デラシネ=根拠地域がない、というのを前提に、アタシが如何に根拠地域を失ってきたか、イコール、デラシネにならざるを得なかったのかを書いてきたのですが、もし今後、根拠地域に近しい場所になる可能性がもっとも高いのはどこか、となったら、もうそれは現居住地でもある東京です。

 むろんアタシ自身が東京が好きってのはある。つか最低限「その街が好き」でないとやっぱ根拠地域にはなり得ないと思うんです。
 でもそうしたポジティブなことではなく、アタシもいろいろなことがあったし、いろんな人を見てきたけど、挫折者が最終的に流れ着く場所ってもう大都市、つまり東京か大阪のどちらかしかないんですよ。
 結局、懐が深いのは大都市である、という話なのですが、大都市は成功者も挫折者も全部飲み込んでくれるだけの余裕がある。つか地方都市にはアタシのような「厄介者」を抱え込む余裕はない。何と言うか、東京と大阪以外、本当に感覚的には居場所がないんです。
 でも東京とか大阪なら、まァ、歓迎はしないけど、最低限の暮らしでよければ、いたいならいていいよ、くらいの度量がある。
 しかし一般には、関西人は東京にたいして敵対意識を持っている、と言われている。ここまで書いてきたようにアタシは神戸出身です。となったら「挫折者を受け入れてもらいやすい大都市」の最有力候補として大阪が挙がっても良さそうなものです。
 Page2でも書いたように延べ約10年ほど大阪への居住経験があるわけで、馴染んだっちゃあ馴染んだ場所、それが大阪なのですが

大阪人と京都人は、東京にだしぬかれたという想いを、どちらももつ。いっぽう、神戸は一九世紀のなかごろにできた新しい都市である。東京にとちゅうでおいこされたという記憶を、市民はいだかない。だから、神戸の人びとは東京の優位を、比較的わだかまりなくながめてきた。(井上章一著「大阪的「おもろいおばはん」はこうしてつくられた」)


 ここまでしつこく書いてきてるように、アタシは神戸出身なのは認めますがどうしても「神戸人」だと思えない。思いたくないというのも皆無ではないけど、話がとっちらかるので神戸出身者=神戸人として進めます。
 とにかく神戸人にとって、大阪と東京、どちらに親近感を持つのか、いやどちらに敵対心めいた心情を覚えるのか、これが微妙なんですよ。
 そもそもの話、神戸人は大阪をどのように見ているかということなのですが、ぶっちゃけ、そこまで良くは思ってない。
 と言っても「大阪とか下品やん。それに比べると神戸は品があるからね」みたいな話じゃない。はっきり言って品なんて神戸だろうが大阪だろうが東京だろうが変わらない。

 「複眼単眼・準キー局」でも書いたのですが、東京は大阪を、というか大阪人をステレオタイプに当てはめたがってた。下品、騒々しい、ケバケバしい、面白い、人情の街、みたいな感じです。
 それを言えば大阪発信の、つまり準キー局制作の番組も、大阪のことはわりと多様的に描いているのにたいし、神戸にかんしてはものすごくステレオタイプな扱いしかしてない。(これは京都もですが)
 地盤沈下が激しく、若者の数、子供の数がめっきり減った神戸のことを相も変わらず「ファッショナブル」「オシャレな街」という扱いをする。
 悪く言われてるわけじゃないからいいじゃないか、という話でもない。実態にそぐわないステレオタイプなイメージをまき散らされて損するのは結局神戸なんです。

 今でこそ減ったと思いますが、ニュースで使うために「街行く人にインタビュー」というのはよくある手法です。
 それについてヤラセ云々はどうでもいい。そんなことよりそもそも神戸最大の繁華街であった三宮でもただの一度も街頭インタビューを見たことがなかったんです。つまり準キー局にとって重要なのは大阪だけで、神戸も京都も、大阪の金魚のフンくらいにしか思っていない、かはわからないけど、京阪神と言われるくらいなんだから、若干は大阪へのウエイトが高かったとしても神戸や京都も重視する、なんてことは微塵も感じたことがなかった。
 神戸人が別段東京を好意的に眺めている、ということはないと思うんです。でも大阪にもさほど良い印象はない。言葉というか方言こそ近しいものの「そんなん東京なんかより大阪のがええに決まってるやん!」と言えるほどではない。むしろ神戸を蔑ろにしやがって、という気持ちもある。

