もちろんアタシは法律のプロじゃないし、こんなことを言うと怒られるに決まってるんだけど、やっぱ、どう考えてもエントリタイトル通り、量刑に遺族感情が考慮されるってのはどうも違う気がして。
というのはですよ。
我が子が凄惨きわまる殺され方をした、しかし被疑者が初犯かつ「ひとりだけ」だったので極刑を免れた、これで遺族が「何で死刑じゃないんだ!」と憤る気持ちは理解されやすい。
でも、不慮の交通事故で我が子が命を落としたのに「何で死刑じゃないんだ!」と言っても理解されない、かはわからないけど、やっぱ理解されづらい。
でもね、どんな凄惨な殺され方であろうが、ただの交通事故であろうが「突然我が子を失った」という悲しみと怒りは同等だと思うんですよ。
というかです。何しろ「遺族感情」ってくらいだから被害者の方は亡くなってるわけで、そんなのね、どういう経緯であろうが、どれだけ被疑者に責任があったかなんか関係ないんですよ。とにかく殺人であろうが過失致死であろうがなんだろうが遺族感情が「極刑を望む」というのは何らおかしいことではない。
もっと極端なことを言えば将棋倒しのような、被害者に直接ダメージを与えることが避けられなかった場合だって、ではその人と懇意になれるかというと難しい。
つまりですよ、遺族感情を重視すればするほど量刑は不当に重たくなる。万引きだって「そのことで店側はどれだけ精神的苦痛を味わったか」とか言い出したら、当然執行猶予なんてなし、最低でも数年はブチ込んでおかないと気が済まないと言えてしまうんです。
ま、実際には、余程でなければ裁判で遺族感情は考慮されない。さすがにそこまで莫迦じゃないというか、遺族感情で極端に判決が変わるなら、もはや法治国家とは呼べない。そんなの当たり前です。
こんなことがまかり通ったら、だったら天涯孤独の人間、つまり「遺族がいない」人間ならどれだけ殺しても量刑は軽くなるのか?逆にたいした怪我を負わせたわけじゃなくても遺族(ま、遺族じゃなくて身内だけど)が怒り狂ってたら量刑がより重くなるのか?そんな馬鹿な。
だからアタシは裁判所というか裁判官に違和感を抱いているわけじゃない。違和感を抱いているのは量刑にたいしてあーだこーだ言いたがる、いわば野次馬にたいしてです。
これがね、有罪か無罪かであーだこーだ言うのはわかるんですよ。ま、こういうことを書いても怒られるんだけど、ひとつのエンターテイメントとして考えた時、<疑惑>というのは人々を惹きつけやすい。実は真犯人は別にいる!なんて、たいして事件マニアではない人でも興味を示したりする。それはもう、わりと人間の本能に近いことだと思っているので有罪か無罪かであーだこーだやり合うのは、よくわかるんです。
でもね、やっぱり、量刑の軽い重いであーだこーだやり合うのは、いやそれってヤバいんじゃない?と思うし、そもそもそれはエンターテイメントとも人間の本能とも違う。
量刑の話で露呈されるのは、言いたがる人の、正確には言いたがる人<なり>の「正義感」です。悪いことをした人を許せない、遺族の気持ちを考えると、とかね、もちろんそれはその人<なり>の正義感だとは思うけど、赤の他人さんが勝手に遺族の方に感情移入してね、量刑が軽すぎる!と怒るのはちゃんちゃらおかしい。
もう一度、しつこく念を押しておきますが、アタシが違和感を抱いているのは「量刑にたいして文句を言う輩」です。だから遺族の方に感情移入して、未解決事件の犯人を捕まえて欲しいと思う感情はものすごく真っ当だと思っている。
でもやっぱ、量刑はどうでもいいというか、そこは「余程でない限り」素人が口を挟むことではないわ。この「余程でない限り」ってのも、つまり極刑相当と思われていたのに執行猶予が付く程度の量刑だったら、そりゃあ「あれ?」くらいは思いますよ。でも「10年は短かすぎる!遺族感情を考えたら最低25年が相当だろ!なんなら極刑でもいいくらいだ!」とかね、もうアンタいったい何様?と言いたくなる。
ま、確実に言えるのは、量刑マニアとはお近づきにはなりたくないってことですな。いやそもそもマニアと言えるのかも怪しい。だってただのその人<なり>の正義感の押し付けだもん。
世の中には共感性の高い人はいるし、そのほとんどは「良い人」なんだけど、こういうタイプは共感性が高いってわけでもないんだよね。ただただ勝手にというか、相手の意向を無視して、きっと向こうはこういうふうに思うだろうから、お前はこうしろ!と押し付けてくるような、マジでタチが悪い輩にしか思えないわ。
というかさ、本当に遺族に感情移入するなら被疑者への量刑じゃなくて遺族給付金とかそういう話しろよ、と思う。量刑で遺族の「今後」は変わらないけど給付金の多い少ないで「今後」は変わるんだからさ。
