えと、今回のテーマはかなり難しいです。つか本当にウチで扱えるのかわかんないレベルなのですが、ま、とにかくやってみようと。
まずは「ファンダム」という言葉ですが、基本的な意味をWikipediaから引用しておきます。
ファンダム(fandom)は、趣味・アニメ・漫画・小説・スポーツなどの分野の熱心なファンたち、また熱心なファンによる世界、彼らによって形成された文化である。fanとkingdomの造語。
サブカルチャーとしてのファンダムは、ファンが共通の主題に関心のある他者と共感し同志として意識を築く点、対象の微細な特徴にも目を配り、往々にしてSNSへの投稿などに時間と労力を惜しまず注ぐ点などでたんなるファンとの差別化ができる。対象となる関心のエリアは人類の文化のあらゆる側面であり、細分化は特定の著名人(セレブリティ)まで集約するか、ある趣味の領域すべて、対象のジャンル、またはファッション界ほど広くも把握される。
これを読んでもらうとよくわかるのですが、まず「ファンダム」なるものと「マニア」や「オタク」との峻別が難しい。
もう、しいていえばですが、「マニア」や「オタク」が<個>を指す場合が多いのにたいし、「ファンダム」はある意味十把一絡げなところがあるというか、もっと<集団>だったり、ある種の同族意識のようなものを持つ人たち、という意味合いで使われることが多い気がします。
それこそジャニオタで言えば、通常は「旧ジャニーズ事務所に所属する特定のタレントのオタク」という感じなのですが、SNSなどを通じて旧ジャニーズ所属タレントを非難する人たちに刃を向ける人たち、となると、もうこれは「ジャニーズオタク(=ジャニオタ)」ではなく「ジャニーズファンダム」だと思うんですよ。
本人たちはあくまで<個>として行動しているつもりであっても、結果として同じ心理を持つ者たちと共闘してしまってる、みたいな。
こうしたファンダムの心理というか行動原理について、もうずっと考えてきた。いや芸能のような「他人さんから見られることで職業として成り立つ」=興行はほとんどすべて、ファンダムって何なんだろうということを考えなきゃいけないし、ファンダムと非ファンダムへの配慮を間違うととんでもない失態を晒すことになるのは旧ジャニーズの対応を見ればあきらかです。
つまりは、ああこれは、メチャクチャ研究する価値があるなってのはわかっていた。そして、その価値について確信が生まれたのは以下の動画を見たからです。
この動画で「みの」さんも「ずっと考えてるけどわからない」とおっしゃってますが、いやマジで、これは本当に難しい問題なんですよね。だから最初にアタシも「ウチで扱えるのかわかんないほど」難しいと書いたわけで。
しかもこれ、順序建てて、つまり過去に目を向けるというか芸能の歴史的なことを研究すれば答えが導き出せるのか、というと、どうもそうとは思えない。下手に王道のやり方、要するにファンダムの成り立ちや歴史を研究して、となったら本筋から離れていく気しかしないというか。
正攻法で上手くいくような気がしないとなったら「まったく新しい視点」が必要になるんだけど、そんなの、アタシ如きには無理だよ。
ただ・・・、もし、たったひとつだけ糸口があるとするなら、あえて「芸能界におけるファンダム」を一旦横っちょに置いといて、プロスポーツチームにおけるファンダム、それもアタシがそれなりに詳しいと自負している日本のプロ野球のファンを考えればカンドコロのようなものが見えるんじゃないか。もし見えたらそれを芸能界に当てはめたら答えが導けるような。
というのもです。
本当はね、ファンダムの心理が一番露呈しやすいのは「ファンが集まった時」なんですよ。歌手というかアーティストで言えばコンサート、ライブの類いがそれに当てはまるのですが、ただしコンサートやライブではもうひとつの必要条件である<不服>というのが抜けてしまう。
いつぞやの長渕剛のコンサートや、2023年に起こった山崎まさよしの一件など、アーティスト自身への<不服>だったり運営上のトラブルへの<不服>というのはあるんだけど、やはり滅多にないことであると言い切れる。まァせいぜい「自分が大好きな楽曲が歌われなかった」くらい。
