで恋愛に絡んでいない美和子が首を突っ込めるところが少なくなりすぎる。
 結果として「◯◯と良い感じ」みたいなことを当人から聞くだけになり、それを聞いて羨ましがるだけのキャラクターに落ち着いてしまった。
 恋愛に絡まないのであれば、最悪「異様に他人の恋愛に興味を持ち、やたら首を突っ込みたがる」みたいなキャラクターにすれば良かったのかもしれないけど、そうなると今度は全体のバランスが崩れてしまう。
 「男女7人夏物語」はメインの7人以外、ほとんど登場人物が出てこないので、傍観者的存在が必要だったのもわからないではないけど、正直上手く活かせたとは言い難い。
 ま、かといって「7」という奇数に意味があるのだろうから「男女6人夏物語」にした方が良かったともいえないけどさ。
 しかし美和子の扱い以外は完璧といっても差し支えない。
 特段複雑な展開や設定でもないのに、登場人物それぞれにキチンとした人生、そして背負った十字架があり、まるでパズルのように組み合わさっている。
 ここまで完璧なシナリオのテレビドラマは珍しく、ストーリーだけでなく、ギャグやトレンディさがまったく浮いてないのもすごい。

 そしてもうひとつ、あくまで「男女7人夏物語」に限った話で「秋物語」の方には当てはまらないんだけど、実はロケーション関係も何のツッコミどころもないんです。
 「夏物語」が非常にユニークなのは主人公(良介=明石家さんま)とヒロイン(桃子=大竹しのぶ)の居住地が<だいたい>ではなく正確な住所がわかるレベルで劇中に登場することです。
 「夏物語」において象徴的なロケーションと言えば隅田川にかかる清洲橋です。隅田川の西側に良介が、東側に桃子が住んでいるという設定になってるんだけど、これがね、粗探しが出来ないほど完璧なのです。
 桃子は良介の住むマンションの側を通らなきゃ駅に行けない。駅というのは地下鉄の人形町駅です。(ま、隣接する水天宮前駅かもしれないけど、「夏物語」初回に人形町駅が出てきたから人形町駅ということにしておく)
 え?ちょっと待てって?桃子が住んでるのって清澄でしょ?だったらわざわざ人形町駅に行かなくても清澄白河駅から地下鉄に乗ればいいんじゃないかって?
 残念。それは無理です。何故なら清澄白河に駅が出来たのは2000年。つまりドラマの放送当時(1986年)には清澄白河駅はなかったのです。

 となると森下駅か浜町駅、もしくは人形町駅、水天宮前駅しかない。距離的にはやや浜町駅が近いのですが、森下駅と浜町駅は都営新宿線なのが問題です。
 桃子はフリーライターという設定なので通勤場所が決まっているわけじゃないけど、乗り換えを考えるとわりと不便です。(営団地下鉄と都営地下鉄の乗り換えは料金が高くなるし)
 そう考えると、人形町駅をメインに使う(もちろん隣接する水天宮前駅も使っていただろうけど)のが自然っつーか。
 ま、浜町駅であろうが人形町駅であろうが水天宮前駅であろうが、清洲橋を渡らなきゃいけない(=良介のマンションの前を横切る)わけでね。

 劇中、清洲橋は当然として、浜町公園(岸辺)も登場するし、第1話では甘酒横丁も登場する。なのに桃子が住む側にある清澄公園・庭園などが出てこないのですが、これも理由があって、桃子の住むマンションは清洲橋通りの北側にあるんです。だから清澄公園のある南側は生活圏外になるわけです。
 一方、隅田川の支流の小名木川にかかる萬年橋は何度も登場する。萬年橋と桃子のマンションは目と鼻の先なので、これも当然ですね。
 ふたりがよく遭遇するコインランドリーや食堂はセットなので正確な場所は設定されていないはずだけど、清澄白河側の清洲橋通りの北側、と考えるのが自然でしょう。
 実際アタシも、人形町近辺に住んでる時はその辺りのコインランドリーに何度か行ったことがあるので、たぶんそこをモデルにしたのではないかと。

 さて、何故桃子が清澄に住んでいたかの理由づけは出来ませんが(おそらくフリーライターで収入が不安定=隅田川より東は家賃が安くなる、くらい理由だろうね)、良介があの付近に住んでいたことは明確な理由があります。
 というのも良介の職業がツアーコンダクターだからです。この辺りはね、海外へ頻繁に行く人が住むには非常に便利なのですよ。そう、T-CATがあるから。(T-CAT=東京シテイエアターミナルの説明は面倒だから各々検索してね。ま、簡単にいうと、ここから出国・入国手続きが出来て、バスで成田に直行できるのです)
 良介のマンションからT-CATは徒歩5分もかからないので、この物件を選んだのは自然で、実際良介がT-CATを利用する場面が何度か出てきます。劇中ではT-CATではなく「箱崎」と言っているけど。
(実際はおそらく、まず清洲橋付近、というロケ場所が先に決められ、T-CATが近い→ならば主人公のの職業はツアーコンダクターだ、となったのでしょうが)

 とまあ、ロケーションに関しても完璧だった「夏物語」ですが、残念ながら「秋物語」では設定とは違う場所でロケが行われていたり、隅田川や清洲橋のような重みのある<象徴>と言える場所が登場しなかった。
 ま、そこだけ取り出しても、「秋物語」が「夏物語」に勝てる道理がないというか。

 はっきりいえば「男女7人夏物語」は完璧すぎるんですよ。ロケーションはもちろん、脚本の鎌田敏夫も、演出の生野慈朗と清弘誠も、主演の明石家さんまも、それ以外の6人も、すべてが完璧に組み合わさって出来たドラマなのです。
 これを超えるのは至難の業で、同じスタッフ、同じ明石家さんま主演の続編といえども、易々と超えられるものではないのは当然なんです。
 とにかく「男女7人夏物語」はレベルが高すぎる。もしかしたら全スタッフ、全キャストにとって一世一代の作品なのかもしれない。
 そう考えれば「秋物語」が失敗に終わったのも、やむを得ないのかもしれないな、と。






終盤のロケ地の話はもともと番外編として書いたもので、その代わり「もしアタシが「男女7人秋物語」を作り直すなら」みたいな駄文をカットしました。
別に間違ったことを書いたとは思ってないけど、何だか今さらそういうことを言い出すのはね。


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