えと、このエントリは一旦はボツにしたものです。
なのですが、読み返してみたらそこまで悪い感じでもないので、この度復活させることにしました。ま、時流にそぐわないところとか「言い過ぎ」なところがあるので、いろいろとセンテンツは変えた上で、だいぶ追記しましたが。そんなわけで、どうぞ!

2024年の話になるけど、というか封切りが2024年なんでね、リアルタイムで上映されてる映画の動画をやったら面白いかも、と思ってこういう動画を作ったのですが。


ま、要するに「スオミの話をしよう」の感想動画なのですが、再生回数が回らないこと以上に、とにかくこの動画、いろいろと辛かった。「作るのがしんどい」というよりは、バランスを取らなきゃ、みたいなのがメチャクチャ気分的にしんどかったのです。
何しろ「今現在上映してる作品」であり、ま、ウチのチャンネルの影響力など皆無とは言え、それでも邪魔はしたくないって気持ちもあって、言いたいことの1/10も言えなかった。

でね、もう今さらなのは百も承知だけど、そういやこの映画について宇多丸は何て言ってんだろ、と思ってね、ちょっと見てみたというか聴いてみたのですよ。


いやぁ、もう、言いたかったことを全部言ってくれている。うん、気持ちいい。
そりゃあね、ここまで言えたらいいですよ。でもなかなかそれは、ねぇ。これが昔の映画ならある程度は言えるんだけど、弱小、何の影響力もないからこそかかるブレーキとでも言うのか、もうそれは割とどうしようもないと思うんですよ。
それこそウチのチャンネルなんかよりはるかにリスナーが多いラジオのがリスクが高そうだけど、意外とそうでもない。これは毒舌芸人における毒舌のようなもので、リスナーはみな宇多丸の辛口批評を期待している。そうなるともう圧倒的に言いやすいし、辛辣であればあるほど喜ばれるというか。

そうは言っても、そうした辛口批評を期待させるムードに持って行ったのは宇多丸自身で、ちゃんとね、そういう工程を経たからこそそういうムードに出来たんですよ。
宇多丸は「年齢的なことも大きい」というようなことも言ってますが、たしかに若い頃であればあるほど怖い物知らず、トシを重ねるほどに怖がりになるものですが、逆に言えば怖い物知らずの時期にそういう番組を成立させられたのがすごい。そこは本当に尊敬する。

宇多丸の批評は「スオミの話をしよう」に限らず、しごく真っ当なものばかりで、少なくとも「クサしてナンボ」みたいなことはない。良いところは良いところでキチンと褒めるし、本当に隅々までしっかり見てるのがよくわかる。というか一回の批評につき最低でも2回鑑賞することからしてアタシは出来てないもん。
なのですが、だからと言って、全部が全部、宇多丸の言う通り、とは思わない。
とくにね、やっぱ、そこにかんしてはいろいろセンシティブすぎんじゃね?と思うこともしばしばで、もちろんこれはアタシ自身が鈍いだけかもしれないけど、あくまで「そこ」だけはアタシとは相容れないな、とは思っています。

「そこ」というのは要するにフェミにかんすることで、いやね、これは本当に難しいんですよ。
その人がどういうフェミ感を、もっと言えば思想を持ってるかなど、どうでもいいんですよ。でもそこにたいしてセンシティブになっちゃうってのは如何なものかと思ってて。
何度もコスるけど、本当に暴力的解決がいけないと思うなら「アンパンマン」さえアウトなんですよ。暴力的解決をしようというメッセージと幼児が受け取る可能性がある、とかいくらでも言えるんだから。

話を戻しますが、ただね、もうこれはフェミとか関係なく「スオミの話をしよう」の西島秀俊演じる4番目の夫はサイテーで、モラハラとかではなく、ただたんに不快なだけの人物造形です。
だったらさ、もういっそ、他の男性陣含めて、もっとクズにすりゃ良かったのに、と思ってた。まあそれではオチないのでアレだけど、宇多丸が面白いことを言ってて、コメディには火事エンド、爆破エンドがある、と。
たしかに、ラストね、クズどもが傷を舐め合いながら談笑してるところにスオミが出てきて、屋敷を爆破すりゃ、もう完璧なオチがついたんですよ。で、ラストはあんな変なフィナーレじゃなくて、スオミに「ああスッキリした」とでも言わせたら完璧だった。