つまり、ほとんどの場合、その会場に訪れたファンダムはそれなりの満足感を持って会場を出ることになるわけです。
ところがプロスポーツは違う。何故なら「勝ち負け」という避けて通れない要素があるからです。
贔屓にしているチームが勝つ。これが満足感を得られる最低限の条件なのですが、プロ野球においては「どんな強い、史上最高レベルに強いチームでも勝率7割が限界」であり、公平に見れば「観戦に行った試合で贔屓が勝つ確率(=最低限の満足感を得られる確率)は五分五分」くらいなんですよ。
逆の言い方をすれば「1/2の確率で満足感を得られないまま家路に向かう羽目になる」と言えるわけで、少なくともアーティストのライブに比べるときわめてネガティブな感情を抱きやすい興行なんですね。
数万人規模の観衆がフラストレーションを抱えたまま終える興行、なんて、おそらく芸能イベントでは日本の芸能史上片手あるかないかレベルのはずで、それが日本のプロ野球では4月から9月までほぼ毎日、1/2の確率で現実訪れている、というのは、考えてみれば本当にとんでもないことです。
あらためて書くようなことではありませんが、アタシは子供の頃からの阪神タイガース贔屓です。当然、回数も憶えてないほど阪神の本拠地である甲子園球場に足を運んだし、これまた当然のようにセントラルリーグの他の球団の本拠地にも行ったことがある。
何しろ行った回数も憶えてないんだから勝敗なんてもっと憶えているわけがない。しかし、もう当たり前としか言いようがないんだけど「観に行った試合は全部勝った」なんてあり得ないわけですよ。
本当に、何とも言えない気持ちのまま、球場を出たことなど一度や二度ではないし、落胆や怒りを群衆が醸し出すとどんな空気感になるのか、それはとてもよく憶えています。
とくにプロ野球ファンがそう言われがちなのですが、よくプロスポーツチームのファンは「気が荒い」とか「暴力的」と言われるのですが、これはプロスポーツに興味のない、ほぼ絶対的に満足感を手中に出来るアーティストのライブなどにしか行ったことがない人間には、「贔屓(とくにホームチームの)が負けた時の群衆が醸し出す空気感」は理解出来ないだろうな、と思う。
今や人気球団になるとチケットの争奪も大変なもので、また実際に球場に行けば嫌でもわかるけど「プロ野球ファンなんて底辺の人間しかいない」なんてことは断じてないし、そもそも昨今のプロ野球は男性ひとり、もしくは男性だけ連れ立って、みたいな観客は本当に少なくて、もう圧倒的にファミリー層が多いのです。で、次に多いのがカップル。
要するに球場には「見境なくどこでも暴れるような荒くれ者」なんて、まったくは言い過ぎだけど、割合的には非常に少ない。
じゃあ何で、プロ野球という興行において、暴力沙汰やトラブルが絶えないのか、なんですが、実はこれを考えること、イコール「ファンダムの研究になる」と踏んでいるのです。
もちろん一番の理由はアーティストのライブなんかと違ってフラストレーションを抱きやすい興行である、というのがあるのですが、それよりも、どちらかと言えば群集心理というか、そっちの方が大きいと思う。そしてそれは昨今のSNSで頻繁に起こるネットリンチへも直結する話なんじゃないかとね。
群集心理を考えるとなると、まず大前提として「場所(会場や球場など)の規模に応じた、ある程度の<数>」が必要になります。
どれだけ狭い場所でもふたりとか三人では<群衆>としては成り立たないけど、それでも会議室のような狭い場所であれば10人もいれば群集心理が働くことがある。しかし球場のように数万人収容出来る場所で10人では群集心理なんて働くわけがない。
だからね、あくまで「広さに応じた」という条件が必要で、何人以上とか何人以下という話ではありません。
ただし、さすがに数万人規模になると、極端に言えばひとつの街全体だったとしても、群集心理は働きやすい。
