いやちょっとね、とあるポストを読んで発語衝動にかられたもので。こういうのは非常に珍しいんだけどね。
もしかしたらかなり長くなるかもしれないけど、思いつくまま書いてみます。
かつて芸能界には「青春スター」というジャンルがありました。具体的に誰がいたのかは書かないけど、かなりの人材が青春スターとしてデビューしています。時代で言えば1960年代なかばでしょうか。
1960年代なかばと言えば、もう完全にナベプロ黄金時代で、ナベプロでなければ芸能人にあらず、そこまで言えるほどキラ星の如きスターを揃え、当然ようやく「一人前のメディア」になりかかっていたテレビに絶大な影響を与えた。つまりテレビというもの自体がナベプロの社長だった渡辺晋によって動かされていた、と言っても過言ではありません。
しかし1960年代後半に入って潮目が変わった。
まず挙げられるのはグループサウンズブームなのですが、実はグループサウンズはそこまで大きな潮流ではないんですよ。
グループサウンズの人材の多くは、いやもうそのほとんどはビートルズの影響が濃かったのは間違いない。つまりビートルズに感化されて我もとエレキギターを握りだした。
これはココでも書いたことなのですが、ビートルズが先駆的だったのは「エレキギター」でも「ロック」でもない。一番は「自分たちをコントロールするのは自分たち自身である」ということだった。だからメンバーが作詞作曲をする、というのは「コントロール」という意味でも<絶対>だった。
これが如何に常識外れだったかは先のリンク先を読んでください。そして何より衝撃的だったのが、それが「<小規模>な商売ではなく、世界的なビジネスの<やり方>になった」ということなんです。
そう考えると、グループサウンズはビートルズとは似て非なるものであることがわかるはずです。
グループサウンズの各バンドをコントロールしていたのは芸能プロダクション、もしくはレコード会社です。だから基本的にはレコード会社お抱えのコンポーザーが起用された。逆に言えばバンドのメンバーが自ら作詞作曲を手がける、いわば「自作自演」はごく一部に限られた。というかスパイダースなど一部のバンドを除いて「自作自演」はガス抜きの意味合いが強かったように思う。
つまり何が言いたいのかというと、グループサウンズもまた、旧来の芸能人同様、いわば「操り人形的芸能人」なのです。
当時の考えでは芸能人をコントロールするのは、芸能プロダクション、レコード会社、テレビ局、映画会社など、資本力のある企業だった。そしてそこに属するプロデューサーたちが芸能人のすべてを握る。もちろん不平不満が溜まらないように適度のガス抜きはするし、当然芸能人本人の意見も聞くとは言え、最終決定権を握っていたのは誰か、となると、それこそナベプロで言えば渡辺晋なのです。
だから、グループサウンズの時代、どれだけバンドメンバーにコンポーザーとしての能力があっても関係なかった。(実際、グループサウンズ出身の優秀なコンポーザーが何人もいる)
どれだけ「自分たちで作った方が質の高い楽曲が作れる」と思っていても既存作詞家、既存作曲家の「お仕着せ」楽曲を歌ったり演奏しなきゃいけない。つまり自分たちが思い描いていた「ビートルズのような」とは180度異なる。
たぶんそうした空気がグループサウンズブームが異様に短期間で終わった原因じゃないか。でなければあんなに蜘蛛の子を散らすように人気グループがどんどん解散する、なんてことにはならなかったと思うんです。
芸能人をコントロールするのは芸能人自身ではない。
この絶対的に思われた考えはフォークソングブーム以降、あっさり覆された。というかフォークソングミュージシャンはあきらかに「芸能人として売れる」ことへの意識が希薄だった。
カネを儲けることよりも自分たちがやりたいことを優先させる。これでは芸能プロダクションは支配しようがない。殺し文句と言える「こういう仕事もやらなきゃ売れないぞ!」というのが通用しないからです。
売れない?別にいいよ。自分を応援してくれるファンが喜んでくれて、細々でも生活出来たらそれで構わないから、というね。
そうした「自分で自分自身をコントロールする」というのは新鮮で、彼らは当人の意思とは無関係に芸能界の中心になった。
そして、ほぼ時期を同じくしてナベプロの凋落が始まった。ナベプロ凋落の主要因は「渡辺晋と日本テレビプロデューサーの井原高忠の対立」と言われているけど、仮に渡辺晋と井原高忠がガッチリ手を組んでいたとしても潮目は変えられなかったと思う。
こうして「操り人形的芸能人」は一気に「ダサい存在」にまで堕ちた。つまり時代が変わったのです。
これ以前は自作自演はおろか、自分の言葉で喋る場すらなかった。当時はラジオでも台本通りにやるのが基本だったし(その慣例を打ち破った人はいたけど、それは話が逸れるから割愛)、テレビなどトーク番組であっても言わずもがなです。
唯一、もしかしたら今よりもチェックがユルかったと思うのが週刊誌などの対談で、ここではわりとどの芸能人も自由奔放に喋っていますが、しかしこれは所詮誌面上の話でしかない。つまり「芸能ではない」ということでお目こぼしにあっていたのでしょう。
だからね、昔の芸能人をいろいろ調べて、当の本人がどのように考えていたのか、もうさっぱりわからないのですよ。
たしかに週刊誌の対談などは貴重な生の意見なんだけど、これはこれで聞きたいことを聞いてくれてるわけじゃないので参考になることが少ない。
だから彼らが、どんな考えで仕事に挑んでいたのかがわからないし、自分の言葉で喋れないことにたいしてどれだけ不満に思っていたのか、というかそもそも不満があったのかどうかさえわからないのです。そりゃいくら当時のが雑誌取材は自由だったと言ってもさすがに所属プロダクションを批判する内容だったら切られて当然ですから。
そうは言っても、すでに確固たる地位を確保していた芸能人は不平不満も限定的だったと思う。ただ、ではまだ確固たるものが何もない、新進気鋭の人たちはどうだったのか。
世代的なことを言えば、冒頭で書いた「青春スター」は最後の「操り人形的芸能人」なんです。
青春スターというジャンルが消えて数年後、取って代わったのが「アイドル」というジャンルで、一見同じように思えるけど時代を反映してアイドルはまだぜんぜん自分の言葉で喋れる機会を得られた。というかプロダクション的にも「操り人形的」と思われたら人気に影響が出るので積極的にそういう場を設けるようになった。
本当に、青春スターは時代の徒花だったと言える。
青春スターというジャンルが出来たのはどれだけ早く見積もっても1960年代の前半で、グループサウンズがブームになりかけていた1967年頃にはもう凋落の一途だった。つまり短い短いと言われるグループサウンズブームと、青春スターブームは期間的には変わらない。
グループサウンズは後世に残る人材を多く輩出した。先述の通り優秀なコンポーザーもそうだし、沢田研二や萩原健一などのスターも生み出している。しかし青春スター出身の人は上手く役者に転向出来た一部の人を除いて全員沈んだ。
つまりね、芸能人としての能力は関係ないんですよ。青春スターというジャンルがなくなった以上、彼らも消えるしかなかった。
この辺はつくづく運だな、と思う。ココに「グループサウンズ末期にデビューしたばかりにグループサウンズとして売り出された」とあるバンドのいちメンバーについて書いてますが、どれだけ能力があろうが芸能界の潮流に上手く乗れなければ売れない。んで途中でも書いたように、売れる気がなくても時代の潮流に乗ったら勝手に売れる。
まァね、芸能界にアフターケアはないからね。それは芸能界に入る者全員が承知していることだと思うんで外野からとやかく言うことではないけど、もうちょっと上手い道はなかったのか、とは思ってしまうわけで。
