非常にざっくりした分類で申し訳ないのですが、アタシはコメディアン・芸人には4種類のタイプがいると思うんです。

 ひとつは天才型、なのですが、実際天才型なんて非常に少ない。
 ダウンタウンの松本を天才と言いますが、アタシは職人型だと思ってます。まるで刀鍛冶のように笑いに向かっているという意味で。
 職人型と言えば横山やすしや志村けんやビートたけしなんかもそうですね。あと萩本欽一もここに入ると思う。
 相方の浜田は名人型でしょう。名人型というのは年齢はあまり関係なく、努力と才能を持ち合わせている人なら、たとえ新人でも名人型の人はいると思うのです。
 名人型の特色として、どんなシチュエーションでも力が発揮出来るというのがある。この辺がある程度環境を用意しないと力が発揮出来ない職人型との差であり、職人型と名人型を組み合わせることで、かなり強力なコンビになるのです。
 天才型とまではいいませんが、天性のおかしさを身につけているような人がいます。舞台にでてきただけで自然な笑いがおこるような人で、アタシはフラ型と呼んでいます。ま、代表例としては所ジョージや関根勤、そして大泉洋あたりになるのかね。

 さて、ここまでは2005年1月に書いたことです。ま、相当割愛・補足した形ではありますが。
 アタシはこの時点で天才型の例として明石家さんまを挙げている。たしかにさんまは天性の才能でやっている感が強いのですが、実はこの人は天才型じゃないと思う。つまりアタシの考えが変わった。
 強いて言えば、明石家さんまは職人型に分類される。いやビートたけしと同型と言われると違和感はあるかもしれないけど、職人型にはさらにタイプを分けることが出来るのです。

・求道タイプ 松本人志、志村けん、萩本欽一
・分析研究タイプ 古川緑波、フランキー堺、ビートたけし、爆笑問題太田、上岡龍太郎、立川談志、島田紳助
・計算タイプ 明石家さんま、横山やすし

 計算タイプ、なんて言葉は悪いけど、表面上は天性でやっていると思わせながら、その実はかなり細かい計算の上で動いている、と言えばいいか。
 横山やすしはかなり複雑な家庭環境で育った影響で、少なくとも晩年を除いては人間関係を含めて細かく計算して動いていたのは知られていると思いますが、明石家さんまも間違いなくこのタイプです。
 横山やすしと明石家さんまに共通して言えるのは他人からは計り知れない<闇>を抱えていることで、とくに両者とも師匠選びの上手さはちょっと真似手がないレベルです。


 もうひとつ。両者とも<哀しみ>を絶対に人に見せない。横山やすしは森の石松を気取って強がることで、明石家さんまはいつでもどんな時でも明るく楽しい<さんまちゃん>を演じることで<闇>を隠す。そうした姿は徹底していました。
 もちろん隠し通すことが出来たのは、後天的に身に着けたテクニックがあればこそです。本来の自分とはまったく違う「芸の上でのキャラクター」を編み出し、演じきれるだけのテクニックを身に着けた。
 となると、やはり天性の才能を持つ=天才型とは違うんじゃないかと。

 では本当に天才型と言える人は、ですが、簡単に言えば「最初から出来た」人たちと言えばいいのか、つまり「別にコメディアンや芸人を目指していたわけでもなんでもないのに、<笑い>を取りにいかせたら、テクニックがあるわけではないのに最初から空気を一変させるほど面白かった」みたいな人です。
 この「空気を一変させるほど」というのが難しい。そこまではいかないけど最初から面白い、というのはフラ型で、フラ型の超スケール版が天才型なんじゃないかと。
 この条件に当てはまる人はふたりしか思い当たらない。植木等と加藤茶です。
 植木等のことは散々書いたので割愛しますが、仲本工事や高木ブーといったドリフターズの仲間や「8時だョ!全員集合」のプロデューサーの居作昌果は「加藤は天才、志村は秀才(奇才)」と言う。志村けんの方が天才扱いされることが多かったのは事実ですが、身近で見ている人ほど「本当の天才は加藤茶である」と認めていたと。

 加藤茶は特別コメディアンとしての資質に恵まれていたわけではないと思う。
 とくにコメディアンの必須能力のように言われた身体能力は並であり(と言うと語弊があるけど<トップクラスのコメディアンとしては>並、という意味です)、同じグループでも仲本工事よりもはるかに劣る。また身体能力に限らず、キャリアを重ねてからもテクニックの抽斗がズバ抜けて多い方でもなかった。
 しかし加藤茶にはとんでもない武器があった。それは「おそらく歴代の全コメディアン、全芸人の中でもナンバーワン」とさえ思われるリズム感の良さです。
 ここまでコンマゼロゼロ何秒で<間>を操れるコメディアンは加藤茶しかいない。しかも、思わず笑ってしまう<間>を、もう、最初の時点でいきなり身に着けていたとおぼしい。

