これこないだ軽く振ったんでね、ちゃんと書いておこうかなと。まァ誰も気にしてないだろうけどさ。

あくまで世間一般のイメージで言えば、やはり中島みゆきと言えば恋愛ソング、いやもっと言えば失恋ソングの中島みゆきだと思う。
アタシは別に中島みゆきフリークではないし、もしたしたら看破されてる方もおられるかもしれないけど、それでもね、中島みゆきの楽曲を何十年聴き続けてきて、本当に思うのは「この人、恋愛にしろ失恋にしろ、たいして興味ないだろ」ということなんですよ。

これ、別に中島みゆきのプライベートとは関係ない。たしかに結婚歴はないけど、それはどうでもいいし、現実の中島みゆきがどれだけの恋愛(と失恋)を重ねてきたのかも関係ない。
でも、たしかにそういう楽曲が多いのもたしかなのですが、もしかしたらこれは「売れるため」の要素でしかなかったのではないかと。つまり自分の描きたい世界観の歌詞ではたいして売れない。でもそこに恋愛要素を加味したら、もっと大衆の興味を惹くんじゃね?みたいな。

よくよく考えると、この人が最初に知られた楽曲が「時代」なんですよ。
「時代」は「そういうふうに取れなくもない」というレベルでしか恋愛要素はない。つか出だしの「今はこんなに悲しくて」の理由は何も描いていない。ま、失恋だったのかな、くらいの推測は成り立つっちゃ成り立つけど、正直失恋だという証拠はその後の歌詞には出てこない。(途中の「別れた恋人たちも」というのはただの一般論だし)

以降、中島みゆきはどんどん恋愛要素を強めることになるのですが、半ば「ギャグとしての失恋」だったり(例「わかれうた」)だったり、別にそれ失恋じゃなくても成立しないか?みたいなものが大半なんですよ。
で、本題の「孤独の肖像」になるのですが、これも「建前上は」失恋ソングになってるけど、別に失恋じゃなくても構わないんです。何故ならここに描かれているのは「打ちひしがれた<心>」なんだから。

ココに「完全にネタとして」、左卜全や高堂国典のような「にんげんっ!」って顔の人がいなくなった、みたいに書いたのですが、もちろん見た目の話じゃなくてね、結局中島みゆきが終始描こうとしていたのは「にんげんっ!」なんですよ。
これ、間違っても「人間」じゃない。もっと泥臭い、そして思ったよりも力強い「にんげんっ!」です。ここは本当に重要です。

若い頃は<売れる>ためもあったろうし、年齢的に色恋を歌ってもおかしくなかったので表層は恋愛モノに偽装してたけど、歳を重ねる毎に、そして絶対的な地位を確立したことで、そんな偽装をしなくても良くなり、中島みゆきのきわめて高い「にんげんっ!描写力」がどんどん全面に出てきた。
つかね、中島みゆきがあれだけ息が長いのは、あの人がたんなる色恋歌手じゃないってことですよ。

こう書くと色恋歌手を馬鹿にしてるみたいだけど、そうじゃない。あれはあれで才能が必要で、才能だけでなく「歳を重ねた後でどうするか」という難問を解決しなきゃいけない。とくに女性の場合はそこが非常に難しい。
実際、色恋歌手からの転身を図ろうとして失敗したなんて例は数限りなくある。誰とは言いませんが。
しかし中島みゆきの場合、そもそもの色恋歌手という姿が偽装というか「かりそめの姿」だったので、そうした苦労はほとんどなかったと思しい。むしろ、やっとこれで本来の、自分がやりたかった世界観を描ける!という感じじゃなかったのか。


「孤独の肖像」は、いわば色恋歌手時代の後期の楽曲だけど、これ、失恋というか愛する男性を失った悲しみというよりは、どちらかと言うと「親から愛情を受けられなかった子供の悲しみ」に思えてしかたがない。つまり「なくした」のは男性ではなく「唯一庇護してくれたおじいちゃんもしくはおばあちゃん」のような存在ではなかったか。
たしかに失恋は悲しいことかもしれないけど、失恋=孤独ではない。しかし親の愛情を受けられなかった子供は本当に誰にも頼れる人がいない。そんなの、こと「孤独」という意味では失恋なんかとは次元が違う話です。

実際、「孤独の肖像」で描かれる歌詞は、そんな失恋なんて甘っちょろいもんじゃない。もっと状況は絶望的であり、とくに「僕が側にいると(中略)囁いて それで(中略)少しだけ眠れる」という箇所ですよ。
それで「熟睡出来る」わけじゃない。「少しだけ」眠れる、んですよ。
つまり誰かに「囁いてもらった」=言葉だけでは心底信用は出来ない、だから「少し」だけ、という。

こんなの、もう本当に実際に絶望の淵に立たされたことがある人間でなければ描けない。
もう一度言いますが、中島みゆきがどんな恋愛遍歴を重ねたのかは知らないし興味もない。しかし「人間」というものにきわめて強い興味を持ち、しかも人間というのはここまで精神的に追い込まれることがあるのか、そして、にもかかわらず、それでも立ち上がろうとする力強さがあるのか、というのは体験してると思う。つかこれは体験が伴ってないと描けない。つまり何らかの他の歌詞やフィクションから影響されたくらいでは無理だと思うわけで。

今後も「人間」を描写することに長けたソングライターは登場すると思うし、また登場しないわけがないと思うけど、中島みゆきほどの「人間」ではなく「にんげんっ!」を描く人が登場するかというと、それはなかなかね、難しいような。