 その点、東京は別に神戸にたいして何の感情的な意見もないというか、変なバイアスもないと思うのですよ。オシャレと持ち上げることもなければ、とりたてて悪く言うようなこともない。だから特別東京に良い感情はないけど悪い感情もない。良くも悪くもフラットです。
 神戸人が何となく大阪にたいして愛情を持ちづらい、というのは横浜と東京の関係に似ているのかもしれない。生粋の浜っ子がもっとも敵対心を持ってるのは東京と言われるのは何となくわかる。ま、実際に敵対心まで行くケースは稀だろうけど「何となく愛情を持ちづらい」くらいはあると思うし、そういう意味では横浜人より神戸人の方がまだ東京をフラットな目で見てる気がするんです。
 そうなったら、挫折した神戸人が身を寄せる場所として、東京、という選択は何も不思議ではない。物理的距離の問題で大阪を選ぶことも変ではないんだけど、少なくとも圧倒的に大阪になる理由はないと考えます。

 そんなわけで、身を寄せやすい場所として東京を選んだアタシでしたが、そもそも何でそういう選択をしなければならなかったかと言えば、ここまでしつこく書いてきてるように、すべてはアタシが挫折者だからです。
 というかね、よくよく考えてみると、寅さんも「(社会的な意味での)成功者になりたかったけどなれなかった人=挫折者」なんですよ。
 逆に言うなら「成功者になりたいと思ってるようには見えない」スナフキンは挫折者じゃない。あれはやはりノマドに近い。
 そして仮にアタシと、そして寅さんと同じように流転を繰り返していても、社会的成功者であればそれはノマドです。
 それこそノマドワーカーなんて言葉がありますが、フリーランスで特定のオフィスを構えずにカフェやファミレスなどを渡り歩きながら仕事をこなす、これも成功者であれば「いろんなものにとらわれない自由に生きている人」に見える。これがオフィスも借りられないプアな人はノマドワーカーではない。
 つまりデラシネの条件としてどうしても挫折者であることは外せないと思う。というかアタシもひとつ歯車が噛み合って成功者になれていれば、仮に根拠地域がなくても「デラシネ」ではなく「ノマド」だと言い張れた。そこはかなり根本的な違いだと思う。


 Page1にてアタシはデラシネを「なりたくてなるもんじゃない」と書きました。
 もし何にもとらわれずに根拠地域さえない自由な生き方がしたい、となったら目指すべきは「ノマド=成功者」であって「デラシネ=挫折者」ではない。
 アタシが流転を繰り返したのは、いくら止むに止まれぬ事情もあったとはいえ、おしなべて考えれば性格的なことが大きい。あと、身も蓋もないことを言えば「実家が<太い>とは言えない」のも関係している。
 さらに挫折者でありながらデラシネにならない人もいっぱいいる。実家が<太い>とまで言えなくても家業をやっており跡を継げる環境にあったりとか、人生トータルとして見たら成功者ではないんだけど、身の寄せ場がまったくないほどの挫折者というほどでもないケースです。
 そしてもうひとつ、これ実はデラシネとして生きていくにはめちゃくちゃ重要なことなんですが、アタシには生まれ持った身体の強さがあった。んで何のスポーツもやってこなかったわりには持久力はわりとあったんです。
 何しろ50代後半まで大きな病気と言えば幼稚園の時に患った急性腎炎のみ。途中喘息気味の時期はあったけど、以降もずっと喫煙者なのに、何故か寛解してる。怪我は2018年に軽い骨折をしただけ。慢性的な腰痛はあるし、そのせいで重たい物が持てない=肉体労働は出来ない身体ではあるんだけど、歩けなくなるほどではない。

