ココに新井貴浩の広島監督就任直後の記事がありますが、これ、2026年の今見ると「なんだこれは」と思ってしまうというかなんというか。
アタシは2016年に「家族のようなチーム」というエントリを書いたし、2023年には「将、の資格」という、岡田彰布は「監督というよりも親父」というようなことも書いています。
というかね、「チーム=家族」という発想は悪くないというか嫌いじゃない。しかしどうも、冒頭の記事を読む限り、新井貴浩は家族というものを履き違えてるんじゃないかと思ってしまうんです。
家族と赤の他人さんの一番の違い、それは「バシッと芯を食った、言いづらいことも言えてしまう」ということだと思う。
先にそっちの話から済ませておくけど、どれだけ親しい関係であっても、家族以外の人間にはどうしても言いづらいことがある。踏み込みすぎて関係が壊れてしまった、なんてこともいくらでもあるし。だからどうしても躊躇の気持ちが生まれるし、そうした気持ちはけして悪いことではありません。
しかし家族がそれでは困るのです。
やっぱ、それはマズいんじゃないの?みたいなことも言える関係でなければならないというか、そうした関係を築けないのであれば家族としていちゃいけないと思う。
これは親子関係でもそうなのですが、間違っても「この家に産まれてきたからには問答無用で家族扱いをする」ではダメなんですよ。たとえ親子であっても赤の他人さん同様「関係の構築」は不可欠で、関係の構築も出来てないのに家族扱いするからおかしなことになる。
というかね、いくら血縁関係があろうが所詮は別個体なのですよ。そこだけは絶対忘れちゃいけない。
逆に言えば血縁関係があろうがなかろうが、どれだけ言いたいことを言い合っても必ず修復出来る、そう思えるならその人たちは家族になる権利がある。
それが夫婦であり、パートナーです。当たり前だけど夫婦だったりパートナーとは血縁関係はないわけですが、でも添い遂げた人たちなんていくらでもいる。それはちゃんと家族としての関係を築けてきたからだと思う。
ま、これは多少は綺麗事です。実際はどっちかが我慢したりしてるんだけど、それはお互いに言い分があるからね。
で、新井貴浩の話に戻ります。
「チームは家族」と宣言する。このことは悪いことではない。しかし必要なのは「宣言」ではなく「ちゃんと家族関係を構築出来るのか、する気があるのか」なんです。つまり宣言だけでは家族にはなれっこない。
チームとして考えたら監督は親父です。で、新井貴浩に「オレは親父になる」と思えたのかどうなのか。ここがあまりにも曖昧で、親父になる気がない男がチームの将では仲良しこよしにしかなれない。
岡田彰布は典型的なぶっきらぼうな親父で一切余計なことを直接言わない。しかしその態度で「どんなことがあってもチームを守る」というのを示してきた。
しかし新井の場合、例の藤川球児との遺恨を含めて、身を挺して選手を守るという姿勢がまるで見えない。つまりこれは親父としての自覚がないという証拠です。
んで、家族=仲良しこよしと思ってるフシも散見出来、これでは家族が蔑称になるのもしょうがないですよ。
もう一回言います。家族というのは赤の他人さんが言えない辛辣なことが言える、どれだけ辛辣なことを言っても関係が壊れることがない、そういう強固な関係です。
たとえ二軍に落ちたり、クビになっても、お前たちはオレの息子なんだ、と思えたかどうか。もし「子供に嫌われたくない親父」ならマジで何も出来ない。野球は同時に9人(DHの場合は10人)しか同時に出れないし、ベンチ入りの数も支配下登録の数も限りがある。となったら全員を公平になんて扱えないのですよ。もしそれでも公平を望むなら、そんなチームはプロ野球チームの資格がない。だからそんなこと望んじゃいけないのです。
藤川球児は岡田彰布とは違うやり方とは言え、でも選手のことは何がなんでも守る、というのは見えます。結果的にそれが「木で鼻を括る」コメントになっちゃうんだけど、それはしょうがない。
しかも藤川球児はわりと容赦がない。ダメと思ったら重用しない、平気で二軍に落とす、解雇もいとわない。だからと言って彼らが憎くてそうしてるわけじゃないというのもよくわかる。たぶん口には出さないだろうけど、自分が監督をしてた時の選手はたとえ戦力にならなかったとしても息子同然と思ってるってのが見えるんです。
ま、何にでも言える話になっちゃうけど、態度がともなってない言葉は軽いですよ。死ぬまでパートナーひとりだけを愛し抜くなんて声高に叫びながら陰で浮気してるようなもんで、そんな人間が信用されるわけがない。
つかさ、選手たちから陰で「(監督の言うこと?)ああ、口だけ口だけ」と言われてても何の不思議もないもん。つまりそれだけ態度がアレだってことですよ。
