相手の土俵で勝負して、得することなど何ひとつない、ということをPage2で書きましたが、もしどうしても、それをやるなら「冒険」ってことになる。失敗しても、そりゃ失敗するわな。すごいチャレンジだもん、で片付けてられるようなことなら、まァ、それでもいいと思うんです。

 それこそ、大谷翔平がメジャーで<二刀流>として活躍したのも、もし絶対に失敗が許されない、ということなら、少なくとも二刀流はやってないですよ。
 ましてやオリンピックの開会式でそんな冒険、いやはっきり言えば「無謀な冒険」をする必要なんてどこにもない。
 チャレンジ精神は大切です。しかしあれが本当にチャレンジ精神から企画されたのかも疑問だし、むしろ「置きにいって」アレだったとしか思えない。もし弘田三枝子のように「失敗を恐れずチャレンジした」ってことなら、アタシはそれはそれで称賛した、ってことはないけど(絶対失敗しちゃいけないイベントで失敗したのは事実だし)、でもね、少なくとも罵倒はしなかったと思う。
 つまり、何が言いたいのかと言うと、何故、自分たちの土俵で勝負しなかったのか、と。自分たちの土俵で勝負する<ベタ>は嫌なクセに、勝負にも行ってない。そこがね、一番モヤモヤするんですよ。

 自分たちの土俵、それは今回のオリンピックで言えば「日本が世界に誇れる「わかりやすくて」「ショウとして成立させられる」<文化>」って何なんだろう、ということを真剣に考えることです。
 しかし、本当に、ちゃんとした議論をしたのか。というかそれをまず、徹底的にやり合うのが仕事だろ、と。

 東京オリンピック2020は異例づくしの開催になりました。
 もちろん、そうなった最大の原因は新型コロナウイルスの蔓延であり、コロナ禍のせいですべての予定が狂ってしまった。いわば開会式がどうとか関係なく、はじまる前から「失敗が約束された」大会だったのです。
 もちろんコロナ禍は日本だけのことではない。まさしく全世界で大問題になっているわけで、2021年の時点で人類が戦うべき相手は「コロナウイルス」なのは誰の目から見てもあきらかです。
 アタシの根本的な考えとして、本当の<悪>などいない、と思ってる。ココにそういう話を書いたけど、しかしコロナウイルスは違う。人間どころか生物ですらないけど、また悪か悪でないかもともかくとして、全人類の<敵>であるのは間違いないわけです。
 もしアタシがプロデューサーならば、「どのみちコロナ禍の中で開催される」ことがはっきりした時点で、それまでの予定をすべて白紙にしても「コロナありき」でプランを練り直す。コロナ禍に打ち勝つことこそ、全世界の幸福への道標となるはずだ、という指針をはっきりさせる。

 何より大切なのは「わかりやすさ」です。比喩ではダメなんですよ。それこそ「シン・ゴジラ」はメルトダウンの比喩になってたけど、さらに大衆的で誰にでもわかるようにするために、アタシなら「コロナ星人が全人類を滅亡させるために攻めてきた」って設定にします。
 おいおい、コロナ星人って(苦笑)かもしれないけど、絶対にヒネっちゃダメなんです。ここでヒネろうとするからおかしなことになる。
 世の中には一切ヒネっちゃダメなことがあるんです。ましてや「全世界に発信する」「大規模なショウ」なんだから、子供でも簡単に飲み込めるようにしなきゃいけない。
 はっきり言いましょう。アタシが開会式を見て何より腹立たしかったのは随所に「小賢しさ」が見えたからです。
 つまりは「コロナ星人?何だその幼稚な発想(嘲笑)」なんて人が作ったもの、と言い換えればいいか。
 残念すぎるけど、今回は「小賢しさ」と「てらいのなさ」が戦って小賢しさが勝ってしまった。だからあんなことになった。
 でも、もし「てらいのなさ」チームが勝っていたら?宮本茂でも宮藤官九郎でもみうらじゅんでもいい。もちろん松尾スズキでもいい。

