「どれだけ面白いと思うコントを作っても、クシャミをした拍子にオナラが出た人には勝てない」

これはさまぁ~ず三村の発言ですが、この芸歴までずっと単独コントライブを続けるさまぁ~ずの発言となると、これは相当重い言葉だと思うのですよ。
アタシはさまぁ~ずについて「実はユルくない。かなり毒気が強い」そして「ずっとコント=フィクション=作り物の中での<笑い>にこだわってる人たち」と書いてきたのですが、実際コントライブで一番笑いが起こるのは、いわば想定した笑いではなく、アクシデントが起こった時とか、軽いフリートークの最中らしい。

何ヶ月もあーでもないこーでもないと練り上げたコントよりも、アクシデントや「思いつき」の発言の方がウケる。これで虚しくならないわけがない。
それでも、それをわかっていながら、なおも作り物の笑いにこだわってるのが偉いなと思うところで、だからアタシはこの人たちの本質はかなり生粋のコメディアンではないかと思っているのです。つまり高いレベルで当意即妙が出来るコメディアンだと。そう考えたらアタシがさまぁ~ずが好きなのは当たり前っていうかね。

「どれだけ面白いと思うコントを作っても、クシャミをした拍子にオナラが出た人には勝てない」

あえて復唱しましたが、この非常にレベルの高いコメディアンであるさまぁ~ずが、クシャミオナラには勝てないと言ってる。その重さがわかっていただけるはずです。
もちろんこれは自分たちに向けて言ったことです。しかし本人にそういうつもりがあろうがなかろうが、その言葉は他の芸人にも向けられる結果になった。

「君ら、高邁だったり凝ってたり、エキセントリックな<笑い>をやってるのかもしれないけど、それって結局笑いの<量>でクシャミオナラに勝てるの?」

というね。


上記動画でもさまぁ~ずはかなりしつこく、渡部のチ◯コを触ろうとして笑いをとってましたが、なんでこんな小学生がやるような下ネタを堂々とやれるのかと言えば、もう最終的にというか一周回って「これには勝てない」ってのを自覚してるからだと思う。
たぶん芸人の養成学校なんかでは、こういうのは絶対やっちゃダメって教えるはずなんです。最初っからそれに頼るようじゃあ、その人たちが生き残れるわけがない。だから「やっちゃダメ」という指導が間違ってるとは思わない。
でも一周回ったさまぁ~ずには「やれる
権利」と「結局下ネタには勝てないという気づき」が生じた、と。

世の中には下ネタ嫌いな人が数多くいます。
もしその理由が「生理的に不愉快」だとするなら、もう他人さんがなんか言うことではない。そういう人にうっかり下ネタを言っちゃったら両手をついて謝ります。
でもそうじゃない理由で下ネタが嫌いな人がいる。とくにややこしいのは「下ネタで笑いを取りに行くなんて安直」みたいな、妙なプロ意識がある人です。

いやいや、アンタ別にプロの芸人じゃねーじゃん、と思うんだけど、それでも当人が発しないのは別に構わない。でもこちらがちょっとでも下ネタまがいのことを言うとものすごく嫌な顔をする。
これにかんしては「いや知らねーよ!」です。当人のこだわりで自ら下ネタを発しないのは理解出来るけど、そのこだわりを相手にも強制するんじゃねーよ!と。もちろん仲の良い人なら積極的に相手を不愉快にしたくないので積極的に下ネタは発しないけど、どうでもいい人ならマジで会話を打ち切るレベルです。

下ネタとひと口に言っても種類もレベルもある。
上手い人は巧みに言葉を置き換えることによって不快感を和らげているし、逆に下手な人はダジャレレベルの安直で直接的かつ生々しい表現を使ってしまう。そういうのはアタシも嫌いです。
でもそれは「下ネタが嫌い」と括れるようなことではない。つか<シモ>であろうがなかろうが、直接的かつ生々しい表現を使ったジョークが嫌いなだけです。
つか上手ければ、それが下ネタに当たるかどうかなんか考えもしない。ただただ笑ってしまうだけです。

ぶっちゃけね、アタシたち一般人は、こと<笑い>にかんしてはどこまで行ってとド素人なんですよ。それは笑いのプロとして修行(というか「必死で笑わせようとしてるのに、何をどうやっても凍りついた空気を変えられない」というトラウマ級の経験)をしてきていない人間は、仮にユーチューバーであっても、やっぱりド素人なんです。
それだけは常に肝に銘じておかなくてはいけない。
もちろんユーチューバーであっても視聴者を不快にさせない配慮として、あまりにも話の品を落としすぎるのも良くないんだけど、素人である限り「下ネタでも使わないと易々と人を笑わせることなんて出来っこない」って自覚は絶対に必要だな、と。

ましてやネットであってもメディアに乗せる気もない馬鹿話なんか、下ネタだったり、相手だけがわかるような徹底的にマニアックなネタだったり、多少であっても不謹慎なネタをブチ込まないと馬鹿話さえ続かない。
そういう自覚があるかないか、それを三村の話は物語ってると思うのですがね。