 加藤茶の能力が如実に発揮された最たる例が「8時だョ!全員集合」の番組史上最大の事故だった停電騒動の時です。


 高木ブーと仲本工事はいつも通りですが(ま、真っ暗だから「いつも通り」かどうかもわかんないんだけど)、ちょっと面白いのが志村けんの動きです。
 時期的には前半コントのイニシアチブは志村けんが握っていた頃で、おそらくこの回のネタも志村けん主導で作られたはずなんです。
 だからか、一応はボケようとはしてるんだけど、おそらく頭の中は前半コントのことでいっぱいのはずで、きっと「何分後に再開出来るのか、前半コントに何分使えるか、ギャグの優先順位は」みたいな感じで思案に必死だったと思う。
 いかりや長介はすでに前半コントの主導権を握ってなかったこと、そしてリーダーとしての自覚から、志村けんとは違う<必死>の状態というか、少なくとも余裕なんかゼロだったと思う。
 それに引き換え、いやもう「それに引き換え」としか言いようがないんだけど、加藤茶の余裕というか、緊張感の<キ>の字も感じないのが可笑しい。

 ココにも書いたのですが、ドリフターズ以前のコメディアンやヴォードヴィリアン(芸人)の大半はフリートークが苦手だった。ひと言ふた言のアドリブには対応出来ても「完全なフリートークで数分間つなぐ」なんて求められてなかったこともあって能力は低かった。
 ドリフターズ自体も、基本的には全員フリートークは苦手で、たぶん比較的マシだったのはいかりや長介だけだったはずです。
 つまりね、加藤茶も本来、フリートークは苦手なんですよ。さすがに1990年代以降はフリートークを求められることが多くなってきてだんだん対応出来るようになってはきたんだけど、ま、いわば、かなり後天的に身に着けた能力と言ってもいい。

 ってちょっと待てよ。じゃあ停電事故の時の「あの態度」は何なんだ、と思われるかもしれませんが、これがまた、加藤茶の加藤茶たる所以で「楽しさが勝った状態」というか、得手不得手を超えたメンタルになってるというか。
 例えば台風の時や地震の時など、緊急事態が訪れた時、異様に興奮状態になる人がいます。テンパってるとは違う、何というか、周りから見たら「嬉々としてる」ようにしか見えない。とにかくこの状況が楽しくってしかたがない、みたいな。
 案外こういう人は、危機的状況の時には役に立つもので、緊張感に包まれた中にこういう人がひとりいれば妙に空気が和らぐ。テンパってた人も落ち着きを取り戻して冷静な対応が出来るようになったりする。
 停電事件の時の加藤茶はまさにそうした役割を担っており、何より素晴らしいのが、リーダーである、というか仕切り役であるいかりや長介がそうした加藤茶の特性を理解していた、ということなんです。

 あの状況で、テンパったいかりや長介の女房役になれるのは加藤茶しかいない。それをわかってるから加藤茶に話を振る。
 案の定加藤茶は緊張感も何もなく、ただ嬉々としながら「TBS社員の首が飛ぶ」というような不謹慎なことも<無邪気>に喋りまくる。(その後「しばらくお待ち下さい」の画面に切り替わるのはわざとなのかどうなのか)
 「謎多き荒井注」にも書いたのですが、加藤茶は見事なガキンチョキャラを演じた人だけど、この人の場合、演じたというよりは<素>がガキンチョのまま、無邪気に、何の悪気もない、ガキンチョの感覚のまんまでいられる。そしてそれが愛嬌になり、暴言が暴言にならない。で、そうしたことを、計算されてないのに完璧な<笑い>の<間>で発するんだから、これはもう天才でしかないんです。

 さて、コメディアン(喜劇人)、ヴォードビリアン(芸人)の中には「頭デッカチ」な人が結構います。
 発想としたらメチャクチャ面白いし、ちゃんと笑える構成に仕立て上げてるにもかかわらず、実際に演じてみるとギャグのレベルに比して<笑い>の量が少ない、というようなタイプです。
 もちろん単純にテクニック不足の人も多いんだけど、テクニックも十二分にあるし、キャリアも積んでるのに、何故か「思ったよりもウケない」人がもいたりなんかする。
 実際にアタシが見たわけではないのですが、「和っちゃん先生」という愛称で親しまれた泉和助はこのタイプだったようで、本人がやるとあまりウケないのにギャグを授けた若手がやるとメチャクチャにウケる、という人だったらしい。
 だから仲間内では「すごい人、<笑い>の先生」とまで思われていたのに、当人はついぞ売れることなくこの世を去っているわけで。

