Page3もまずは奄美大島2日目の日記より。

2003年10月30日
夜より昼寝の方が熟睡できるというのは、枕が悪いんかなぁ。起きたら頭痛いし。いや、頭痛の痛さやなくて。
昼まで眠り、そこから行動開始。モスで遅い朝食をとった後、ダイエーにて靴下購入。
余談だが、ダイエー横にベスト電器があるのを発見。スカパーチューナーが普通に売っているところをみると、受信は問題なさそう。
その後本屋で奄美関連の本購入。その本屋で、子猫をもらってくださいと張り紙のはった段ボールの中に、かわいい子猫が2匹いる。もし俺が引っ越していたら、速攻もらっていたことだろう。
いや、なんにしろ、こういう光景は久しぶりにみた。そして、どうもこういうのに弱いねんなぁ。
明日からの宿探し(現注・○○荘という民宿は2日間しかとれなかった由)。購入した本から安い順に電話をし、やっと一軒空きを見つける。少し市街地から遠いけど、まぁええわ。
ここから本格的に行動開始。
まず県庁大島支部へ行き、県営住宅の空き状況を確認するが、なんと全戸2年待ちということで、これはさすがに断念する。
17時より、市役所にて再度話を聞く。いろいろ資料をもらい、Iターンの実情を聞く。
市役所でもらった資料をもとに(資料といっても電話帳をコピーしたものだが)3件広告関連の会社に電話をし、2件でアポがとれる。
その内1件は、今からなら時間がとれます、とのことだったので、さっそく訪問する。
訪問先のK社、おもに映像を手がける代理店のようで、少し畑は違うのだが、いろいろ聞いてそれなりに参考になる。しかし急な訪問だったので、こちらもなんにも考えずに訪ねたのはまずかった。明日のアポはもっと考えてから行こう。
本来こういった営業的な行動は苦手だ。でもそんなことをいっていられない実情もあるわけで。ま、ある程度はできる自信はあるけどね。
夕食は鶏飯をいただくつもりが、目的の店が見つからず、ふつうの定食屋ですます。ただし味はよかった。
民宿に帰った後、またしても熟睡。よっぽど疲れが溜まっているのか、それとも夜ちゃんと寝れていないのか。どっちにしてもここは昼夜で寒暖の差があるので注意しなければ。
明日はさらに行動を活発化させる。
まずは新聞社と印刷屋回り。夕方からは今日とったアポ。すっかり忘れていたが、3日までは土日祝に入ってしまうので、特に官公庁関係は明日行動してしまわないとマズイのです。


 いやぁ、結構結構。実にアクティブに動いておりますな。
 これは「何がなんでも奄美大島に住みたい!」という気持ちというよりは、直前に見た日本シリーズでの今岡誠の気迫溢れるプレーに感化されてってことが大きい。
 やれることは全部、死にものぐるいでやるんだ。そんな今岡誠の姿を見せつけられて、アタシもせっかく奄美大島くんだりまで来たんだから、持ってる能力を全部出し切ってしまおう、と思ったのです。

 日記にもあるように、本来この手の飛び込み営業的なことは大の苦手で、そもそもアタシは人見知りが激しい。
 だけれどもこの時ばかりは違った。
 いくら今岡誠の影響があったとしても根本は変えられないんだけど、何故か奄美大島では出来たんです。
 というのもね、それは翌日、10月31日の日記にその理由が書いてあります。

