某YouTubeチャンネルで日テレの某プロデューサーが「あれはもう、無理矢理にでも児島を引っ張ってきて、一緒に記者会見をやるしかなかった」と言っていた、なんてところから話を始めます。

コトとしては一年近く経つのに、まだ某多目的ヒューマンステージマン(現注・さすがに今見るとなんのことかわからないので実名を書きますが、要するにアンジャッシュ渡部建のことです)は許されていないし、昨年(現注・2020年)末の記者会見の失敗が痛かったとも言われている。
もちろんそうには違いないんだけど、あのタイミングで、あの<仕切り>での記者会見は正直難しすぎた。「失敗してください」と言わんばかりの環境が整いすぎていた。
仮に某多目的が上手い切り返しをして、記者連から笑いが起こったとしても、ではそれが成功か、となると微妙です。少なくとも「もう復帰しても問題ない」というムードにはならなかったと思う。

だから、某プロデューサーの言うとおりで、唯一の正解は「相方を同席させる」しかなかったと思う。逆に言えば、それ以外はすべて<失敗>にしかならなかったとも思う。
ただ、これを求めるのはものすごく難しい。
何十、何百の選択肢があって、正解がひとつしかない、もしそんなあみだくじがあったとして、アタシなら正解を選ぶ自信はない。
さすがにあみだくじは例として違うかもしれないけど、仮に当たりがひとつでも、選択肢の半分くらいは「正解ではないけど失敗でもない」なら、これはかなり気分がラクです。

「私、失敗しないので」なんて決め台詞のキャラクターがいましたが、生きていく中で「たったひとつの失敗も許されない」というのは不可能だし、そんなことを意識しだした途端、生き辛くなってしまう。
失敗はして当たり前なのです。もちろん某多目的のように「他の失敗は許されても、ここだけは絶対に失敗が許されない」という人生の勝負どころは誰にでもあるんだけど、そんなことは生きてる中で両手もあれば足りる回数しかない。あとは「あの時はそう思ったけど、今考えたらどっちを選んだとしても大差なかったな」というレベルでしかない。

つまり「失敗は当たり前、失敗した時にどうリカバリするか、どう失敗を次に活かすことができるか」が問われる。
自分だって失敗する、と思っていれば他人の失敗に寛容になれるし、世の中のほとんどのことが失敗前提で作られているのが理解出来る。
インターネット上のログインだってそうで、一回でもパスワードを間違えたら即アカウント停止、とかなら、そんなサービスは誰も利用しない。ちゃんとそれくらいは許容するように作られている。

そういえば自動車免許の筆記試験における「理不尽なほどの引っ掛け問題」がネットで話題になることがあります。
そもそも、本来は「ひとつでも交通法規がわかってなければ運転なんかしちゃいけない」はずなんですよ。だけれども100点を取らなければ筆記試験には合格しない、なんてことはない。90点取れば合格ということになっている。

問題の理不尽さを叩くのは簡単なんだけど、もしかしたら、こうした問題を混入させているのはエクスキューズの意味合いがあるのではないか、と思ってしまうんです。
理不尽さのない、真っ当な問題しかなければ、これは100点を取らないと許されないでしょう。
しかしミスをしない人間はいない。ならば、そりゃあ、間違えても当然だよね、という問題を入れることで「90点取れれば十分」ということになるからです。

作家の色川武大は人生を大相撲のひと場所に例え「9勝6敗を狙え」と説いていました。15番戦のうち6つは負けて、つまり失敗して当然という考え方で、かといって8勝7敗では寂しい。負けより勝ちがひとつしか上回らないからです。
が、9勝6敗なら3つ勝ち越したことになる。それを何場所か繰り返せば大きな貯金が作れる。むろん、この場合の貯金とは金銭のことではない。

失敗して当たり前、というのはネガティブ思考ではない。むしろ「トータルで勝ち越しゃいいんだよ」というような、ある種の楽観主義かもしれない。しかしこの程度の楽観を許容しなければ精神的に病むと思うのですが。



この「YSA」ってのは積極的に時事ネタも取り扱っていこう、ということで、たしか「渡部建の話」というお題で書いたと思うんだけど、結局は色川武大の話を持ち出して自分が得意な方向に寄せてますな。
ただ意外と内容は本家とダブりがないので、わりといい感じじゃないでしょうか。


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