約3週間前に来た時と、何ひとつ変わっていない。ただひとつ違ったのは桜が咲いてたことくらい。
 これが人生二度目、2ヶ月連続でロンドンに着いた時の感想です。

 Page2でも触れましたが、この時は妹宅には泊まってない。ロンドン市内にあるホテルに泊まった。
 別に名前を出しても問題ないだろうから出すけど、アタシが宿泊したのはピカデリーラインのラッセルスクエア駅から徒歩3分くらいのところにある、ロイヤルナショナルホテルです。
 名前だけならエラく高級そうなホテルだけど、ま、馬鹿デカいだけっつーか客室の数だけは異様にある、かなりランクの低いホテルです。つまり安いのが取り柄みたいなホテル。
 いやツアーで申し込んだら、たまたまこのホテルをあてがわれただけなんだけどね。


 何しろホテルなんだから普通にテレビがある。んで夜になると、いや夜にならなくても専門チャンネルならば24時間やってんだけど、とにかくBBCとかだと夜の7時になるとニュース番組をやるわけで。
 この時の滞在期間中、ホテルにいる時は基本的にテレビをつけていた。んでニュース番組は、必ずトップニュースが「日本の震災」だった。
 ま、当たり前だけど、イギリスからしたら日本は所詮<ガイコク>です。なのに、実に丹念に取材をしているのが英語が苦手なアタシでもわかった。
 ロンドンの地下鉄の駅に行けば、朝は「イブニングスタンダード」、夕方は「メトロ」というタブロイド判の新聞が無料て置いてあり、こちらもやはり「日本の震災」が大きく扱われている。


 変な話だけど「そんな遠いガイコクの、しかもアジアの島国の震災なんか誰も知らないよ」なんてことはまったくなかった。いや、あれだけ大々的に報じられて知らない方がおかしいレベルでね。
 ココにも書いたようにロンドンにはルンペルが結構いるのですが、さらに変な話をすると、ルンペルさえ「日本の震災」のことは知ってたと思う。だって無料のタブロイド判でさえ大々的に報じてるし、ルンペルだって結構これは読んでたからね。

 ピカデリーサーカスに行くことがありました。
 ピカデリーサーカスと言えばロンドンでも中心的な繁華街ですが、おそらく誰でも見たことがあるであろう、この光景がピカデリーサーカスです。


 ピカデリーサーカスにはエロス像というものがあり、ま、これも画像があった方がわかりやすいか。


 ここはいわば「ロンドンのハチ公前」とでも言うのか、つまり待ち合わせ場所としても活用されており、通常は人溜まりが出来ている。
 そこでね「日本の震災」への募金活動をしていたのです。それも日本人以外が。
 この際、この募金活動がどういうものだったのか深堀りする気はない。ただ、間違いなく「遠く離れた日本の震災を対象に募金活動がされていて、それなりに募金する人もいた」という光景に、ああ、それだけのことなんだ、と痛感した。
 本当はね、日本で起こった事件や事故、もちろんこうした震災もそうですが、それが「諸外国でどのように報じられているか」なんて、マジでどうでもいいことなんですよ。
 某掲示板ではすぐに「日本での出来事なんて諸外国では誰も知らないし興味もない」なんて言いたがる、しょーもないスノッブがいますが、そうした莫迦なスノッブを黙らせるのに「募金活動が成立していた」というのはかなり大きな事象だと思う。
 本当に誰も知らなくて興味もなければ募金活動なんてやらないし、誰も募金しませんからね。

