アタシは「ドラゴンクエスト」にかんしては、やったのは「4」まで、「5」以降は完全にノータッチなのですが、「5」が発売された頃はまだゲーム自体は興味があったので、「5」に賛否両論の要素があったというか論争があったのはよく憶えています。

要するにヒロイン論争で、冒険の途中にヒロインを選ぶイベントがあった。ま、実際にやったわけじゃないんで、正確にはあった<らしい>なんだけどさ。
どっちを選べば冒険がラクになるか、つまり能力の問題だけでなくルックの好みの問題もあって、当時は、どころか今でさえ喧々諤々らしい。つかDS版でもうひとりヒロイン候補が追加されたらしく、さらに火に油を注ぐ状態になってるとか。

作者である堀井雄二の意図は痛いほどわかります。
物語としてではなく、プレイヤー自身も悩んで欲しい、つまりそうしたイベントを入れることでプレイヤーとキャラクターがより一心同体になれる、RPGというものが「役割を演じていくゲーム」という性質上、そうしたイベントを入れようとしたのはある意味当然と言えると思う。んで「どっちがいいか」という論争が起こったこと自体にはほくそ笑んでいた、とは思う。

でもです。そもそも、損得を抜きにしたような選択ってものをユーザーが求めていたのか、いやこれ、本当にどうなんだろと思うわけですよ。
あんまり憶えてないけど、たしか「ドラクエ5」以降にこうした選択肢のあるゲームはあったと思うけど、どれも上手く機能しなかったと思う。だって他にこのような論争になったゲームがあったって記憶がないから。
もちろん堀井雄二ほどの手練でない人がこうしたシステムを安直に真似したって上手くいくわけないってのもあるんだけど、どうもそれだけじゃない気がして。

つまりですよ。そもそもの話、どちらを選べばいいか明らかでない場合、どれを選んでも、みたいな選択肢なんかユーザーは望んでないんじゃないかって。

いや実際、選択、という行為、いや行為というより行為によって起こるメンタルの葛藤とでもいうのか、それって「楽しいこと」なのか、それとも「面倒なだけ=ある種不愉快なこと」なのか、もうわからないような気がしてるんですよ。
もちろん人によることであると思うんだけど、意外と選択肢を楽しめる人は少ないのではないかと。つまりマイノリティなのではないかと思うわけでして。
昨今、というか2025年くらいから「選択のパラドックス」という言葉が使われるようになりましたが、要するに「選択肢が多すぎると逆に満足度が下がる」という研究結果がある、ということらしい。

たしかにそうかもしれない。でもそもそもの話、選択肢が「多すぎる」というよりは、選択肢が「ひとつ増える毎に満足度がひとつ下がる」ということではないか。

いやね、選択肢が多いことを喜ぶということ自体、なんだかものすごくケチな発想な気がする。
「いっぱいあった方がオトク」みたいな。
たとえば、あまりにも庶民臭い話にはなるけど、スーパーに行けば「味付け済の肉パック、3個買うと◯◯円」なんてことがよくあります。だいたい1個で買う場合より20%くらい安くなるんだけど、だったら3個買うか、となったことがないんですよ。
味付けの種類は味噌漬け、生姜焼き風、サムギョプサル風、山賊焼き、とかあって、さらに鶏肉、豚肉、牛肉とあったりするんだけど、とりあえず「今日は味噌漬け気分」なのはわかったとしても、絶対今日食べないものにかんしては、つまり明日以降何を食べたくなるかなんかわかるわけがない。となったらめちゃくちゃ考えなきゃいけなくなって、結局面倒になって「多少割高でも1個だけでいいや」ってなるのです。

要するにその手のオトク感は人を惑わす<だけ>要素にもなる得る。惑うことが楽しいか自体がかなり人によるにプラスして、楽しいと思わせるほどのラインナップを揃えるのが難しすぎる。つまり「どれも楽しそうで惑う」ならまだいいけど、複数の魅力的な選択肢を用意出来なくて、実際は「惑う要素なんてない。これ一択」になればまだ良い方。下手したら「えーっ!この中からひとつ選ばなきゃいけないの?どれもイマイチすぎて選べない。でも無理矢理選ぶなら・・・」みたいになるケースが多いんじゃないか。

正直ね、Netflixに入らなくても、無料のYouTubeで映画本編やドラマを配信してる<公式>チャンネルはかなりあります。
じゃあそれらのチャンネルが、それこそYahooニュースになるほど話題になるのか、というとならない。でもそれはけして作品としてのクオリティが低いわけじゃない。若干古いかもしれないけど、名作と謳われたような作品が無料で見れるというのはもっと魅力的に映ってもいいはずなんです。
でもそうならないのは、人を惑わすほど、というのはものすごくハードルが高いんですよ。

そんな時代だからこそインフルエンサーなんてもんが持て囃されているんだろうけど、インフルエンサー自体何十人、いや何千人といるわけで、結局は選択を迫られる。
いやそもそも、昔に比べて人々が選択を迫られるケースがあきらかに増えた。しかもさほど重要なことではない、本来であればただ楽しければ良いだけでいい娯楽まで選択肢が多すぎて、もはや「いっぱいある中からひとつ選ぶ」ということに辟易してるんじゃないか。まだ若いうちはいいけど、トシをとってくるとただの面倒事に感じるのは当然ではないか。

ま、この話にかんしては、実はアタシは「選択は楽しいこと」側ではあるんだけどね。んでアタシのような選択は楽しいと思える人間にとって東京という街は最高だな、とつくづく思うわけで。ってなんだその結論って話ですが、自分と違う側の気持ちを考えることってものすごく大事だから。



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