「コロナ星人?それでいいじゃなくて、それくらいわかりやすくないとダメだよ。だってオリンピックの開会式でしょ?」

 となっていた可能性があると思うわけで。
 とにかく、コロナ星人が攻めてきたって設定にしましょう。
 まず、満員の新国立競技場を作り出す。もちろん実際は無観客開催なので誰もいないんだからCGというかARでやるわけです。
 んで、とにかく、如何にもな開会式ふうのショウが始まる。ここだけは皮肉が入っててもいい。「日本の伝統文化をモチーフにしたショウ」で構わないのです。ま、楽しげでさえあればそれでいい、というか。
 そこにコロナ星人が攻めてくる。あっという間に満員の観客が、そして競技場内の出演者を含めて、すべての人が消滅する。そこでコロナ星人が宣言するわけです。

我々は地球の全人類を滅亡するためにやってきた

 このピンチに登場するのは現代のヒーローたち、具体的には仮面ライダーや戦隊ヒーローたちです。
 もちろん多勢に無勢、何しろコロナ星人は無限に繁殖するんだから、やっつけてもやっつけてもキリがない。
 そこに加勢するのが現代の<アニメ>や<特撮>のヒーローたち。悟空やルフィ、炭治郎などもですが、ドラえもんたちやアンパンマン、戦隊ヒーローや令和仮面ライダーなんかも全部参戦してくる。当然、マリオやドラクエの勇者などのゲームキャラも。
 それでも足りない。だんだん劣勢になってくる。
 そこで「むぁて!」の野太いひと声と共に登場するのが藤岡弘、もとい本郷猛。ここからいよいよ「過去のヒーローたち」がどんどん出てくる。もちろんウルトラマンもね。
 これだけのメンツが揃いながら、戦況は悪化するばかり。ひとり倒れ、ふたり倒れる。気がつけばヒーローたちはみな、横たわっていました。

もうダメだ!

 しかしそこに、さらに過去のヒーローが現れる。モノクロのまんまで「前回の東京オリンピック当時のヒーロー」である、鉄腕アトム、鉄人28号、サイボーグ009、エイトマン、月光仮面あたりが登場して、さらに「幻となった1940年の東京オリンピック」の時のヒーロー、鞍馬天狗までもが馬に乗って駆けつける。
 <ケリ>は鉄腕アトムの最終回そのままの展開でいい。つまりアトムが自らを犠牲にしてコロナ星人を全滅させようとする、という。
 わかりやすく言うなら「日本版アベンジャーズ」です。

 これをね、一大スケールのショウにするのです。
 <笑い>の要素を入れるために、クレヨンしんちゃんやオバQを投入したり、キレンジャーが戦いそっちのけでカレーを食べてたり、そういう「日本人にしかわからない」遊びを入れるのはいいけど、あとはひたすら、ショウとして、戦う。
 肝心なのは、変にダンスっぽくする必要はどこにもないのです。
 昔のチャンバラ映画を見ればよくわかるのですが、チャンバラシーンって実はアクションシーンじゃないんですよ。どちらかというとショウというかレビュウに近い。主人公の刀の動きに合わせて雑魚が<舞う>。それがチャンバラシーンです。
 これを完全に踏襲したのが「チャンバラ映画、勧善懲悪劇のワンダーランド」東映のテレビ部が制作した「仮面ライダー」などで、チャンバラをそのまま置き換えているだけだから戦闘員なんていう雑魚キャラが出てくるのです。

 こうした「一見バラバラに戦ってるように見えて、実は妙に全体的に統一感のある<動き>」は日本の専売特許なんですよ。
 「ザッツ・エンターテインメント」なんかでもそうだけど、ああいう大人数なダンスはどうやっても諸外国には敵わないけど、戦闘シーンっぽいレビュウショウはどこもやってない。真似しようにもマジで日本にしかノウハウがない。
 しかも着ぐるみを着た状態であれだけハードに動いたり、ARを使って実写キャラ、アニメキャラ、ゲームキャラが入り乱れる、というのも、本来は日本の得意とするところのはずです。

