デラシネ、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。いや言葉としては聞いたことがあっても、発する機会など生涯で一度も訪れないなんてことは珍しくないと思う。それほど「関係ない人にはとことん関係ない」言葉だと思うから。
デラシネ(〈フランス〉deracine)
根無し草。転じて、故郷や祖国から切り離された人。(引用元・コトバンク/出典・デジタル大辞泉)
しかしこれでは、似た言葉というか、同じような感じで使われる「さすらい民」「ノマド」「バガヴォンド」「放浪者」、はたまた「逃亡者」との違いがよくわかりません。
実際には別に違いなどないかもしれないけど、アタシは峻別している。何と言うか、デラシネ、という言葉を誰かに向ける場合、その相手が以下の条件を満たしてないといけないと思うのですよ。
① 警察や特定の団体、または個人から追われてる身ではない
② 心の底では本当は「安住の地」を求めている
ま、①はまんま逃亡者だとして、問題は②の方です。
たとえば「ムーミン」のスナフキンなんかは、基本的に安住の地なんてまったく求めてないのですよ。いやむしろ、そんなものは邪魔だ、とすら思っているフシすらある。

つまり、根無し草なんて嫌だ、自分だって安住の地が欲しい。でも、どうしても、それが出来ない。外的要因、内的要因、様々なものが立ちはだかって安住の地を見つけることが出来ない。「ここは安住の地かもしれない」と思ってもそれは一時的なもので、結局はそこから離れなければいけない人生・・・。
こんな人間、普通に生きていればまず出会うことがない。ましてや己がデラシネであるかもしれない、と疑うことすらないはずです。
では「普通にさえ生きていれば」安住の地なんて簡単に見つかるのか、というとまた別の問題なのですが、それでも人々は、そんな深く考えもせず、何となく「言われてみればここが安住の地かもな」くらいの認識のはずです。
まァ、先述のスナフキンは少し違うのですが、現実にはなかなかいなくてもフィクションの中にはたまにデラシネとしか言いようがないキャラクターが登場します。
たとえば「坊っちゃん」の主人公などは、実はデラシネだと思っている。そういう見方をしてる人はあまりいないみたいだけど、あの「抑えの効かなさ」は間違いなくデラシネの要素が滲み出ています。
一番微妙なケースが「男はつらいよ」の主人公である車寅次郎でしょう。

彼は放浪者というか商売柄もあって放浪癖が抜けないんだけど、嫁をもらって平凡な家庭を持ちたいという願望を隠そうとはしていない。
それだけ見ればデラシネに見えるのですが、おいちゃんやおばちゃんといったくるまやの人々、さくら、そして帝釈天など、彼が休まれる場所、戻れる場所はちゃんと存在している。本人さえその気ならずっと柴又にいることが出来る。
ただ、そうは言っても内的要因で寅さんが柴又に留まることが出来ないのも事実で、いわば「デラシネかどうか境界線上にいる存在」ではないかと。

言い方を変えれば「寅さんと比べてどうか」でデラシネか否かの判定が出来ます。
どうです?あの「寅さんよりフラフラと居場所が落ち着かない人間」なんて身の回りにいます?いや身の回りでなくてもいいけど、そんなの、知り合いの知り合いくらいまで広げてもなかなかいないはずです。
そんなアナタに朗報!この駄文を読んでるアナタは実に運がいい。ネット越しであるとはいえ立派なデラシネの存在に出会うことが出来たのだから。
そう、何を隠そう、このアタシがまさしくデラシネなのです。
自慢するようなことではまったくないし、なりたくてなったわけじゃない。ただ、気がついたら、というか、自分の人生を振り返ったら、これはもう、デラシネと認めないわけにはいかないな、と。つかアタシがデラシネでなければいったい誰がデラシネなんだよ!と。
そんなわけで、これはアタシのデラシネ人生を振り返るためのエントリです。
何でデラシネにならざるを得なかったのか、つか<きっかけ>はいったい何だったんだ、そういうところから始めてね、どれほどデラシネが大変なのか、そんな話が書ければと思っています。
先の引用にあるように「デラシネ」という言葉の語源はフランス語です。だから妙にカッコいい感じになっちゃうんだけど、いやいや、カッコいいわけないだろ!もし小林製薬が「デラシネヤメラレール」ってのを発売してくれたら(「ドラえもん」のひみつ道具でもいいけど)すぐに買う。買い占める。効果があろうがなかろうがプラシーボさえなくても関係ない。つまりそれほどデラシネ人生から抜け出したいのです。
まずはやはり<きっかけ>から書いていきたいのですが、実際はね、きっかけなんてあるわけないのですよ。
デラシネになるってのは要するに、性格的なことと<運>が非常に大きいので、つかね、憧れたり「なろうと思ってなるもんではない」ので、大谷翔平が野球を始めたきっかけとはまるで話が違う。
ただ、それでも、人生がってよりは性格が変わるほど影響を受けた作品がひとつだけある。それが藤子不二雄の安孫子素雄先生(藤子不二雄A)の「フータくん」です。
「フータくん」にかんしては完全なファン目線で「フータくんという分岐点」というエントリを書いてるのですが、このエントリでは「内的な影響」について書いていきたい。

