幸いなことに、アタシの周りには潔癖症の人はいない。これは心底良かったと思っているのですが、そもそもそういう人をアタシが避けているということもあるはずです。

いや、別に潔癖症が悪いわけではない。というかよく言われるように、潔癖症というのはある種の強迫観念であり、いわば自分ルールが強い人、と言い換えることも出来るのではないか。
自堕落なアタシでさえ、自分ルールはある。というか自分ルールがない人なんていない。みんな、社会通念とは別の、何らかの自分ルールを持っていると考えるのが妥当です。

問題は自分ルールを他人さんに強要し始めた時です。
あくまで自分ルールは自分にしか通用しないはずなのに、そして他人さんには他人さんの自分ルールがあるのが当たり前なのに、周りの人たちを自分ルールに合わさせようとする。
もちろん、相手の自分ルールを尊重することは大切です。もし、たいしてこだわりがないことならば相手の自分ルールに合わせるのは大切なのも間違いない。
ただし、強要してはいけないのはもちろん、すごく時間がかかるということを留意する必要があるわけで。

家族などの同居人にたいしてはとくにそうした配慮が求められる。
血縁関係ならともかく、結婚だの同棲だのは元は赤の他人同士なのだから、お互いの自分ルールを理解し合い、すり合わせをし、合わせるところは合わせる、我慢できることは我慢する。そうした努力は当然のことで、長年良好な関係を築いている夫婦はそれが当然のようにできているわけです。
しかし、そんな人たちでさえ、すぐに出来るようになったかというと、まずそんな人はいないと思う。じっくり時間をかけて、時には衝突したりもしながら、また衝突しても簡単に崩れない強固な信頼関係があったからこそ自分ルールならぬ「パートナー間ルール」を構築できたのでしょう。

翻って考えてみた時、では信頼関係のない間柄で自分ルールへの理解が得られるか、これはどう考えても難しい。
逆の言い方をすれば、いくらこちら側に相手の自分ルールを理解しようと試みたところで、信頼関係がない以上踏み込めないところが多すぎて、真に相手の望むことを理解するのも、また難しいということになる。
結局はそれほど他人さんの真意をはかることも、自分ルールを共有し合うことも難しいという話なんだけど、このご時世、そんな話が通用しなくなってきているのではないか、と。

言うまでもなく新型コロナパンデミックにかんすることなのですが、不要不急の外出にしろ、マスクの着用、はさすがに徹底されてはきているけど、鼻出し装着は止めろとか不織布マスク以外認めない、ウレタンマスクは非難されて然るべきである、など、言い出したらキリがない。
こういう場合、科学的な根拠がどうとかも、あまり関係がない。そもそも現今、科学的根拠を謳う正反対なニュース記事が溢れているので、どの記事を読んだかで理屈が変わってしまうようでは、これはもう科学的根拠とは言えない。

よく言われることだけど、人間というのは「信じたいと思うものを無意識に信じてしまう」ものなんですよね。
俗にいう確証バイアスだけど、これも自分ルール同様、まったく確証バイアスを持たない人間など存在しない。そんなに人間、残念ながら公平な思考は持ち合わせていない。
ならば、自分は自分の信じる道を行けばいいのは当然として、間違っても他人さんに「正しい」を押し付けてはいけない。これだけは徹底しなければいけない。

しかし何が難しいといっても、他人さんに自分ルールを押し付けない、という自分ルールを押し付けられないことで、こればっかりは、根本的な解決策がないんですよねぇ。



2020年のコロナパンデミックは「ルックバック2020SPECIAL」たっぷり書いたのですが、翌年、つまりまだ収束にはほど遠かった2021年のコロナ禍についてはほとんど書いてなかったりします。
今回「YSA」を含めたことで、その辺りの補完になるな、と思ってみたり。


メンタル パンデミック からだ/コンディション 潔癖症 自分ルール 科学的根拠 バイアス 2021年 YSA PostScript 全1ページ