2003年10月31日
奄美滞在三日目。活動時間そのものは短かったものの、それなりに充実した一日だったと思う。
○○荘、本日でチェックアウトのため、9時起床。先約がおりシャワーは断念するが、順調に身支度を整え、10時出発。
荷物を港のコインロッカーに預け、ジョイフルにて遅めの朝食。
食後、さっそく新聞社にテレコール(苦笑)をするが、まったくさっぱり。ま、こんなもんではないでしょうか。
ジョイフルを出て、バスに乗り大和村役場へ向かう・・・と書くとさもあっさりたどり着いたようだが、これが苦難の連続。
適当に飛び乗ったバスは途中から大幅に道が逸れ出し下車。それから適当な(適当ばっかりやけど)停留所をみつけ、まつこと30分。やっと大和村行きのバスに乗車できた。
バスにゆられること40分。かなりクネクネ道だったので若干酔ったもののえっちらおっちら到着する。
役場の人、すごくよい対応はしてくれたのだが、正直行くまでもなかった。空き住居がまったくないとのことだし、なによりいくらなんでも名瀬市街から遠すぎる。
滞在時間わずか30分で、再びバスで名瀬へ。
夕方まで時間が空いたので、御殿浜公園にてランチを食べつつ時間を潰す。
ここの公園は実によい。海のそばということもあるだろうが、窮屈さがまったくない。それに集まる人もすこぶるよい。今日も、高校生らしき男子数人と小学生が野球をして遊んでいる。
こういう光景はずっとみていなかった。昔はあったかもしれないが、高校生と小学生が一緒に遊ぶというのは、ここの人たちにしてみればさして変なことではないのだろうが、やっぱりいい。
アポは18時になったが、予定通り□□氏の事務所を訪ねる。
はっきりいってかなりタメになる話で、実情と可能性を熱っぽく話してくれる。
この島の人たちはスゴイなぁと思う。どこぞの馬の骨かわからんやつが訪ねてきてもキチンとした対応をしてくれる。□□氏はかなり忙しい人のようだが、それでも時間をつくってくれる。
夕食は商店街のはずれの店にて。(店名失念)初めて鶏飯を食ったが、まぁまぁ。あれは名物というより、ふつうの食卓にでてきた方がより旨く感じるもんじゃないでしょうか。
食後、タクシーで△△△荘へ。普通の一軒家をそのまま民宿にしたところで、内装はかなりキレイ。あんまり頻繁に外出できなそうだが。
あと県体のソフトテニスの選手団といっしょ。変ですな。
こっちにきて不思議なこと。

・ やたら「選手?」と聞かれる。こんなブヨブヨのおっさんが選手なわけなかろうて!
・ こっちでは、見知らぬ人と話すことがさっぱり苦痛でない。タクシーの運ちゃんともしゃべるし、アポ電も平気。どうしたのかしらん。よっぽどこっちの人がしゃべりやすいのか、俺が変なのか、それとも博多からの流れなのか?
・島のことば、どちらかというと博多弁に近い
・よー、セミ鳴いとるよ。昼間は日差しがめちゃくちゃ強いよ。おかげで顔がヒリヒリするよ。たぶん初めてきたん何月やっけ?って絶対なると思う。それくらい季節感が変。



 『こっちでは、見知らぬ人と話すことがさっぱり苦痛でない』とあるように、はっきり言えば、とにかく奄美大島の人たちがみな、すごく話しやすかった。だから電話でアポをとったり、アポ先に訪ねたり、どころか街の人たちと「ごく普通に」喋ることが苦痛ではなかった。でも楽しいとも違う。何というか、それが<自然>というか。
 東京でのアタシが会社での人間関係に疲れ果てていた、とこれまで書いてきましたが、会社の人たちに限らず、ちょっと、人間として理解に苦しむ、とんでもない応対をされたことは一度や二度ではない。そんなことを繰り返すうちに、ただでさえ人見知りのアタシはどんどん消極的に、また卑屈な人嫌いになっていってたのです。
 そうした不快な思いをすることが、奄美大島ではまったくなかった。
 前日訪ねたK社の人も、この日訪ねた□□氏もそうで、ほとんど飛び込みに近い形で訪問したのに、嫌な顔をまったくせずに応対してくれた。日記にあるように、どこの馬の骨かわからんヤツにたいして、誠実に、そして時には熱っぽくアドバイスをしてくれる。

 もちろん、突き付けられた現実はきわめて厳しいものだった。でもそれは、奄美大島というきわめて特殊な事情、例えば賃貸物件を借りるためには島内在住の連帯保証人がいるなど、なだけで、アタシのような「Iターンで奄美大島に移住したい」という気持ちをハナから否定したり、馬鹿にしたり、そういうことはまったくなかった。とにかく、少なくとも「気持ち」だけは全力で受け止めてくれた。

こんなこと、東京でサラリーマンをやってた時は一回もなかったな・・・

 もう一回言います。
 現実は厳しかった。散々アポをとって、いろんな人に話を聞かせてもらって、本当に親身になってもらってアドバイスしていただいて、その結果、奄美大島に移住するのはほぼ絶望的、と判断せざるを得なかった。
 でも、何といったらいいのか・・・。
 Page2で書いたように、勤めていた会社を辞めた時点で、すでに少し、奄美大島への関心が冷めかけていた。「辞めた」って現実だけで開放された気分になってたし、わざわざ奄美大島に移住しなくても、という気持ちももたげてきた。
 もっと言うなら、アタシは大の都会好きであり、また大の田舎嫌いの人間です。んなもん、冷静に考えたら奄美大島なんかよりも東京のがいいに決まってるじゃないか。
 そんな、実に中途半端な気持ちの状態で、さらには日本シリーズのショックを抱えて、アタシは奄美大島に到着したのです。

