さて、ここからがいよいよ本番というか、<うつ>の疑いのある人を無事病院まで誘うことが出来た、という仮定で話を進めます。
もしここで<軽度>という判断が下されたら、処方された薬さえちゃんと飲んでるのであれば、特別することはありません。Page1でも書いたように過干渉が良くないのは当然として、基本的には「そっけなく」やりすごしましょう。
いやね、それまで近親者の方がどういう接し方をしてたのかわからないというか、それも人によって違うわけで、どれくらいそっけなくすればいいのかの基準は出せません。
ただ、意識としては、こういうことになる前の接し方よりも3割くらいは「そっけなく」で大丈夫です。
ただし声掛けは多めに。しかしそこで踏み込んではダメです。とにかく「あ、そう」の精神は大事にしてください。声は多めに掛けるけどそっけなく。
重度と診察されたら、たぶんすぐに入院になるわけですが、入院ならもっとやることがない。完全に医者に任せましょう。
問題は中度の場合です。これがたぶん一番厄介で、単純に「そっけなく」だけでは対応し切れなくなる可能性があります。
というか、あからさまにそれらしき症状が見られる場合、中度である確率が高い。だから難しいのです。
ただし、これが<うつ>であれば、まだ何とかなる。近親者にとってもっともややこしいのが「<うつ>ではなくPTSD」と診察された時です。
いや<ではなく>という診察はあまりない。というかPTSDを発症するとオマケとして<うつ>に近しい症状も付いてくるって感じなのですが、とにかくPTSDは近親者自身も言動の制限が求められる可能性が出てくる。
PTSD、かつてはトラウマとも精神的外傷とも呼ばれましたが、ベトナム戦争後にあまりにもメンタルへの異変を起こす兵士が多かったことから研究が進められ、こうした名称が付いたらしい。
BBCで制作されたテレビドラマ版「SHERLOCK」のワトソンはアフガン戦争で軍医をつとめたことがトラウマになりPTSDを患ってる、という設定になってました。
ドラマの中でもワトソンがフラッシュバックに襲われるシーンが描かれていましたが、そう、このフラッシュバックというのが本当に大変なのです。

健常者でも、突然、脳裏に嫌な記憶が蘇るというようなことはありますが、フラッシュバックはその何百倍も強烈なもの、と考えれば大丈夫です。
とにかくこのフラッシュバック、本当にどんなタイミングで訪れるかまったく読めない。たとえば暴力にたいしてのPTSDがあったとします。では多少なりとも暴力シーンがテレビで映っていたらフラッシュバックが発動するのか、というと、これが必ずしもではない。なのに普通に食事してるだけなのにフラッシュバックが起こり、パニック状態になったり嘔吐したり、そういうことになる場合がある。
こうなったらもう「話を聞く」とか生易しいやり方で解決する問題ではない。唯一近親者がやれることは頓服剤を飲ませることだけです。それでも治まらなければ、この時ばかりは無理にでも病院に連れて行くしかない。
もしPTSDを伴わない<うつ>の場合はこういうことがない。だから「PTSDを伴うか否か」は近親者にとっては相当な違いが出てくるのです。
暴力が原因だからといって暴力シーンで必ずしもフラッシュバックが発動するわけではない、と書きましたが、あくまで「必ずしも」であって、やはり発動する確率はかなり高いと考えて間違いありません。
だったらバイオレンス要素のないテレビ番組なりYouTubeなら大丈夫なのか、というとこれがそうでもない。
アタシが知ってる実例で言うなら、暴力が原因でPTSDを患った人はバラエティ番組を一切見れなくなった。要するに「ツッコミ」がダメなんです。
しかも「頭を叩く」というような直接手を下すツッコミではなくても、多少であっても声を荒げたようなツッコミでも無理で、それを聞くだけでガタガタと震えだし、フラッシュバックが起こる。となったら近親者はテレビだろうがYouTubeだろうがバラエティ要素のある番組は一切見れなくなります。
さらに極端な例を紹介します。
中には「笑い声がダメ」というパターンもある。たぶん嘲笑がトラウマになったんだろうけど、もうこうなったら「友人と電話で笑い話」も出来なくなる。
これは<うつ>に限りませんが、病人がいる家はどうしても暗くなる。ま、当たり前の話だけど、それに加えて<笑えない>となると、もう暗いどころの話ではない。
笑いの絶えない明るい家庭、というイメージが強く、また実際にそうだったと言われる高島忠夫が<うつ>になった時の状況を想像するだけでも怖い。「家の中から笑い声が消える」というのはそれくらい大きいことなのです。

もちろん近親者自身が大人であれば自重出来るかもしれないけど、小さい子供がいたらそれも難しい。というか子供に「家では笑うな」ということ自体が教育として良くない。
笑い声を出さないまでも笑顔くらいならいいだろ、と思われるかもしれませんが、ま、実際、相手を傷つけない、本当に柔和な笑顔が出来る人ならそれでいい。しかし世の中にはこの「柔和な笑顔」が苦手な人もいる。しかもこればっかりは家庭環境の問題も大きいので、簡単にというか後天的にやれるようになるわけじゃない。
もう一度言いますが、必ずしも<うつ>=PTSDとは限らないし、そうでないケースも多い。だから過剰に考えすぎるのは良くない。
というかね、こういう言葉を聞いたことはありませんか?
