さァ、いよいよ第6戦、日付で言えば2003年10月26日ですが、当日の<個人的な記録>としてはありません。

 いや一応はこの日の日記は残ってはいるのですが、福岡ドーム(現ペイペイドーム)にどうやって、というかどういう気持ちで向かったのか、そして球場に入ってから、さらに試合中、試合終了後の気持ちまで、事細かに記しているわけではないのです。
 となると、いわゆる「記憶を紐解く」という作業が必要になる。正直、メチャクチャ憶えているわけではないのですが、何とかやってみます。

 Page3で引用した箇所からもわかるように、第6戦のチケットを手に入れたのは、まァ偶然です。とある友人が博多駅からほど近いヨドバシカメラの福引きで当てたのです。
 Eは福岡在住ですが、福引きを当てたのはEではない。アタシとEの共通の友人のRという男です。
 Rはまったく野球には興味がない。でもアタシやEが野球好き、とくに大の阪神贔屓ということは諳じていました。
 チケットは2枚。ま、各々の予定はわからんけど、とにかくEとアタシに声をかけてみよう。もしふたりが行くというのなら快く2枚とも譲ろう。Rとしてはそんな感じだったらしい。

 10月16日、アタシはEからこの話を聞いたのですが、正直、最初に聞いた時は遠慮しようと思ったのです。
 その辺の詳しい話はココを読んでいただきたいのですが、まずは日本シリーズが終わった翌日から奄美大島に行く予定だったこと、ふたつめは、すでに退職が決まっているとはいえ第6戦が行われる予定だった10月25日は最後の出社予定日で、さすがに当日東京→福岡の移動は無理なこと。
 そして最後は、これは本当、微妙なファン心理なんだけど、自分が観に行くことで負けたらどうしよう、と。
 けして「負け試合を観たくない」じゃないんですよ。それよりも、自分が観戦することによって<流れ>が変わって、というね。
 もちろんそんなことはあり得ないんだけど、「もし自分が疫病神だったら、せっかく上手くいってるのに」とか考えてしまうのは典型的なネガティブファン思考でしょう。

 だから気持ちの面でもスケジュール面でも消極的にならざるを得なかった。
 そうした心根を反転させたのは「星野仙一勇退」のニュースがあったからですが、スケジュール面での一番の懸念だった退職予定日が約一週間早まって10月17日になったのが大きい。つまり第6戦のチケットがあるんだけど、と聞いた翌日に突然話が変わったわけです。
 奄美大島行きにかんしても、ま、同じ九州じゃないか、途中で福岡にちょっと寄るだけだ、と気持ちのカタをつけた。

 アタシが福岡に乗り込んだのは10月25日です。
 たしか博多駅そばのカプセルホテルに泊まったはずです。少なくとも試合の当日は確実にカプセルホテルに泊まってる。
 翌日。
 まずは昼過ぎにE宅のところに行き、そこから一緒に福岡ドームに向かう予定になっていた。
 E宅に行くと何故かEの両親がいる。Eの両親とは旧知でしたがアタシは驚いた。何でいるんですか?と。

「何でって、そら福岡ドームに行くためやろ」

 Eの両親はアタシやEと同じく熱狂的な阪神贔屓でして、我々とはまったく別ルートでこの日のチケットを手に入れていたのです。
 こうして、私とEのふたりの予定がEの両親を伴って4人で百道浜にある福岡ドームに向かったのです。
 福岡ドームに着いた。
 しかしそこにあったのは、野球場特有の<ワクワク感>ではなく、何とも言えない<重い空気>が流れていた。ホークスファンからも、タイガースファンからも。
 その日、最初にホークスファンが湧いたのは両軍の先発投手が発表された時です。(この年はまだ予告先発ではなかった)

「阪神タイガースの先発投手は、伊良部秀輝」

 もうね、うわーっ!!じゃなくて「ヴワーーーーッ!!!」ですよ。
 そりゃそうです。ホークスは第2戦の、同じ福岡ドームで伊良部を滅多打ちにしてるんだから。「伊良部相手なら、勝てる!」そう思われるのもしょうがない。
 伊良部はシーズン後半からあきらかに調子を崩しており、シーズンではほとんど先発のなかった福原忍の方がいいんじゃないか、とは阪神贔屓の間でも言われていたんです。
 アタシとEは顔を見合わせて、お互い同じことを言った。