こんな状況下においてはむしろ平静を保っている方が人間として何かが欠如してると思うし、平静でいたいとも思わない。
アタシだってね、テレビで野球観戦してる時はたいてい「阪神負けたか~!」くらいで済むのですよ。でも球場に行くとそうではなくなる。
いやね、観戦に行ったからといって、その試合の重要性が変わるわけではない。だからテレビ観戦同様「負けたか~!」で済みそうなもんなんだけど、実際は周りの空気感に圧されて、テレビ観戦とは比べものにならない、屈辱感だったり落胆だったり怒りを抱えてしまう。
もちろんその代わり、勝った時は逆にテレビ観戦の時とは比較にもならないレベルでの歓びや多幸感が漲るのですがね。
こうした空気感に抗えるかどうか、やはりそれは<数>で相当変わってくると思う。
多分にフィクショナルな形ですが、ココに阪神タイガース主催試合、要するに甲子園球場の観客動員の増減について触れてますが、1970年代までの甲子園は今とは比べものにならないレベルでガラガラでした。
正直、今のパ・リーグとすら比較出来ないレベルで、ほぼ全試合超満員だった巨人戦を除いて、3塁側のアルプススタンドはほぼ閉鎖、下手したら1塁側のアルプススタンドも閉鎖されてるてな具合で、外野席も前の方にポツポツと観客がいる、そんなうらぶれた興行だったのです。

こうなると観客の<熱気>なんて皆無に等しい。というかそんなもんあるわけがない。
そんな時代、アタシは何度も甲子園に足を運んでいるのですが、今より良かったと思うのは「チケットが取りやすい」ことだけで、チャンスになっても盛り上がりもクソもない試合を観続けて、今にして思えば「これでよく阪神に、プロ野球という興行にハマることが出来たな」と思うくらいです。
そして、こんな程度の観客数では当然かもしれないけど、<熱>だったり<圧>だったりを感じるわけもなく、負け試合の「悔しさ」も「怒り」も薄かった。というかテレビで観戦した時と大幅に変わるものではなかったように記憶しています。
それでもね、いくらガラガラとはいえ1万人前後の観客はいたんですよ。でも当時の甲子園球場の収容人数はマックスで5万8千人。1万人前後ならばだいたい1/6程度の集客力で、これでは<熱>も<圧>も生まれるわけがないのです。
それから約50年後、2022年8月31日に甲子園球場に行ったのですが、この日の観衆が34,685人。これは甲子園の収容人数がマックス5万8千人から約4万3千人にまで減少(座席を広くしたため)したこと、まだ2022年はコロナ禍の影響で若干制限があったこと、さらに実数発表になったので一見そんなに増えてないように思われるかもしれませんが、内外野ともほぼ満員で、当然のことながら1970年代の<熱>や<圧>とは比べものになりません。

幸いにもこの試合、阪神は広島東洋カープを6対5で下すことが出来、アタシは「悔しさ」や「怒り」を覚えることはなかった。
しかし遡ること約20年前、2003年の日本シリーズの第6戦を福岡ドーム(現・福岡PayPayドーム)した時は阪神が完敗した試合で、しかも勝てば日本一が決まる試合だったわけで、たしかに場所が福岡だったので甲子園のような<熱>も<圧>も弱かったとはいえ、「悔しさ」や「怒り」というよりは「憤り」はハンパなものではなかったわけで。
そうは言っても、アタシの場合「足取りが重たい<だけ>だった」程度なんですが、「憤り」よりも「怒り」が先にくる人もいる。
そうなるとどうしても暴力的、というよりは攻撃的になり、周囲の人たちといさかいを起こしやすくなる。普段であれば「ま、いいや」で済むレベルのことがカチンときて、そこから揉め事が発生する、なんてことになりやすい。
そして、そういう人たちが周りにウジャウジャいる、という状況を考えていただきたい。いやもしかしたらそれすら、プロスポーツに一切興味のない方からすれば想像だに出来ないのではないか。
平素ではどうしても群集心理を過小評価しがちです。そして「そんな状況でも自分は冷静でいられる」と自己を過大評価しがちとも言える。
群集心理から逃れるのがどれほど難しいか、それはPage2にて。