 それで言えば加藤茶は真逆のタイプなんですよ。
 幼児が喜びそうな「うんこ」と「ちんちん」を続けて言う、なんてギャグのクオリティとしては間違っても高いなんて言えない。他も「どーもすんずれいすますた」とか「加トちゃんペッ!」とか、この程度は素人でも容易に思いつくレベルです。
 なのに加藤茶が発すると大きな<笑い>が起こる。それはコンマゼロ点ゼロゼロ秒レベルで完璧な<間>が取れてるからなんです。
 ココに「全員集合」の前半コントにおいて「如何に加藤茶の<間>が天才的なのか」みたいなことを書いているのですが、「ドリフ大爆笑」の名物だったCMコント(というか歌舞伎コント)もね、もう加藤茶の襖を開けるタイミングでいつも笑ってしまう。んで歌舞く真似を始めるタイミングもまた絶妙で、そこに志村けんの完璧なツッコミが入るので爆笑してしまうのです。

 加藤茶はたまに、もうひとりの天才である植木等の話をすることがあり、というか加藤茶は常々「植木等さんを尊敬している」と語っているのですが、植木等が晩年に加藤茶に会うことがあるといつも同じことを言ってたらしい。

「加藤はいいよなぁ・・・」

 尊敬する人からそう言われて「何がいいのかさっぱりわからない」とオトす加藤茶も加藤茶だけど、そもそも植木等が何をもって加藤茶を羨ましいと思ったのか、たしかによくわからない。
 でもね、アタシにはこれこそが「天才同士の会話」に思える。たぶんね、植木等はたいして深い意味で言ってるわけではないと思うのですよ。無理矢理言えば加藤茶の無邪気というか自由奔放なところなんだろうけど、そこまでさえ考えずガキンチョのようにテキトーな加藤茶を見て「お前はいいよな」くらいだったと思う。
 普通ならそこで、そう言われたらね、しかも相手は尊敬するとして止まない人物ですよ。絶対に深読みしてしまうはずなんです。きっと植木等さんが言わんとされていることは・・・みたいにね。
 なのに加藤茶は「さっぱりわからない」で片付けてるし、こうしたエピソードトークを植木等さんのお別れ会でする、というのもすごい。
 これも普通ならね、何しろ青山葬儀所で行われたお別れ会なんだから、もっとハートウォーミングな展開にしても良さそうなものなのに、そんな場であるとか一切関係なしに、別段参列している人を笑わせようとしたって感じでもなく、ただただ自由奔放に「植木さんとのエピソード?これしか思いつかないな」みたいな感じで喋ってるのが可笑しいのです。

 これは推測だけど、そんな加藤茶を見て、当時のコメディアンはかなり嫉妬にかられたんじゃないか。
 自分たちは散々修練を積んで、ネタも練りに練ってるのに、あの加藤ってのはたいしたテクニックもなさそうで、ギャグも幼稚でクオリティも低いのに、易々と爆笑を掻っ攫いやがる。しかも若い娘からキャーキャー言われてモテモテだそうじゃねーか。オマケに天下のナベプロから推されているのもシャクに触る・・・、みたいな。
 でもさ、しょうがないよ。だって加藤茶は天才なんだから。つまりそもそもの土俵が違うっつーかモーツァルトに嫉妬するサリエリみたいなもんなんだからさ(ま、史実では別に嫉妬してなかったみたいだけど)、どれだけ努力を重ねようが比べること自体が間違ってるというかね。



「日本一のゴマすり男」という植木等主演映画に加藤茶が本名の「加藤英文」名義で出演しており、といってもセリフもひと言ふた言ほどのチョイ役なんですが、これがね、もうこの時点ですでに可笑しいんですよ。
この映画が公開されたのは1965年です。つまり新生ドリフターズが結成されてわりとすぐで、まだハナ肇から「加藤茶」という芸名を授けられてない、というコメディアンとしては駆け出しも駆け出しの頃ってことになるわけで、となると<笑い>のイロハもほとんどわかってなかったはずなんです。
しかも所詮はチョイ役のセリフなので、笑わせようという類いのセリフじゃない。何というか、あくまで「ストーリーを進行させるために必要なセリフ」というかね。
あと、例の停電事件ね、今回動画を貼り付けたので是非見て欲しいのですが、あれ、途中でCMに行かないんですよ。つまり真っ暗な中、ずーっと舞台を映し続けている。
普通なら絶対CMに行くよね。あれはマジでどういう判断だったんだろ。


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