 あれは日本に帰る前日だったか、とあるレストランに行ったんです。
 その時のウエイターが「日本人か?」と声をかけてくれた。イエスと答えると

「今は大変だと思う。でも絶対に元に戻るから、それまで頑張れ」

 と励ましてくれたんです。
 名前も知らないウエイターにそう言われたことは、アタシの励みになった。マジで。
 アタシは被災者でもなんでもない。でもね、結局震災の悪影響は長く続いた。あそこまでオリンピックにこだわったのも震災があったからだろうし、投票で東京が選ばれたのも「震災からの復興」という意味合いが絶対にあったと思う。
 2021年に開催された東京オリンピックは新型コロナパンデミックのせいで「グダグダ」になったけど、それは結果論であって、あれから日本は、というか日本人は「希望の光」にすがりつこうっていう風潮になったと思う。
 「絶対に元に戻る」、これがいつのことかわからないけど、アタシもこの言葉にすがりつこうと思う。そうだよな。あきらめちゃあ、それで終わりだもん。

 とまあ、ここまでは、どちらかというと「あったかい話」なのですが、これでは終わらない。帰国のための飛行機の中で事件は起きた。ま、事件ってほどではないんだけどね。
 アタシが乗った飛行機はロンドン・ヒースロー空港発羽田空港行きです。つまり直行便。機内にさえ乗り込めば、あとは羽田空港に着く、はずでした。
 ところが飛行機が離陸して、3時間ほど経った頃かな、日本語でこんなアナウンスが流れた。

「当機は一度香港に着陸し、そこで羽田行きの別便に乗り換えていただくことになりました」

 いろいろ話を総合すると、どうもパイロットが日本に行くことを(放射能の影響を憂慮して)拒否した、らしい。
 いや、それはいいっていうかしょうがないと思うのですよ。でもさ、何で離陸後に?んなもん、だったら最初からそういうパイロットに任せるなよ、と。
 とにかく、これで香港行きが確定になってしまった。別便に乗り換えるったって荷物のこともあるし、たぶん数時間は待たされるんだろうな、と。というか香港の空港ってどんなんだ?

 飛行機は香港の空港に降り立った。今もってどこの空港かもわからない。ちょうど日が暮れたタイミングだったんで窓から景色も見えなかった。
 とにかく例の、街の真ん中に滑走路がある、アタシが想像する香港の空港でなかったのはたしかです。


 さ、乗り換えだ、と思ってると、しばらくそのままお待ち下さい、とアナウンスがあったきり、放置状態になった。
 3時間ほど放置された後、結局乗り換えはなし、パイロットだけが交代する、ということで話がついたようで、再び、そのままお待ち下さいってことになった。
 結局、アタシたち搭乗客は香港の空港で、しかも機内に6時間ほど閉じ込められっぱなしになったのです。
 日本に着いたのはヒースロー空港から飛び立って20時間ほど経った頃。通常、ロンドン←→東京は12時間ほどなので、倍ちかく乗ってたことになります。
 ありゃあ、辛かったな。エコノミークラスに20時間以上も閉じ込められるなんて地獄でしかない。しかもアタシは喫煙者なんでね、香港でせめて一回降りさせてもらえたらぜんぜん違うかったのにさ。

 帰国して3日後だったか、アタシは東京国立近代美術館で開催されていた「生誕100年 岡本太郎展」(Page2で書いたNHKのドラマ「TAROの塔」の絡み)に行きました。
 東京国立近代美術館の場所は北の丸公園ですが、東京駅から歩いて歩けないわけではないので、横浜在住だったアタシは利便性から東京駅から歩くことにした。
 東京駅の丸の内側の出口から北の丸公園まで歩て20分ちょい。まだ朝の10時すぎだったと思う。当然、多数のサラリーマンが行き交っていました。
 しかし・・・、何と言えばいいのか、人はいっぱいいるんですよ。でも、アタシには「荒涼とした光景」に思えた。
 この「奇妙なほど押し黙った空気」は筆舌に尽くしがたい。というか、いくら考えても適当な表現が思い浮かばない。
 何しろアタシは直前までロンドンにいたのです。ロンドンの、あの、何とも言えないユル~い空気感との対比がすごくて、余計にピリピリムードに感じたってのはあるとは思う。
 でも絶対にそれだけではない。下手に笑いあおうものなら、どんな目で見られるかわからない、そんな空気が充満しているように感じたのです。