「星野やなぁ」

 いくら調子が悪くてもシーズンでの貢献度が高い伊良部を先発から外すなんて、少なくとも星野はしない。そう睨んだ通りだった。
 普段は非情なクセに、ここ一番で変な温情を出してしまうのが良くも悪くも星野って人で、だから日本シリーズには幾度となく出場しながら日本一には届かなかった。
 余談だけど、そうした温情を封印出来たのが楽天の日本一へとつながった理由だと思う。

 さて試合ですが、かなり早い段階でワンサイドになってしまった。ホークスファンの「伊良部なら打てる」という希望がそのまま形になって表れたんです。
 ここで第6戦のスコアを。


【第6戦】
10月26日(日)◇開始 18:15 (2時間59分)
福岡ドーム ◇入場者 36,188
阪 神000 100 000-1
福 岡201 001 01X-5
勝投手杉 内 ( 2勝0敗 )
敗投手伊良部 ( 0勝2敗 )
セーブ岡 本( 1S )
本塁打[神]桧山 1号(4回1点杉内)
本塁打[ダ]井口 1号(1回2点伊良部)、バルデス 3号(8回1点石毛)



 こうして見れば意外と「ワンサイド」って感じはしませんね。
 しかし球場で観戦した限り、阪神が杉内を打てそうな気配は微塵もなく、点差以上の重苦しさがあったのは事実です。
 ただそれ以上はほとんど憶えていない。
 試合終了後、Eの父君がよくわからない人物から次の日(つまり第7戦)のチケットを購入しようとしていたこと、帰りの道すがらEの母君が(阪神が負けたから)プリプリ怒っていたこと、その後4人で焼き鳥屋に行き、Eの父君が元阪神の谷村の話を延々してたこと、etc・・・。

 焼き鳥屋をあとにして、アタシは再び博多駅そばのカプセルホテルに戻った。
 ここでこの日の日記。書き出しからもわかるように次の日に執筆したようです。

2003年10月26日
昨日は一阪神支持者としては残念な結果になってしまったが、人生のワンシーンと考えるなら、明らかにプラスとなる一日だったのではないか。
野球ファンという見地からみれば、<最高の日本シリーズ>とは<両チームのファンからしても最高と感じることができるシリーズ>だということに気付いた。
本来このシリーズは、どちらかというと、ダイエーのための日本シリーズだったと、福岡にきて実感させられた。地元のスポーツ紙(西日本スポーツ)で、日本シリーズの結果と平行して、いかに球団の経営状態が予断をゆるさないかを記事にするとはとても尋常とは思えないからで、そこに「来年はダイエーホークスがなくなるかもしれない」という、福岡市民の危機感がある。
戦力的に考えても、今年活躍した和田や斉藤はいつメジャーにいくかもわからず、当然大型補強も期待できず、数年先を考えれば甚だ不安といえる。
それにひきかえ阪神はといえば、かなり見通しは明るいはずだった。
星野仙一のもと補強を重ね、巨人とともに楕円の軸になっていく<予定>だった。
しかし星野退任によってすべて泡と化した。ただ、星野阪神物語を完結させるには「日本一」というエンディング以外考えられず、阪神のためのシリーズにもなってしまった。(そのかわり楕円の軸になる可能性がなくなってしまったが)
そして
3勝3敗になった。がっぷり四つ。両チームとも地の利を活かした野球をし、まさにお互いにとって最高の日本シリーズになったように思う。
個人的なことでいえば
球場やホテルのフロントにいたダイエーファンと「おたがい明日がんばりましょう!」と手をとりあうことができた。福岡に足を踏み入れて早や6年になるが、こんなことははじめてで、またそれがプロ野球を通じて、というのがそこはかとなくうれしい。
きのう負けたのは非常に残念だ。目の前で星野監督の胴上げをみたかった。Fさん(Eの父君)とも手をとりあってよろこびたかった。でも、それでもこれでよかったと思う。
いよいよ今日。どっちが勝っても明日はない。勝ってほしい。なにがなんでも勝ってほしいと思う。でも勝てとはいわない。ただもう、阪神も、そしてダイエーも、すべてを出し切って戦ってほしい。



