まずはこれをご覧いただきたい。

 1959年の住宅地図ですが、これを見る限り、先の年表通り星電社の位置は現在のLABI三宮と同じです。なお(後藤)とあるのは創業者の後藤博雅・英一兄弟のことと思われます。
 しかし注目なのはその右下、富士銀行三宮支店の左です。
 よーく目を凝らすと、たしかに「星電社作業所」という文字が見える。
 さらにその3年前、1956年の住宅地図を見ていきます。

 1959年の住宅地図では拡張されて星電社の一部となった箇所は「日星デンキ」とある。そして1959年には「星電社作業所」となっているところを見ると「日星デンキ産業KK」(KKはおそらく株式会社の略)という文字が!


 ここからはPage1で引用した沿革にもないし、登記簿を見たわけでもないので多分に推測が混じることをご了承いただいた上でお読みください。
 創業当時の星電社は「ラジオパーツの卸と小売」が商いのネタだったわけです。しかし世は電化製品の洪水時代に入り、星電社も家電の取り扱いをはじめるようになった。
 ただ星電社はあくまで「ラジオパーツの店」で、家電の販売にかんしては別組織に振り分けたのではないか。謎の「日星デンキ産業」の正体は要するに「星電社の別組織」ということだったと思われるのです。
 しかし、どういう理由があったかわかりませんが、枝分かれしたはずの「日星デンキ産業」は結局星電社本体に吸収された、と。

 ま、創業の地にかんしては、沿革にあるように三宮二丁目であり、これまた沿革通り、創業当時の社屋は火災で消失している。
 本当は1945年から1949年までの住宅地図があれば良かったんだろうけど、全国で住宅地図なるものの発行が始まったのは1955年であり、全焼した、とあってはアタシが見た最古の1956年の住宅地図には、三宮二丁目付近をどれだけ丹念に見て回っても痕跡を見つけることが出来ませんでした。
 正直、そこまで「創業の地」にこだわる必要もないので調査を打ち切りましたが、かつて星電社は「星電社本体と日星デンキなる企業に分かれていた」と推測出来ただけで収穫です。

 とにかく、星電社がかなり早い時期から家電製品に目をつけていたのは事実で、それが企業として急速に発展を遂げる要因になりました。
 店舗の敷地面積もみるみる拡大し、年表にはありませんが1966年には本館ビル完成記念盤として売れっ子歌手のいしだあゆみ歌唱のコマーシャルソング(作詞 山上路夫、作編曲 いずみたく、コーラス ハニー・ナイツ)まで出している。というか何という豪華メンツだ。
 いつ消されるかわかりませんがYouTubeの動画を貼っておきます。


 さらに高度経済成長の波に乗り、Wikipediaによれば1969年には『家電売上高日本一を達成し、全国に70店以上を構えた』とあります。
 この拡大方針があらためられたのが1972年で、以降の星電社は神戸市内もしくは兵庫県内のみにチェーン展開を絞り、結果「神戸っ子なら誰でも知ってる、しかし兵庫県外の人は大阪の人さえほとんど知らない」という徹底的な地元密着企業の道を歩むことになるのです。

 さて、再び住宅地図に戻ります。

 1977年の神戸市生田区の住宅地図ですが、星電社の南側、今現在ユザワヤがある位置に「インテリア星電社」と「星電社パーツ」という店舗が存在しているのが確認出来ます。さらにPage1でも書いたように三宮一丁目の南西端には星電社パーツセンターも存在している。


 扱う商品によって店舗を変える、という星電社の方針はすでに1970年代には確立されていた、ということになります。
 ってちょっと待てよって?このエントリ、マイコン文化についてのエントリじゃないの?と思われるかもしれませんが、実は「1970年代になってもなお、星電社がラジオパーツを含めたパーツ類を扱う店だった」ことは、すなわち、星電社が後々、大々的にマイコンを扱う下地だったと見做しうることが出来るのです。

 日本におけるマイコン文化の<はじまり>は1976年と見て間違いないと思います、
 何故1976年か、それはこの年の8月に、実質日本で最初のマイコン「TK-80」が発売されたからです。
 ただしTK-80は今の人が想像するパソコンとはだいぶ違います。
 まず本体と専用ディスプレイを接続する、というようなことが出来ない。視覚的なアウトプットは8桁分の7segモニタだけです。またキーボードも今で言えばテンキーにAからFまでのキーを追加しただけにしか思えない、というかキーというよりは<ボタン>にしか思えないと思う。
 さらに言えばこのTK-80、完成品ですらない。ま、今で言うなら「ベアボーンとCPUとストレージとメモリをバラバラの状態でセットで販売した」って感じか。


 しかし日本初の「安価で入手出来るマイクロコンピュータ」ということでTK-80はヒット商品になった。ま、ヒットったってたいしたことはないんだけど、それでも「次期機種を開発しようと思うくらい」「他社もマイコン市場に参入しようと思うくらい」には売れたのです。