<うつ>は「うつる」
みたいな。
家に<うつ>患者がいるとどうしても家庭が暗くなる。それにより近親者自身が<うつ>になるケースがかなり多いのですよ。
アタシがこういった駄文を書こうと思ったきっかけはまさにそれで、家の中に複数の<うつ>患者がいるなんて、もう家庭崩壊寸前です。だから近親者はなるべく<軽く>考えなきゃいけない。
もしかしたらここまでお読みいただいて、ちょっと冷たいんじゃないか、と思われたかもしれません。しかしこれは「近親者を<うつ>にしない」ためなのです。近親者が重く考えすぎて、将来を悲観して、とかになったら本当にどうしようもなくなる。
そうならないためにも、近親者は「どれだけ軽く考えられるか」が勝負になる。なに、そのうち治るさ、くらいの気持ちでいた方がぜんぜんいい。
アタシが「信用出来る」医者のひとりですが、この医者、毎年定期的に長期休暇をとっていたんだけど、これはなかなかにすごいことです。
患者に感情移入しすぎると「自分が長期休暇をとってる間に」なんて考えてしまいがちだと思うんだけど、彼はまず「己のメンタルケア」を最優先させた。
もしこの医者が<うつ>が「うつ」って、メンタルの不調にでもなったら、彼を頼っている数多くの患者は途方に暮れてしまう。そうならないためにも、まずは自分、というね、そうした線引きをしっかりしていたのです。
たしかにPTSDを併発している場合は近親者の負担はかなり大きいのは事実です。しかしそれでも深刻になってはいけない。明日は明日の風が吹く。トゥモアナ。PTSDにしろ<うつ>にしろ不治の病ではない。そのうち治る。しかも治すのは自分じゃない。医者だ。医者に、んで薬に任せておけばいいんだよ。
こう書くと「なんて無責任なんだ!」と思われるかもしれません。でも無責任でいいじゃないか。それで<うつ>患者が増えないのであれば。
近親者の方、いいですか?アナタはこの病気にたいしては本当に無力なのです。これは肝に銘じてもらいたい。Page1でも書いたように、アナタが出来ることは金銭的援助と良い病院を見つけてくることくらい。
何故ここまで言うのか、というと、やっぱ心のどこかで「自分の力で病気を完治させる」と思ってる人がめちゃくちゃ多いんですよ。だからそれを捨てなきゃいけない。そんな考えでは間違いなく<うつ>に取り込まれる。だからかなりキツいとは自覚しながらもこういう書き方をしているのです。
ではもうちょっと具体的に、<うつ>患者への接し方を書いてみます。
よく<うつ>の人に頑張れと言ってはいけない、と言いますが、はっきり言います。これは間違いです。
いやこれが「仕事を」とか「人間関係を」とかなら、まァ間違いとは言い切れない。でも病気ってのは患者自身が頑張らなければけして回復していかないのですよ。
これは以前書きましたが、病は気から、という言葉の意味を履き違えてる人がかなりいる。もちろん「気持ちさえしっかり持てば病気にはならない」という意味ではありません。どんな名医でも患者本人に治りたいという気持ちがなければ治らないのです。
だからね、こと治療にかんしては「頑張れ」と言い続けるしかない。逆に、治療が辛いなら頑張らなくていいよ、なんて絶対言っちゃいけない。どれだけ辛くてもやっぱり治療は頑張らさせるべきです。
とは言え、Page1に書いたように<うつ>患者にはかなり波があります。時にいくら頑張りたいと思っていても身体が動かない、なんてこともある。それはもうしょうがない。
しかしけして、これが<ずっと>になってはいけない。たしかに今は頑張れないかもしれない。でもこれは次に頑張る時のための小休止なんだ、と。今はゆっくりしなさい。また頑張れるように。