 第7戦はE宅で観戦しました。が、こちらこそまさしくワンサイドになったので、いきなりスコアを書いてしまいます。


【第7戦】
10月27日(月)◇開始 18:15 (2時間47分)
福岡ドーム◇入場者 35,963
阪 神000 010 001-2
福 岡203 001 00X-6
勝投手和田( 1勝0敗 )
敗投手ムーア( 0勝1敗 )
本塁打[神]関本 1号(5回1点和田)、広澤 1号(9回1点和田)
本塁打[ダ]井口 2号(3回2点ムーア)、城島 3号(3回1点ムーア) 4号(6回1点リガン)



 日本シリーズが終わった直後からアタシは予定通り、奄美大島に行ったのでが、10月31日、奄美大島で執筆したエントリを再掲したいと思います。これも再掲としては初蔵出しです。
ではどうぞ。

戦い終わって(自分の中で、やっと)(2003年10月31日更新)

ふぅ。やっと、なんとかかんとか、気分が落ち着いてきたというかね。まぁふつうに書けるんではないかねぇということで更新する気になったんですけど。

私にはずっとある妄想がありましてね。

「ドラえもん」の第6巻に載っている「さよならドラえもん」ね、読んだことある人も多いと思うんですけど。
読んだことのない人のために軽く説明すると、ドラえもんが未来へ帰ることになって、理由はよくわかんないんですけど、まぁたぶんウラでいろいろあったんでしょうね、とにかく帰るというんですね。
それでのび太も最初は引きとめようとするんですけど、でもやっぱり無理で。
ドラえもんとしても、帰ることになったものの、やっぱりのび太が心配なんですよ。
で、こういう所がのび太のエラいところなんですけど、強がってみせるんです。宿題もちゃんとやる。ジャイアンにいじめられてもやりかえしてみせるって。

それからいろいろあって、のび太とジャイアンが決闘することになるんですけど、当たり前ですけど、のび太はボロボロにやられる。

いつもののび太なら、ドラえもんに泣きついて終わりですけど、違うんです。必死にジャイアンに食らいつく。殴られても殴られても、それでもジャイアンにしがみついていくんです。
ここでのび太がいうわけですよ。

「僕が勝たないと、ドラえもんが安心して未来へ帰れないんだ!」(うろ覚え)

もう執念ですよね。その執念に圧倒されたジャイアンは、とうとうのび太に降参する。
そこに助けにきたドラえもんに、ボロボロののび太はこういうんです。

「勝ったよ僕」
「これで安心して未来に帰れるだろ?」

これね、ドラえもんを、 星野監督、のび太を今岡だと思って読んでみてください。

「阪神が勝たないと、星野監督が安心して辞めれないんだ!」

くだらないかもしれないけど、私は本当に阪神とドラえもんを重ねあわせてみていた。そしてボロボロになった今岡が星野監督に

「勝ちましたよ監督」

ということになると信じていた。

けどそうはならなかった。
ドラえもんは子供のためのメルヘンだけど、阪神は大人のメルヘンだった。
阪神の支持者にとっては残酷極まりない結末でしかなかった。

ただ、これだけはいえると思うんです。今岡は必死に<あの時の>のび太になろうとしていた。死にもの狂いで勝とうとしていた。
あのセーフティバントを見た時、私は本気でそう思ったんです。

私はずっと阪神の支持者だったんですけど、近年は正直冷めかけていたんです。私に感動を与えてくれるプレイヤーは、カズ山本であったり、秋山であったり。
阪神の選手はというと、さっぱり感動をあたえてくれない。
「俺、なんで阪神支持してんねやろ?」と疑問に思うこともしばしばでした。

でも2003年は違った。

もちろん優勝した、というか強かったということもあるとは思うけど、それ以上にひとつひとつのプレーに何度となく感動させられた。あえて個人名をあげるなら、片岡、金本、藤本、そして今岡・・・。
阪神ナイン、星野監督をはじめとするスタッフみなさん、本当に感動をありがとうございました。あなたたちのおかげで、もっともっと野球が好きになりました

そしてダイエーナイン、ダイエー贔屓のみなさん、日本一おめでとうございます。5戦以降福岡に滞在し、ダイエーファンを目の当たりにした私としても素直にうれしいんです。
変ないい方ですが、阪神が負けたのは悔しいけど、ダイエーが勝ったのはうれしい。わかっていただけますか?

