さすがにね、今年はちょっと忘れ気味になってたっつーか、あまりにも一年が早すぎて「え?もう今日?」みたいになったというか。
てなわけで今日で阪神淡路大震災から31年目ということになります。
アタシは何とか、アタシなりのやり方でバトンをつないで行こうと「あんまり見かけない視点」からこの未曾有の震災について毎年触れてきました。んで昨年、2025年1月17日には「阪神淡路大震災を知らない子供たち」という相当変わった視点の、それなりの長文をエントリしたりもしました。
ただこれ、ちょっとね、もっと内的影響を書いていった方がいいんじゃないかとも思ってまして。
こういうのはね、全部に言えることなんですが、太平洋戦争も、東日本大震災も、コロナパンデミックも、ある意味共通の体験なんてもんはないんですよ。んなもん置かれた状況でも住んでる地域でも<感覚>がまちまちなのは当たり前であり、この当時を体験したらみんな同じ感想を持ってる、なんてのはあり得ない。
そうなったらです。もっと私的に、つまりアタシが何か書くのであれば、アタシ自身がこの阪神淡路大震災でどのような影響を受けたのかをしっかり書いた方が逆に普遍性が出るんじゃないかと。
明日1月18日更新予定のエントリは、阪神淡路大震災<そのもの>を書いたエントリではないのですが、内的影響を徹底的にほじくったエントリになってます。(ココ)
そのためにはどうしても膨大な前置きが必要ですし、アタシという人間を客観的に、他人さんから見たら赤裸々に書かないと成立しない。だからかなりの長文になってしまったのですが、これはこれでいいんじゃないかと。
というかね、「阪神淡路大震災を知らない子供たち」もそうなんだけど、この震災が個々の人生にどれだけ影響を与えたかって方が震災の状況を克明に記していくよりよほど重要で、これは阪神淡路大震災を東日本大震災やコロナパンデミックに置き換えても成立します。
つまりこれらの災害は、後年の<今>から見たら全部<きっかけ>にすぎない。そうか、あれから自分はこんなふうに変わったんだ、みたいな。
それこそ「阪神淡路大震災を知らない子供たち」に登場してもらった知人も、何しろ当人は生まれてないから何の記憶もないんですよ。じゃあ影響なんてまったくないよねって話じゃない。
この知人が生まれる前の影響でご家族にかなりの影響があり、この時点では生まれてない知人も後々、間接的影響を受けてきた。だから変な話、令和に生まれたからって無関係なわけがない。
これは今後書いていく予定ですが、もし太平洋戦争であんな状況にならなければ、間違いなくウチの実家は現実とは比べものにならないレベルで太かったんですよ。もし実家が太ければアタシの人生はまるで今と違ったものになったのは確実で、そうなると太平洋戦争がアタシに与えた影響がゼロかって言われると疑問符が付く。
当然のことながら、生まれる前であろうが両親が東日本大震災の影響で数年にも及ぶ立ち入り禁止地域出身だったり、両親の経営する店舗がパンデミックで倒産したり、そういうことは絶対、たぶん数え切れないほどあると言い切れる。
こういうことを書くと「ジジイは昔のことにいつまでもこだわる」とか言われるんだろうけど、そんなのこだわらない方がどうかしてる。というか別に恨み節を綴ってるわけじゃないし、こちとら「ただもっと知りたい」って理由で調べてるだけだし。もし未来をもっと良くしたいのであれば、今こうなってる「過去の経緯」を知らなきゃどうしようもない。過去の経緯を知らない人間が未来を変えられるわけがない。
アタシは「子供たちの未来のために」なんていう胡散臭い綺麗事は大嫌いだけど、アタシが生きてようが死んでようが未来が悪いより良い方が良いに決まってる。そんなの当たり前の話です。
だから調べる。アタシで言えば阪神淡路大震災のことを。
もちろんね、これからどんどん発展していって、もっと一括でいろんなことがわかるデータベースが出来るかもしれない。しかしどれだけ優れたデータベースがあろうが、人間は過去の出来事からしか学べない、という当たり前のことがわかってなかったらデータベースにアクセスしないからね。
アタシの書くことなぞデータベースには必要ないのかもしれない。でももしかしたら、これから生まれてくる何億人のうちのひとりにでもバスって来たら、もうそれだけで十分なんですよ。