 残念ながらアタシはリアルタイムでこの頃のことを書き残していない。でもやっぱり、リアルタイムならではの生々しいものがあった方が良いと思うので、帰国してから1ヶ月後に書いた「生誕100年 岡本太郎展」の話を転載しておきます。タイトルは「天才の扱い」です。

先日「生誕100年 岡本太郎展」に行ってきました。
はっきり申し上げまして、青山にある岡本太郎記念館や、川崎にある岡本太郎美術館の方がずっとよろしい。

岡本太郎の作品って、整然とカテゴリ分けしてしまうと良さが死んでしまう。よくこれだけ揃えたなとは思いましたが、整然としている分、岡本太郎の作品が持つパワーが削ぎとられている気がしたんですね。
それに・・・UKで大英博物館に行ったすぐ後だったからでしょうか、異様に堅苦しいというか、5mおきに警備員が立っていて、少しでも作品に顔を近づけると直ちに飛んでくる。
こういう作品の見せ方って岡本太郎がなにより嫌悪していたことなのにね。あれほどの人でも死んだら本人の意思と真逆の扱いをされるということか。正直悲しくなりました。

少し話は逸れますが、大英博物館もだし、ナショナルギャラリーもそうだったし、あっちは日本人の感性からしたら信じられないくらいアートに接することができる。
驚いたのが、地元の中学生か高校生が座り込んで作品を模写しているんです。酷いのになると寝そべって描いている子もいる。
そんなのを直近で見たからだろうね。余計窮屈に感じちゃって。


 実際にはここからが本題なのですが、ま、以降はこのエントリの趣旨と著しく離れるのでオミットします。


 たしかに岡本太郎展のことを書いてるのですが、これは「ナショナルギャラリーと岡本太郎展の比較」ではなく「ロンドンと東京の比較」とほぼ同意で、せっかくロンドンに行くことで抱えていた閉塞感を払拭出来たのに、日本に帰ってきて、また別の強烈な閉塞感を感じてしまった、というか。
 たぶんこの体験がアタシに「ロンドンへの強烈な思い入れ」を持たせた最大の原因だと思う。

 あの頃の自分をね、あれから10年以上経って振り返ってみた時、間違いなく人生のターニングポイントだったんだな、とつくづく思うわけです。
 もちろんこのタイミングでロンドンを体験したってのは大きい。しかしそれだけではありません。
 この年、アタシの叔父が亡くなった。この叔父さんのことは本当に大好きで、叔父さんと映画の話をするのがとくに好きだったんです。
 叔父さんはアタシと同じく神戸の生まれですが、いろいろあって阪神大震災から一年後に福島県に移住していた。そう、あの、福島県です。
 いったいどんなタイミングだ、と思うのですが、叔父さんは50を過ぎてから阪神大震災と東日本大震災の2度も未曾有の震災を味わうことになってしまったのです。
 このことを考えると今でも胸が痛む。もし、アタシにメチャクチャ経済的余裕があったら、東京の一流病院に転院させてあげられたのに、と。

 叔父さんが死んだのは、アタシの後ろ盾がなくなったってことも意味する。どんな時も味方でいてくれた人だったから。
 だから出来る限りのことはしたかったし、横浜から福島まで何度も何度も見舞いに行ったけど、そんなことは埋め合わせにもならない。
 ロンドンに行ったのは、母親からの焚き付けがあったとはいえ能動的なことです。かなりの葛藤の末の決心だった、と言い換えてもいい。
 そして二度目のロンドン行きは「そうしなければいけないこと」だった。
 んで、叔父が亡くなったのは「受け入れなければどうしようもない」こと、と言える。
 人生はいろいろあると言いますが、これらのことが起こったのはすべて2011年なんです。一年で人生の機微のすべてを見せられたのかもしれない。

 ま、その後の人生もいろいろあったんだけど、その基点は2011年だな、と。
 てな感じでPage4に続きます。

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