いやね、Twitterで交わされてた議論を発想の<とっかかり>にして、ちょっと書きたいことが出てきたもので。

つまりです。世間的には「藤子不二雄の藤本弘先生は1970年代に入った頃から数年間のスランプに苦しんでいた」と言われてるし、なんなら当の藤本先生すらそれを認めている。
実際「ドラえもん」を除いてどの作品も、短期間で連載を終了しているし、連載期間が長い場合も「かなりのマイナー雑誌」に限られます。
それはそうだし、藤本先生的に「面白く描けた自信と人気が乖離してる」と感じてたのも、また事実でしょう。
というか、たぶん「21エモン」と「モジャ公」が人気を得られなかったことは相当堪えたとは思うんですよ。

実際ね、ギャグ漫画とユーモア漫画の中間のような「オバケのQ太郎」人気が爆発して、でもこれは資質的にちょっとだけ自分らしくない、とは感じていたとは思う。んで「21エモン」を始めて「これがオレの<線>だ」ってのもわかっていたと思う。
ただ「21エモン」は舞台設定でミスった。いやあれも時代的には合ってるんだけど(大伴昌司が盛んに未来世界のカラー図版を描いてた頃だし)、でも「オバQ」や「パーマン」との乖離が激しすぎて一般ウケはしなかった。
そこで「未来世界」だけを止めてリニューアルしたのが「モジャ公」なのですが、これも設定的に日常パートが挿入出来ずに(あくまで人気面では)失敗してしまった。

もちろんこれが最終的に「絶対に地に足がついたところから(つまり日常パートから)始める」ことにこだわった「大長編ドラえもん」に繋がるのですが、この時はわからない。あ、オレの<線>は世の中に受け入れられないんだ、と感じても、何ら不思議はないんですよ。
つまりこの時期の藤本先生は「描きたいもの」「向いてるもの」と、人気が得られるもののギャップに悩んでいたと。つまりはそういう話ではないかと思うのです。

ではこの頃の藤本先生が世間から相手にされてなかったのか、というとそんなことはない。
「新オバケのQ太郎」はアニメになったし、原案こそ<出来合い>だったものの「ジャングル黒べぇ」の原作の依頼が来たのも事実です。またアニメ化こそ頓挫したものの、ほぼ「ジャングル黒べぇ」と同じ経緯だった「パジャママン」なんてのもあった。(パジャママンの設定はよほど惜しかったのか、一部の設定を変えて「ミラ・クル・1」としてリメイクしてる)

なのに何故、この時期の藤本先生が低迷期と見做されているのか。
これね、例えば手塚治虫先生だったり赤塚不二夫先生ならまだわかるのですよ。手塚先生にかんしては今後ちゃんと書くけど、内容自体に迷走の色かありありだし、赤塚先生も「レッツラゴン」のとりとめのなさは「天才バカボン」や「もーれつア太郎」のハチャメチャさとはあきらかに違う。これも迷走と言っていいと思う。
では藤本先生はというと、「ドラえもん」のガチャコが出てくるあたりにやや迷走が見られるけど、固執せずにすぐに方向転換してるので迷走というほどでもない。

じゃあ何で、となると、これは簡単なんですよ。
要するに「発表する雑誌がきわめて限られていた」ことに尽きる。
1960年代後半から「少年マガジン」の対象読者がどんどん上がって、つられるように「少年サンデー」も対象読者を上げた。さらに手塚治虫が威信を掛けた「COM」が創刊されたり、大人向けの「ビッグコミック」も創刊されている。
じゃあ児童漫画がどうなったかというと、少年マガジンが読者層が上がったことを埋めるように月刊誌だった「ぼくら」をリニューアルして「ぼくらマガジン」を創刊したりしたけど、あまり人気を得られず早々に撤退してる。

つまりです。藤本先生のメインフィールドと言える児童向け漫画雑誌がどんどんなくなっていったのです。
唯一残ったのは小学館の学習雑誌だけで、藤本先生を始めとする「少年向け漫画家」ではなく「児童向け漫画家」は学習雑誌を<砦>にするしかなくなった。
ただ学習雑誌は学年毎に分かれているのでパイが小さい。つまり学年が違えば読んでる内容も違うので広がりようがないんです。

それでも藤本先生は細々とマイナー雑誌や児童向けの新聞に「キテレツ大百科」や「ポコニャン」、「Uボー」なんかを描いてたのですが、これらの雑誌は学習雑誌よりもさらにパイが狭いので世間一般で話題になりようがない。つまり「わっと人気が出る」なんてあり得ないわけです。
つまりこれは「藤本先生がスランプ」なのではなく「児童向け漫画雑誌がスランプだった」と言い切ってもいい。事実、「コロコロコミック」が創刊されて人気を集めると各社も児童向け漫画雑誌を創刊し、藤本先生は稀代の大人気漫画家になったわけだから。

どんな天才でも「自分の作品を発表するのに向く媒体がないとどうしようもない」のですよ。それこそさいとうたかおだって、もし「ビッグコミック」が創刊されてなかったら、一部にだけ知られた実力派で終わってたかもしれないし、そもそもさいとうたかおプロを(経済的な理由で)維持出来てないと思う。
その点安孫子先生はバランス型だったので、わりといろいろと対応出来たし、向いてない雑誌への連載でも<形>にすることは出来た、という話もまた今度ちゃんと書きます。

いやね、少なくともトキワ荘グループの中でなら、藤本先生のスランプなんてたいしたことないレベルですよ。本当に。それはもう、手塚先生を見ればよくわかるんだけど。



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