どうも、これからの時代、という言葉に胡散臭さを感じてしょうがない。もっとはっきり言えば、都合良く勝手にデファクトスタンダード化するんじゃねーよ、と。

たとえば「鬼滅の刃のような漫画こそ、これからの時代の漫画だ」と発すれば、まァ、馬鹿にはされないだろうけど、そう上等なアタマを持ってるとは思われないでしょう。
何もアタシは鬼滅の刃を侮蔑しているわけではない。むしろこの状況下であれだけブームを作り出したことは称賛の気持ちでいっぱいです。
と同時に、先ほど<ブーム>という言葉を使ったことからもわかるように、それこそドラゴンボールほどの息の長いコンテンツになるのは難しいと思われるし、フォロワーとも言える作品が多量に生み出されるほど簡単な構造を持つ内容でもない。

このように鬼滅の刃のように一過性(と言うと聞こえが悪いけど)と誰でも理解出来るものなら話は早いのですが、では、これからの時代「マスク常時着用」が当たり前になる、となったらどうでしょう。
当然「これからの時代」なんていうくらいだから、コロナが収束するまで、などという短いスパンの話ではない。仮に収束に5年を要するとしても、5年程度なら期間的にはブームとさして変わりがない。
やはり、そこまで大上段に振りかぶって「これからの時代」というくらいだから、コロナが収束しようがなんだろうが、外出時にはマスクをするのが当然。コロナほどの疫病が蔓延してなくても、十分すぎるくらいインフルエンザを防御できる、ということなのです。

アタシはこのことが正しいとも間違っているとも思っていないし、本当にそうなるかもしれないとは思う。ただ、どうも、それでも「これからの時代」という言葉には違和感がある。
これからの時代、なんて後から振り返ったらほとんどが一過性のものでしかない。というのもたしかにある。
それよりも「過去の否定」のニュアンスが浮かび上がることの方が、何かそれは違うんじゃないかなぁ、と思ってしまう原因なんですよね。

これが「これからの時代は○○だから」「△△なので受け入れるより仕方がない」という文脈なら理解出来ます。しかし声高に「これからの時代」と叫ぶ大多数から「これが新しい考え方、やり方である」「この考えに同調できるものは正しい、同調しないのは理解できない旧時代の古い人間だ」というような選民意識を感じてしまう。
百歩譲る。それが本当に正しいこととしても、現時点で世の中でデファクトスタンダードになってない=<新しい>というのが本当に理解出来る。

問題は、こうしたことを叫びたがる輩のいう<新しい>、その内実は「かつて存在したが廃れたもの」というパターンが実に多いんですよ。
昨今のインターネットを使ったオンラインサロンも、ツールが新しいだけで手法としては使い古されたものでしかない。ま、ものすごく良く言えば「古臭い手法ではあるが、ツールを新しくして<新しい>っぽく見せることで、古典的な<やり口>を甦らせた」という感じかね。

意識的に「古典的手法を新しいツールで甦らせる」と思いながらやっているのであれば、別にいい。本当は良くはないけど、詐欺師的思考としては王道と言える。
しかし昨今、いろいろ問題になっている数名は、詐欺師的思考など微塵もなく、本気で自分のやり方は新しくて画期的だ、と思ってそうなところが怖い。

いつも不思議なのは、こういう人たちは何故歴史を学ばないだろう、と。
もし歴史を学んだ上で、それでもインターネットというツールを使い出したことは新しいじゃないか、と思うなら、それこそ救えない。そんなもの、ただの時代に合わせたアップトゥデイトじゃないか。
こんなアップトゥデイトは誰でもやってることだし、「あれって別に新しいことでもなんでもないよね。むしろ古典的な手法だよね」くらいは誰でもわかるはずなんですよ。本当は。

自分は新しいことをやってる、と信じて疑わない

ただの能力不足を「排他的で抑圧的な日本だから」抑えられている、と信じて疑わない

自分の能力を妄信し、自分にたいして否定的な人間を「自分がすごすぎて理解できないんだ」と信じて疑わない

もちろん「これからの時代」という言葉を、警告の意味を込めて正しく使っている方もおられると思います。しかし、どうしても選民意識がつきまとう言葉である、と留意して使う必要があるんじゃないか。
というようなことを頭の片隅に置いておくことこそ「これからの時代」のような気がするわけで。



そんなわけで、このエントリを含む「YSA」というカテゴリは、ちょうどアタシがnoteをやってた頃に「友人がテーマを出す→アタシが原文を書く→友人が手を加える」という形で別名でやってた新機軸を(これまた)noteで書いていたのですが、今回友人の承諾を得てYabuniraに含めることにしました。
ただし、友人が手を加える前の原文の状態にしてありますが、原文は一人称が違うし「だ、である」調なので、そこは全部直しています。
最初は「Yabuniraでは書けないレベルのギリギリの話」って感じのイメージだったのですが、だんだん差異がわからなくなり、そのうちアタシが自発的にお題を出し始めたりとかいろいろあって、結局1年も保ちませんでした。
ま、このエントリ自体からしてギリギリでもなんでもなく、幾度とYabuniraに書いてきた内容だったし、結局、別人気取りで書いても中身は一緒なので、似た内容になっちゃうんですよ。


倫敦巴里 インターネット パンデミック デファクトスタンダード ツール 過去の否定 アップトゥデイト 鬼滅の刃 2021年 YSA PostScript 全1ページ