数多い藤子不二雄作品の中でも「フータくん」は相当に変わった作品で、先のリンク先にも書いてますが、主人公であるフータくんは「子供でありながら学校に行かず、アルバイトで生計を立てながら日本各地を旅して回っている」のです。
「フータくん」の連載開始は1964年ですが、この時期にこんな設定の漫画を描いたのは本当に画期的なんです。
やや遅れて登場した、定職を持たず何をやってるのかよくわからない若者を指した「フーテン」という言葉が流行りだしましたが(そういや寅さんも「フーテンの寅」という愛称だな)、フーテンさえも基本的にはハタチを超えた、年齢的に大人が対象だったわけで、その<早さ>が理解出来るはずです。
とはいえ、義務教育も受けずに子供が自活する、と言うのは、近代以降に限ってもたしかに先例がないわけじゃない。そうした子供たちが溢れたのが戦後の一時期で、これは社会問題にまで発展した。
しかしこれは「学童疎開で逃げてる間に都会に残った両親が戦死し、身を寄せるところもなかったので止むに止まれず孤児になった」という、平時では考えられない特殊なケースです。
もう一度言いますが「フータくん」の連載開始は1964年です。つまり年齢的に戦災孤児というのはあり得ない。戦災孤児になり得る可能性があるのは終戦時に6~15歳くらいの年齢であり、つまり1964年時点ではすでに成人しているわけで。
藤子不二雄の藤本弘先生(藤子・F・不二雄)作「スタジオボロ物語」では「オバケのQ太郎」の構想時に「定住型で行くか放浪型で行くか」悩んだという描写があります。

最近では「ドラえもん誕生」も(とくにドラえもんの造形が「おきあがりこぼし+猫」から着想されたという描写が)かなりフィクショナルな内容だったと言われてますし、本当に「オバQ」を描くにあたって放浪型が検討されたのか、それはわからない。しかし「放浪型というアイデアを放棄するにはもったいない」と安孫子素雄が考えて「フータくん」に採用したという可能性は大いにあるはずです。
「オバケのQ太郎」の連載開始が1964年2月(おそらく雑誌の発売は1月末)、「フータくん」の連載開始が同年の4月なので「使われなかったアイデアの再利用」としては時期もピッタリ合います。
それにしても「オバケ」が主人公の漫画で放浪型にするならともかく、生身の人間って言ったらおかしいけど、あきらかに小学生に相当する年齢の少年を主人公にして放浪型にするというアイデアは恐れ入る。
「フータくん」がすごいのはこうしたセントラルアイデアもなのですが、天涯孤独を悲しむような描写がほとんどなく(皆無ではない、というレベル)、とにかく明るくパワフルで、チャップリンかキートンかで言えば完全にキートンです。(いやロイドかもしれない)
つまりかなり徹底的に湿っぽさを排除しているのですが、最終回(単行本未収録)になってついに「両親の元で普通に学校に行く生活を夢見ている」というフータくんの心情が明かされる。そして、それは叶わぬ夢だと理解した瞬間、彼はデラシネ特有の行動をとってしまうのです。
しかしこれが明かされるのは最終回です。つまり通常の連載回では完全なスラップスティックギャグ漫画に徹しており、とにかく「フータくん」にはエネルギッシュな魅力に溢れていた。そしていつしかアタシの中で「藤子不二雄(当時の名義)の最高傑作は「フータくん」である」ということに疑いを持たなくなっていったのです。
アタシは基本的に臆病者なので、少なくとも子供の頃まで、いや「フータくん」に出会うまでは「家出」とか「ひとり旅」への憧憬は皆無だったと言ってもいい。しかし「フータくん」を読むことでその考えが変わった。
特別に学校が嫌いだったわけじゃない。でも、何にも縛られずに、自由に生きることが出来たらどれほど素晴らしいだろう。そりゃ辛いことも多いだろうけど、その辛さの何倍も楽しいことや開放感があるに違いない・・・。
アタシの環境は「フータくん」とは違う。家族もいるし学校にも行ってる。そんな環境をなげうって放浪生活をしたいとは思わなかったけど、いつか、フータくんのように、自分を縛るものが何もない自由な生き方がしたい、そんなふうに思うようになったのです。
いやね、仮にそんなふうに思おうがなんだろうが、実際にそうなる人なんかひと握りもいない。子供にとってそうしたある種の冒険心は誰しもが持つものだと思うし。
アタシがデラシネになったのはただの偶然です。しつこく言いますがデラシネというのは「なりたくてなるものでない」のだから。
それでも、何歳くらいまでかは憶えてないけど、一定の年齢までは自らデラシネに寄っていってたような気もする。というかこれは今もだけど「すべてをなげうって」ということにたいして、あまり恐怖心がない。それよりもこれから起こるであろう未知の世界へのワクワクの方が強い。
こうした「安心よりもワクワク」という優先順位は間違いなく「フータくん」によって植え付けられたものですが、では実際、アタシがどんな「安心をなげうってワクワクな」選択をしてきたか、それはPage2に続く。