宇多丸も言ってたし、アタシもいくつか読んだけど、三谷幸喜は盛んに「今までの映画でずっと<演劇的><舞台的>と言われてきたから、だったらもう、もっと演劇的舞台的にしてやる」と言ってました。
で、もし爆破エンドなら、こうした三谷幸喜の発言は全部前フリになる。ラスト間際まで徹底的に演劇的舞台的だったのに、オチになって突然映画的なド派手で、何もかも<無>にする演出になる、みたいな。
しかもこれ、ある意味では舞台的であり、いわば落語のサゲなんですよ。サゲというのはそれまでの話を台無しにしてしまうようなことも珍しくない。でもあの、ますだおかだの岡田じゃないけど、「ハイ泣こうが喚こうがこれでおしまい!閉店ガラガラ!」となるのはフィクションを越えたところで気持ち良かったりするんです。

それまで必死になって積み重ねてきたものをブッ潰す。ジェンガにも似たドミノにも似た快感はコメディには必要だと思ってて、奇想天外とかそういうややこしいことをしなくてもいい。ただ丹念にコツコツと積み重ねていったものを壊すだけでいいんだからある意味簡単で安直ではあるんです。
ただし、安直ではあるんだけど、ものすごく怖いことでもあると思う。せっかく頑張ってここまでやってきたのに、とか、観客が引くんじゃないか、と思ったらもう絶対出来ない。
そりゃあ、物語の途中でそれをやるのはどうかと思うけど、サゲですよ。ラストで引かれようがどうだっていい。万人にはウケないかもしれないけど、絶対に評価する人がいる。

というかそれが映画じゃないかと思うんです。
演劇というのは目の前にお客さんがいるので、そうそう突き放したり出来ない。せっかくだったら観に来てくれた人全員に満足して欲しい、そういう気持ちが芽生えるのは理解出来ます。
でも映画はそうじゃない。もっと観客にたいして無責任な態度をとれる。そこが映画の映画たる良さだと思うんですよ。
つかそれが出来ないのが「映画監督」三谷幸喜の致命的な欠点なんだろうな。もう芯からの演劇人というか。

とまあ、とりあえず元の文章はここで終わってるのですが、せっかくなんでもうちょい続けます。
これを書いて以降、ウチのチャンネルでも「帰って来たヨッパライ」とか2015年版「日本のいちばん長い日」あたりはかなりクソミソにケナしています。
もちろん最新作じゃない、というのは大きい。それでもこれらの作品のファンもいるだろうに、ここまで言ってもいいのか、とは思いながら喋ったのは事実です。

ただ、これだけはわかってもらいたいんだけど、アタシは、たぶん宇多丸も、最初からケナす気満々で映画を観たんじゃないんですよ。
少なくとも観る前の段階ではフラットで、面白かったら褒めるし、つまらなかったらケナす、つまり針はどちらにも振れていない。んで結果としてつまらなかったらケナしただけの話なんです。

と考えたらですよ。アタシよりも宇多丸の方が辛いかもしれない。だって間違いなくリスナーは「宇多丸がケチョンケチョンにケナすことを期待している」んですよね。でも面白かったら褒めることになる。褒めメインだとリスナーの満足度は下がる。かと言って面白かったのに嘘でケナしたくなんかない。
そうした葛藤があるのかは知らないけど、アタシなんかに比べるとやっぱ大変だろうなぁと。

変な話、2015年版「日本のいちばん長い日」なんか、凡作だったら合格とさえ思っていたんですよ。あの映画史に残る名作のリメイクなんてチャレンジするだけでもたいしたもので、そりゃアレに比べりゃ劣るのは明白だけど、これなら良くやった方だ、みたいな感じになると予想していた。つまり期待値自体、ハードル自体はきわめて低かった。

なのに実際の作品は低い低いハードルをさらに、しかもはるかに超えてきた。いや超えられなかった、か。どっちでもいいけど、これはもう、ちょっと洒落にならんレベルと思ったので、あそこまで言ったんです。
だってさ、カラーで知ってる役者もいるだろう2015年版の方がもしかしたら1967年版より選ばれる可能性が高いかもしれない。でもそうした被害者を出しちゃいけない。だから「見るならノー文句で1967年版。2015年版を見るくらいならまだそのカネで」みたいな言い方になった。

だからね、辛辣って映画を馬鹿にするためのものじゃなくて、むしろリスナーへの愛情なんですよ。
これを聴いてる人だけでも知って欲しい。この映画のチケット買うならそのカネで美味いもんでも食った方が絶対いい、みたいなおせっかいの気持ちと言い換えていいのかもしれない。
とはいえ宇多丸は辛辣が<芸>になってるしリスナーも期待してるからまだいいけど、ウチのチャンネルはどうなんだ。辛辣にやっても損しかしないぞ。

てなことはわかっていながら、ま、もういいやと。開き直らなきゃ動画として面白くないと。つか嘘で無難な評価とか、それその動画に何の価値があるんだよと。
ま、今後、あのチャンネル、わりと辛辣なこと言うよな、みたいに浸透したら、まァそれでいいんだけど。