 ところが実際に来てみて、すべての面で想像を超えていた。
 奄美大島に興味を持つ<きっかけ>となった名瀬の商店街は実に素晴らしかったし、日記にもあるように「小学生と高校生が一緒に野球をやって遊んでいる」とか、仔猫のこととか、いろいろ細かく気持ちを揺さぶられるものがあった。ついでに最終日の日記から一部引用しておけば

2003年11月2日
商店街で会ったガキども、おもしろい。なんかなぁ、こんなんばっかりやな。やっぱりここの島の人は、他の地域の人と比べて、根本的な<なにか>が違うような気がする。当然いい意味で。
ひとことでいえば、なにか、非常に<生>っぽい。<生>の人間がそこにいる。
民宿のおばちゃんがいっていたように、「奄美の娘はええよ。純粋やし」というのはわからないが、たとえ表面はヒネていても、内面は純な気はする。


 あきらかに奄美大島は人と人とが近い。しかし、その近さがまったく嫌ではない。どれだけ近くてもすべてをごく自然に受け入れることが出来る。
 しつこいけど、アタシは本当に人見知りなんです。しかもたんなる人見知りなだけじゃなくて、はっきり言えば人間関係が面倒くさすぎて嫌いな人間なんです。
 そんなアタシでさえ、当たり前のように溶け込める。しかも<ゲスト>的にではなく、そこにいるひとりの人間として。

 奄美大島に着いた初日の時点では、やれることはやろう、とは思っていたけど、本心は「移住出来るかどうかはどうでもいい」って感じだった。理由はさっき書いた通りです。
 しかし、奄美大島に滞在するうちに、また気持ちが変わった。大の都会好きのアタシが、です。

 たしか帰路につく前日だったか、夜、夕食を食べに出掛けて、小学生と高校生が野球をやってた御殿浜公園にやってきた。


 もちろん時間も遅いので誰もいない。すでに当りは真っ暗だったし。
 泣けてきた。悔しい。本当に、ここは、アタシにとっては楽園だったかもしれない。もう南の島とか逃避とかどうでもいい。商店街でさえどうでもよかった。

ただただ、こんなふうに、ごく自然に、街の人たちとふれあいながら生きていける場所に、ずっと住みたかったんだ・・・
でもそれは、不可能に近い・・・


 鹿児島行きのフェリーのデッキに出た。
 もしかしたら、アタシはとんでもない不遜な考えだったんじゃないだろうか、と考えを巡らせた。
 あんないい場所に、<逃避>目的で移住しようなんて、あまりにも失礼なことだったんじゃないか。もし、もっともっと純粋に、奄美大島に憧れていたら、奇跡が起きたんじゃ、と。
 いやね、今なら、もうちょっと<やりよう>はあったと思うんですよ。でもそんなの言っても始まらないし、そもそも奄美大島でのアタシは自分でもおったまげるくらい、限界突破サバイバーのアクティブさを発揮して行動したんだから、当時のアタシではあれ以上無理なのは間違いありません。
 だから、奄美大島に移住出来なかったのは悔しかったけど、悔いはない。「悔しい」も「悔い」も同じ<悔>って字だけどさ。

 話を戻します。というかここからは令和の今の話です。
 もう移住は一切考えていませんが、いつかまた、奄美大島に旅行で行きたい、とはずっと思っていました。
 なのに、あれからずいぶん月日が経ったのに、まだ一度も行ってない。
 何というか、変な話だけど、まだ胸を張れない。奄美大島には住めなかったけたど、ちゃんと立派にやってますって報告をね、もちろん誰に、じゃないですよ。奄美大島という島全体にしたいのに、まだそうなってないから行けないのです。

 いったいいつになるのかね。でも必ず行くから。今度は失礼のない気持ちでね。






奄美大島に移住を考えた経験談を「決別に花束を」の続編として、スタイルも完全に「決別に花束を」仕様にしてリライトしよう、とはずっと思っていたんです。
つまり、元のエントリであった沖縄の話を取っ払って(というか別エントリに分離して)、「決別に花束を」「星の去る音」同様、当時の日記を随時引用しながら書き進めるという感じにしようと。
つまりこのエントリは「決別に花束を」だけでなく「星の去る音」の後日談でもあり、2003年三部作の終章でもあります。って結局奄美大島には移住出来なかったわけで、この後、一時的に生まれ故郷の神戸に戻ったアタシに、さらなる苦闘が待ち受けておりました。ま、それは文章化する予定はないけどさ。
2021年10月からの一時期、サイト名を「やぶにら2003」(現在はYabunira)に変更していたように、もっと2003年という年にこだわっていきます。これで体験三部作は終わりだから別の形にはなるけどね。


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