いやもうほんと、アタシは<努力>が大の苦手でしてね。っても間違っても努力を莫迦にしてるんじゃない。その真逆というか、努力ほど尊いものはないと思っていながら、その努力とやらが出来ない人間なんですよ。

だから「努力大嫌い」と書くと語弊が出てくる。これでは努力の全否定になってしまう。
むしろ努力に勝るものはなし、と思ってる。思ってるんだけど自分には出来ない。もう「やんなきゃ」と思った途端に急に嫌になる。これはトシをとったから平気になるってもんでもなく、生まれてこの方、徹頭徹尾、ず~っと苦手なままです。

そういう人間だから、努力出来る人にたいしてどう思うかと言うと、もう単純に「すげぇな、とても自分には出来ない」と思う。これまた捉えようで莫迦にしてるように聞こえるかもしれないけど、ストレートに受け取ってください。
つまりね、アタシからしたら「努力を積み重ねることが出来る」イコール、尊敬の対象なんですよ。
あと、やっぱり世の中には「持って生まれた才能」を有する人もいるわけで、これまた勝てるわけがないので尊敬の対象になる。ましてや努力苦手のアタシは「努力で天才に近づこう」ってのも難しいわけで。

何が言いたいのかと言えば、要するにアタシは「わりとすぐに他人さんを尊敬する」んです。
世の中には、自分に出来ないことをやれる人にたいして「意味がない」とか思っちゃう人もいるみたいだけど、意味なんてどうでもいい。単純に能力が上の人をリスペクトしてるだけの話です。
なんて書いてしまうと、じゃあお前は人殺しが出来るのか?ほんで人殺し出来る人間にリスペクト出来るのか?ってなるかもしれないけど、ま、それはどの方向から見るかの問題でね、反対から見て「殺したいほど憎んでいても、最後の最後で自分を抑制出来る」側をリスペクトする、というか。

ただ、この場合の尊敬であったりリスペクトというのは、そこまで深いものではない。
アタシが心の底から尊敬していたのは、生涯でたったふたりしかいない。ひとりはアタシの叔父、もうひとりはジャズ評論家の瀬川昌久さんです。
どちらもすでにこの世にいませんが、ひとりの人間としても大好きなのは当然として、とにかく<魂>を植え付けてもらった。しかもこの<魂>というのはある意味サブカル的なことであり、叔父からは映画の見方を教えてもらった。
ウチのチャンネルが映画レビュー系なのは叔父から受け継いだ魂があればこそです。(ただし叔父は大の洋画党で邦画はあんまり見ていない)
もうひとりの瀬川昌久さんからは、ま、ココに書いたからいいか。

ここで重要なのは、叔父であれば「努力して」映画をいっぱい見たり、瀬川昌久さんであれば「努力して」ジャズを聴いて研究されたってことではないんですよ。
映画が好きで好きで、ジャズが好きで好きで、いつしか「もっと知りたい」となって、結果として深い愛情と深い知識を身につけた、と。
つまり努力は関係ないし、アタシからしても両名とも「努力した人だから」尊敬してるわけでもない。

これはアタシ自身に置き換えてもそうなんです。
たとえば「毎週のように国会図書館に行ってます!」なんて言ったら一見努力してるように見える。でも気持ちとしては努力しようなんて微塵もない。ただ楽しいから行ってるだけです。
そりゃあ、そこまで興味のないことでも、これは調べておかなきゃいけないな、と思うことはあるんですよ。でも調べ始めたらそんな杞憂はどっかにすっ飛んでいってしまって、もう楽しくってしょうがない。つか国会図書館なんて24時間365日閉じ込められてもぜんぜん平気で、もう本当に面白くて仕方がないんですよ。

これ、努力なのか?
どう考えてもただ楽しんでるだけなんだけど

違うという人もいるけど、アタシは努力も才能の一種だと思っている。努力出来ない人間が後天的に努力する力を身につけられるとは到底思えない。
しかしそれと同時に「物事を楽しむ」というのもまた才能だと思う。
アタシはわかりやすい、クリエイティブだったりアーティスティックな才能は持ってない。そして努力する才能もなかった。でも、間違いなく「物事を楽しむ」という才能は持ってた。

だからねぇ、こういうタイプの人間に「勉強を頑張りなさい」と教育したってダメだよ。頑張る=努力=無理ってことにしかならない。つか、努力しなきゃいけないことが嫌いになるので、勉強が嫌いになってしまう。
思えばアタシが一時的に学校の成績が良くなった時って、ほれ、これってオモロイだろ?みたいな教え方をする先生だった時です。あ、たしかにオモロイ。だったらこれもオモロイんじゃないか、と思ってその時だけは勉強が楽しかった。
でもまた、勉強は努力タイプの担任に変わって、勉強が嫌いになったんだけど。

これ言っちゃうともう全部そうだろってことになるんだけど、結局は人によるんですよ。
アタシみたいなタイプに「勉強は努力」と言ってしまうと勉強が嫌いになるし、物事を楽しめないタイプの人に「勉強を楽しめ」と言ったところで、もう勉強をやる意味を見失うと思う。その辺は本当にフレキシブルにやんなきゃいけないわけで、学校の先生も大変だな。

もう一度言います。アタシは努力が苦手です。その代わり「物事を楽しむ」ことはわりと得意です。
それでいいんじゃないッスかね。無理矢理「努力する術を身につけろ!」とか「物事を楽しめるようになれ!」とか、それは無理だよ。



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