 もし、こんなのを本当にやったら、アタシなら泣いたね。間違いなく。
 でも単純にそのヒーローのキャラクターを知ってるからとかじゃない。このコロナ禍に心底ウンザリして、誰でもいいから助けてくれるヒーローがいれば、と思っていればどこの国籍だろうが関係なく熱くなれたと思うんです。
 コロナなんて何のメリットもない、ただ害悪なだけだけど、この東京オリンピックの開会式の<ショウ>だけを考えればコロナ禍は、ワンピースで言えば「ひとつなぎの大秘宝」並のプレゼントだった。
 こんなとんでもない題材を無視するなんてあり得ない。モラルとか感染者がとか考えて「コロナを扱うのは止めよう」となったのなら、もう、何もかもが狂ってる。
 「誰も傷つけない笑い」なんてのが持て囃されてるけど、こんなの言い換えれば「どこからもクレームがこない」ってことに他なりません。
 もし、仮に一部からでもクレームが来るかも、となった時点で、エンターテイメントなんて作れるわけがないのですよ。

 もっとそもそもの話をします。
 だいたい何のためにオリンピックを強行したんですか?はい、利権だなんだって人は黙っててください。
 それは「コロナに負けない日本を見せたい」からでしょ。少なくとも表向きはそうなんでしょうし、それはそれで100%間違ってるとは言えない。
 オリンピックの歴史上、パンデミック下で行われるのは初めてなわけで、ではパンデミック下でオリンピックをやる、というのがどういうものなのか、その決意を世界中に表明する必要があった。
 それはもう、どう考えても「何があっても日本はコロナと戦います」という姿勢です。
 もちろん公式の発言として表明するのではなく、開会式でキチンとコロナを扱うことこそ最大のアピールになった。しかも政治家の答弁とは違う、子供でも理解出来るアピールの仕方です。
 だから開会式でコロナを扱わないなんてあり得ない。もしかしたらアタシが気づかない比喩があったのかもしれないけど、そんなんじゃ、まるでお話しにならない。「日本語が一切わからない」「子供でさえ」わかるものでなければならないんだから。

 とにかく日本は、千載一遇の復興のチャンスをみすみす逃した。<たかが>開会式として扱ってしまい、結果、世界中に「日本ってつまらない国だなぁ」というのをアピールしてしまった。

開会式とは何か

ショウとは何か

世界に発信するとは何か

パンデミック下でオリンピックを開催するというのがどういうことか


 こんな重要なことを「言い訳ばっかりして」ちゃんとやらなかった結果、あんなことになってしまった。
 前回の、1964年の東京オリンピックは時代が時代だから(つまり開会式がショウアップ化される前の時代)、今見たら簡素きわまるものですが、それでも、まだ、ショウ感覚を感じる。シンプルきわまる構成だけど、最低限「ショウとは何か」がわかってないとああはなってなかったと思う。
 それはまだ、日本にもショウを根付かせようという心ある人がいた証拠でしょう。

 最後に、妄想開会式の続きを書きます。
 鉄腕アトムの活躍で、何とかコロナ星人の繁殖は抑えることが出来ましたが、それでもなお、コロナ星人は死に絶えてはいなかった。
 そこに例の禿げ茶瓶親父に扮した加藤茶が登場して、競技場の中央まで行くと「イックシッ!!」とやる。するとコロナ星人が一斉にコケて死ぬ。(もちろん感染の最大の理由と言われている「くしゃみ」によってコロナが死滅する、という皮肉)
 音楽が盆回りになってそれに合わせて全員ハケる(死んだコロナ星人は<黒子>に運ばれる)。で、高らかなファンファーレで入場行進になる、と。
 こんなの却下されるに決まってるけど、アタシはショウってこういうことじゃないかと思うのですがね。






珍しく自画自賛するけど、妄想開会式のオチに加藤茶が出てきてってのは我ながら素晴らしい。しかも長年の相棒であり実質弟子だった志村けんのことまで思いを馳せると、その皮肉が強烈なのもサイコーだと思うわけで。


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