心配しなくても波があるんです。たまたま今がそういうタイミングなだけで、ほっておいたらそのうちまた頑張れる波が来ますよ。
個人的には本当に、それくらいでいいと思ってる。
たとえばセロトニンの分泌のために朝散歩した方がいい、とか言うけど、これはかなり人によると思う。つか朝の散歩がストレスになっては何にもならない。
ただし、朝何時に起きるか云々よりも、なるべく夜は早く寝た方がいいように思います。というのも「悪い波」は夜に来るケースが非常に多い。正直これが何でなのかはわからない。しかしアタシ自身、かなり精神的に追い詰められた時、とにかく異様なほど夜早く寝るようにしたら、だいぶネガティブな感情を抑え込むことが出来たので、たぶん何かあるんでしょう。
そうは言ってもこれも「必ずしも」じゃない。だから、あ、向いてなさそうだ、と思ったら止めて構わないレベルです。
んでたぶん、近親者が一番心配するのが自傷行為でしょう。
それこそリスカも自傷行為に入るんだけど、リスカはね、どちらかと言うと「構ってもらいたい」という心理の方が大きいので、いわゆる自殺とはまったくタイプの違うものです。
それでもです。もしリスカを行なった場合は直ちに、かなりキツい言い方をしてでも止めさせてください。何故ならリスカは癖になるから。もし次にやったら閉鎖病棟に強制入院させるから、くらい言ってもいいです。
つまり「構ってもらえる」どころか「見捨てられる」という思考を植え付ける。とくに途中からアナタへの依存がどんどん高くなるので、この「見捨てられるかもしれない」というのは十分な抑止力になります。
もし「キツい言い方はどうも・・・」と思われるのであれば「あ、そう」作戦というか、つまり「相手にしない」というやり方もあります。
構ってもらえないのならリスカなんてやる意味がまったくないわけで、たしかにこれも抑止力にはなるのですが、この「あ、そう」作戦はやってもいいタイミングとダメなタイミングがあって意外と難しいので、とりあえずは「キツく注意」をオススメします。
で、まァ、リスカなんて本当にかわいいもので、やはりもっとも危惧するのが自殺行為でしょう。
この心配が強いと本当に外出も出来なくなる。仕事も出来ない。いや無理に外出しても「もしかしたら今ごろ家で」とか考えてしまって何も手につかなくなる。
かと言って24時間監視なんて出来るわけがないし、これまた過干渉になって回復を遅らせる要因になってしまう。
だからね、もし、本当にそんな状況に陥ったら、四の五の言わずに入院させてください。本人は嫌がるかもしれないけど、それが共倒れを防ぐ唯一の手段です。
もし「入院費が」と思うなら、本人に生活保護を受けさせてください。それでとりあえず治療費の心配はなくなります。生活保護なんて恥ずかしい、なんて言ってる場合ではない。生きるか死ぬかの問題が出てきてるのに恥ずかしいもなにもない。
んでアナタは一旦、発症した人のことを忘れて、とにかくがむしゃらに働きましょう。退院して回復期に入った時点で生活保護から抜けられるように。
これも冷たい、無責任と思われるんだろうけど、まァいいや。何と思われても。アタシはただ、死ななくていい命を助けたいだけだから。
本当は回復期に入って以降のことも書くつもりだったけど、それはここまで書いてきたことをしっかり読んでもらえれば何となくわかるはずです。
最後に近親者の方へ。アナタにはアナタにしか出来ないことがあります。しかしそれは「自分の力で完治させる」ことではない。とにかく杓子定規にならずに、俯瞰で見てください。んで他人さんや国に頼ることを恥ずかしいと思わないでください。そのために今まで頑張って税金納めてきたんでしょ?生保?だから?んなもん税金で整備された道を歩くのと同じなんだから。