最後に阪神を贔屓するすべての人へ。
ダイエーを卑下したり侮辱するようなことは絶対にやめてください。あなた方が阪神を愛しているのと同じように、ダイエーを贔屓する人たちはダイエーを愛しているのです。

第6戦が終わった後、私は球場内やホテルのロビーで、何人ものダイエー贔屓の人たちと

「お互い明日はせいいっぱい頑張りましょう!」

と手を取りあいました。だから彼等の気持ちはわかる。彼等も私たちの気持ちがわかるはずです。
阪神には<星野退任>という動かせない事実があるように、ダイエーの場合、最悪<球団消滅>の可能性さえあるのですから・・・。


・・・しかし・・・球場内はともかく、なんでホテルのロビーでまで、私が阪神贔屓ってバレたんだろう。一切阪神関連グッズとか持ってなかったのに・・・。


 2003年当時、アタシは二階堂という焼酎のCMにハマっていました。
ノスタルジックの咀嚼が見事で、某三丁目の夕日(の映画)よりもはるかに郷愁へ誘ってくれる傑作CM群なのですが、中でも1998年制作の「刻の迷路篇」はとくに素晴らしい。
 このCMの中にこんな言葉が入っています。

物語は今も続いている。

 この長大なエントリのタイトルは「星の去る音」としたのですが、誰にも気づかれることなく静かに進行し、そして日本シリーズの直前になって轟音を轟かせ、最後は実に、静寂の中で星は去っていった。
 元巨人軍の球団社長だった清武英利が2020年に執筆した「サラリーマン球団社長」という書籍は当時の阪神タイガースの球団社長だった野崎勝義と星野仙一との関係が克明に記された好著です。
 野崎が星野から退任したい、と聞いた時の動揺と、そこに久万オーナーが絡む人間模様は強烈ですが、様々な駆け引きがあったにもかかわらず、星野退任はギリギリまで外部に漏れなかった。
 その結果として退任発表の瞬間の轟音以外は、阪神タイガースという球団にあるまじきレベルで静かに進行して静かに幕を閉じたのです。

 あまりにもいろんなことが静かすぎたせいか、どこか信じられないところがアタシにはありました。
 もう星野仙一が逝去して数年が経っているのに、いまだに、あの結末はウソなんじゃないか、もしかしたら阪神はあの年日本一になって、翌年も星野が指揮を執っていたのではないか。
 しかし当然、現実はそうではない。
 だから、いまだに、あの物語が今も続いているような気がしてしょうがない。二階堂のCMのように、出口のない刻の迷路に迷い込んだような気がしてしょうがない。

 それはけして、今後阪神タイガースが日本一になったとしても解消されることはないと思う。(現注・2023年度、阪神タイガースは見事日本一に輝きましたが、やはり「2003年は特別だった」という想いは拭えておりません)
 2003年のあのメンバー、今岡がいて、赤星がいて、金本がいて、桧山がいて、アリアスがいて、片岡がいて、矢野がいて、藤本がいて、井川がいて、伊良部がいて、ムーアがいて、下柳がいて、金澤がいて、久保田がいて、球児がいて、吉野がいて、リガンがいて、安藤がいて、ジェフがいて、広澤がいて、関本がいて、濱中がいて、八木がいて、島野がいて、田淵がいて、そして

監督が星野仙一の阪神タイガース



 が、日本シリーズで勝たない限りは、アタシが死ぬまで、物語は続くような気がするんです。






ま、ここまでお読みいただいた方がどれほどおられるかわかりませんが、これだけの長文になるってことはアタシの中で星野仙一という存在が如何に大きいかの証明になっていると思います。
あと、このエントリは当時の日記から野球関連のことを拾いまくったのですが、いやぁ、これはしんどかったわ。いや、これは星野仙一のエントリなんだから、こうか。
ああ、しんどかった!


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