 2025年夏、アタシは青春18きっぷを使って東京→神戸→福岡の旅をやった。鉄オタでもなんでもない人間がこれだけの長時間移動はただ苦痛なだけで、いくらエアコンが効いているとは言え酷暑の中、ガラス張りの車内では<効き>も限定的で、ただの移動でもどんどん体力が吸い取られていく。それでも普通に成し遂げられたのは持久力があればこそです。
 とは言え年齢なりの衰えは隠せない。つかぶっちゃけだいぶ落ちた。
 20代後半の頃、アタシは「一週間ほとんど寝ない」というのをやったことがある。別にやろうとしてやったわけじゃなくて、昼は土方、夜はクラブで働いていたので寝る時間がなかった。
 ま、電車の中で10分だけとかは寝てたけど、マジで布団には入らなかった。今考えるとよく死ななかったなと思うけど、それほどアタシは持久力には自信があったんです。
 それに比べると老いというか、やっぱり落ちたなぁと実感してるけど、それでも50代後半の中ではまだキープ出来てる方だと思ってる。

 デラシネを続けるにあたって、年々「これはもう本当に大変だ。二度としたくない」と思うのが引っ越しで、とくに2018年から2019年にかけての神奈川県藤沢市から兵庫県神戸市への引っ越し、2023年の兵庫県神戸市から東京への引っ越しは本当に死ぬかと思った。あれこそもう二度とやりたくない。つかやらない。あんなしんどいことをするなら死んだ方がマシだと。
 「男はつらいよ」はフィクションなので寅さんの年齢は曖昧でしたが、現実問題、トシをとって居住地を変えるというのは並大抵の体力と精神力では無理なんです。
 つまりデラシネは「なりたくてなるもんじゃない」であると同時に「続けたくて続けられるもんじゃない」んですよ。
 いやアタシは間違ってもデラシネを続けたいとは思ってないですよ。でもそんなアタシの気持ちとは何の関係もなく、どれだけ長くてもこの5年以内にデラシネを引退しなきゃいけない。引っ越しはすることがあったとしても、もう神戸←→関東圏のような長距離引っ越しは不可能になる。

 2023年の神戸→東京への移住はそれを見越して、というのは否めない。もし仮に今後もデラシネを継続することになっても、もはや長距離引っ越しは無理になりつつあるという現実がある。だったら根拠地域よりは広いかもしれないけど、ざっくり、関東とか関西とか九州とかのエリアには行っておきたい。となったら「好き&身を寄せやすい」東京かその周辺都市しかないだろ、そういう心理はありました。
 しかし現時点ではあくまで「ざっくり関東」でしかない。
 今後アタシの根拠地域が今住んでる東京某所近辺になるのか、また別の関東近郊になるのか、それはまったくわかりません。わかっているのは関東圏のどこか、くらいです。
 ただし時間的な猶予はなくなってる。どれだけ長くてもあと5年で根拠地域を決めておかないととんでもないことになる。いくらアタシが病気知らず怪我知らず持久力があると言っても、そんなの早晩終わる。つまりタイムリミットはもうそこまで迫っているということです。

 いや根拠地域だけの話じゃない。アタシ自身がいったいどのように命の終わりを迎えるか、命が尽きる瞬間に周りに誰がいるのか、それとも誰もいないのか、現時点では想像すら出来ない。
 でも「デラシネの最期」を記した著作物はないと思うんでね、最後にそれだけは書いておきたいような。






「男はつらいよ」の車寅次郎の最期について山田洋次は漠然と『幼稚園の小使いさん(注・ママ)になり、子供と遊んでいるうちにポックリ死に(後略)』と構想していたらしいですが、それってデラシネの最期じゃないと思うんですよ。
というかこの辺が寅さんが「デラシネの境界線上の存在」と思うところで、フィクションであるにもかかわらず、寅さんという人物がわかるようでわからない。ま、人間なんてそう易々とひと口では言えないもんだけどさ。
少なくともアタシはフィクションの存在じゃない。一応バッチリ実存しているわけで、フィクションであっても「デラシネの最期」を記したものがない以上、これはやんなきゃな、と思っております。つかそれが「Yabunira最後のエントリ」になればいい。ま、先の話なんでぜんぜんわかんないけど。




Classic 引っ越し アタクシ事 神戸 東京 神奈川 湘南 福岡 イギリス メンタル 映画 松竹 アニメ/漫画 藤子不二雄 震災 からだ/コンディション 2026年 デラシネ ムーミン スナフキン 男はつらいよ 車寅次郎 柴又 フータくん オバケのQ太郎 スタジオボロ物語 フーテン 根拠地域 阪神淡路大震災 ノマド 体力 成功者 挫折者 森山未來 イムジン河 懐の深さ 3頁以上の長文 画像アリ PostScript 全3ページ