 ではTK-80の発売当時、具体的にどんな店で販売されていたか、またどのような雑誌でマイコンなるものが扱われていたか、というとです。
 当たり前だけど、当時はまだマイコンショップもマイコン専門誌もない。あるわけがない。
 そこで、当時、主な販売ルートとなったのは「ラジオのパーツやアマチュア無線を扱うような」店だったのです。
 マイコン専門誌の創刊ラッシュは翌1977年からですが、この年創刊された「月刊マイコン」は同じく電波新聞社から発刊されていた「ラジオの製作」から派生した雑誌であり、「I/O」も電子工作などのパーツ類に特化した雑誌「トランジスタ技術」からの流れで創刊されたものです。
 要するにです。この当時、ラジオをはじめとする、トランジスタやコンデンサなどのパーツ類を購入して自分で組み立てる=電子工作からの<流れ>でマイコンに興味を持つ人が多かった。だから「かつて電子工作のパーツを販売していた商店がマイコンの販売に力こぶを入れる」というケースが非常に多かったのです。

 もちろん、その中のひとつに星電社がありました。
 創業当時の主業だったラジオのパーツ販売が下火になり、おそらくは副業的に考えていたであろう家電製品の販売で業績を伸ばし、家電販売店としては全国1位にまでなった星電社でしたが、三つ子の魂百までというか、主業として始めたラジオパーツ販売の発展形とも言えるマイコンの販売に力を入れるのは当然の流れだったわけで。
 実際、星電社がマイコン販売のための専用店舗を設けた時期はかなり早い。
 センター街の一本裏の路地、かつて日星デンキがあった筋の南側にはユザワヤがありますが、そのユザワヤの西隣にKビルなる建物があります。
 2023年現在、そのKビルの半地下のような感じで「りずむぼっくす」という名前の中古レコード屋がありますが、ここがかつて「星電マイコンジム」という名前でマイコン専業店を営業していた場所なのです。


 星電マイコンジムがいつ出来たのかははっきりしないのですが、1981年の住宅地図には存在ぜず、翌1982年の住宅地図には存在する、となれば、まァ、1981年に出来た、ということになりますか。(後述する「I/O」のショップレポートによれば、どうも1981年の9~10月頃に出来たらしい)


 ちなみに1981年はPC-8801がNECから、FM-8が富士通から発売された年ですが、思えばアタシが生まれて初めて行ったマイコンショップがこの星電マイコンジムだったのです。


 星電マイコンジムはかなり短命で、存在していたのは1982年までのはずです。(ただし住宅地図では1984年まで存在が確認出来る)
 何故マイコンジムが消滅したのか、それはあまりにもスペースが手狭だったからです。
 アタシの記憶でも、んで実際、跡地にある「りずむぼっくす」という中古レコード屋に行っても、正直かなり狭い。アタシはここで初めてTRS-80やコモドール64などの海外産のマイコンを見たのを記憶していますが、国産マイコンが百花繚乱の気配が出てきて、参入メーカーも機種も、そしてこの頃から一般的になってきたソフトウェア販売も、とてもじゃないけど手狭な店舗に並べることが不可能になりつつあった。
 そこで星電社は本館を大改築して本館の6階にあらたに「C-SPACE」という名称の、かなり広いマイコン売り場を設けるに至るのです。
 C-SPACEが誕生した正確な時期は不明ですが、「I/O」誌1982年12月号(1982年11月18日発売)に「神戸で最大規模のコンピュータ・スペース C-SPACE誕生。」という広告が掲載されていることを鑑みれば、1982年10月~11月に出来たと推測出来ます。(これまた後述する「I/O」のショップレポートによればオープンは「11月12日」らしい)


 アタシの場合、星電マイコンジムに行った記憶はあるんだけど、これはマイコン好きだった叔父について行っただけで、まだそこまでマイコンに興味があるわけではなかった。
 しかし中学2年になっていたアタシは以前のアタシではなかった。もう叔父関係なくマイコンショップに<ひとりで>繰り出すようになっており、しかも高校入学以降は定期券で途中下車すればタダで三宮に繰り出せる、ということもあって、冗談抜きに「ほぼ毎日」星電社本館に出来たC-SPACEに足を運んでいました。

 ここで少し小休止。
 ここまで様々な資料から星電社の歴史のようなものを書いてきたのですが、実は「星電社が写ってる写真が極端に現存しない」のです。
 たとえば「三宮センター街三十年史」というセンター街の社史のようなものがあり、かなりの写真が掲載されているのですが、当然星電社も写ってて良さそうなものなのに微妙に見切れており、他の資料も神戸市立中央図書館に日参して散々調べたし、ネットでも散々検索したけど、震災前の、いわば星電社の全盛期とも言える時期の「センター街の正面入口が撮影された写真」を一枚も発見出来ませんでした。
 中でもアタシが一番欲していたのはアタシが毎日のように足繁く通ったC-SPACEの写真で、しかし正面入口の写真さえないんじゃあ、もう絶望的だな、となかば諦めていたのです。
 ところが偶然、C-SPACEの、つまりマイコン売り場の店内写真が見つかった。正直画質がいいとは言い難いのですが、とにかく見て欲しい。





 もうこの画像だけで、アタシと同じくC-SPACEに通い詰めた人は泣けてくると思う。
 さらにアタシは「もっとも通い詰めた頃」、つまり1985年頃のC-SPACEの店内図を書き起こしてみました。


 オマケで1986年にリニューアルした後のC-SPACEを。


 何しろアタシは記憶力が悪いし、一応は資料を参考にしたとは言え「いや、アレとアレの位置が逆やろ、おーん」と思われる方がおられましたら遠慮なくご指摘ください。
 Page3に続く。

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