俳優の田村正和さんが逝去されました。享年77。
なのでこれから田村正和のことを書こうと思うのですが、あんまり有り体でないことを書いていきたいなと。
田村正和と言えば古畑任三郎が上がるのは当然だし、人によっては眠狂四郎をはじめとする時代劇、パパはニュースキャスターなどのコメディ、はたまたニューヨーク恋物語などの恋愛物を想起される方もおられるはずです。
ではアタシはどうかというと、まったく、そうした一般的なイメージと変わらない。どっちにしろこの人はテレビドラマの人である、ということには何の変わりもない。
しかし、その経歴を見れば、「時代が時代だから」テレビドラマの人になったに過ぎないと容易にわかる。
何しろ父親があのバンツマです。おわかりでしょうか。阪東妻三郎。戦前期から戦後期まで主に時代劇俳優として活躍した大スターだけど、時代劇以外にも出演しており、戦時中の「無法松の一生」での独特のエロキューション(発声法)は作品にリズムと迫力を与えている。
バンツマの息子たち4人のうち3人は、役者の道へ進んだ。息子たちはバンツマの本名である「田村」を名乗り、田村三兄弟とも言われた。
三兄弟の真ん中(兄弟全員では三男)が田村正和であり、もちろん、バンツマ同様、映画スターになることを期待されて芸能界入りしたのです。
高校在学中に松竹と専属契約を結び、俳優への第一歩を踏み出すものの、田村正和自身は千両役者とも言えたバンツマとは違い地味で、整ったルックスと地味な個性が噛み合わず役に恵まれなかった。
その後、テレビに転じてからの成功はここであらためて書くまでもないでしょう。
それよりも、ここまで書いたことでどうしても留意して欲しいところがある。
田村正和の経歴を長々と書いたのは、彼の資質はともかく、意識としては映画スターになるべくスタートした、という理由からです。結果としてテレビスターになっただけで、父親が大スターだったことも相まって、最後の最後まで、テレビ的なスターではなく、旧時代の映画的スターだったと思う。
テレビ時代のスターと映画時代のスターはまったく違います。主役と脇役には歴然とした、覆すのはほとんど不可能なほどの格差があり、いわば歌舞伎の世界と同じだった。
もちろんスターはいいことばかりじゃない。スターは死ぬまでスターであり、何があろうとも、仮にスキャンダルがあろうがスターでいなきゃいけない。
もし自らスターを降りたいと念じても、そう簡単にはいかないのは上原謙の例を見てもあきらかです。
だからスターはスターで苦しい。どんな時も、スター然としていなければならない。安易に私生活を見せることなどご法度だし、むろん撮影現場でもスターらしい振る舞いをしなければならない。共演者と(もちろん同性であっても)仲良くなることも極力避けた方が良い。もし交友をもっても「こっそり」やらなければいけない。
こうした考えはテレビ時代になって、次第にそぐわなくなってきた。スターぶらないスターが重宝される時代になった。フランクで、番宣でバラエティ番組に出ても笑いのひとつでも取れる、それがテレビ時代のスターの在り方、というふうになった。
そんな中、最後まで映画的スターを押し通したのが田村正和だった。
共演者ともあまり交友を持とうとしなかったのは有名ですが、ダウンタウン浜田が貴重な話をしたことがある。
「あの人、もともと関西の生まれ(京都)やから、普段は関西弁やねん」
なかなか「関西弁を話す田村正和」は想像しづらい。もちろんトーク番組に出てもそんなことはおくびにも出さずに、東京しか知らないような顔で佇んでいる。
ここまで「スターとしてのイメージを大切にする役者」はもういない。二枚目としてのイメージを大切にする役者は、かなり少なくなったとはいえまだいるけど、二枚目かどうかにはまったくこだわらず(でないと好んでコメディ演技はやらない)、でもスターイメージは何があっても守る、というのは「自分が最後の映画スター」という意識があったからではないか。
晩年の引き際も「最後まで映画スターイメージを守る」という意識の表れでしょう。
演技が上手い下手などは野暮な話です。そんなことより、ここまでプロに徹した田村正和に心から哀悼の意を送りたい。合掌。

