さて、ここからはもうひとつのテーマである「生配信」について書いていきたいのですが、まず前提として、アタシは2026年2月より「自分のチャンネルではない、他人さんのチャンネルの生配信に出演している」わけでして。

 あくまでアタシは「いち出演者」です。多少調査を手伝うことはあるとは言え、基本的には生配信当日にスタジオに行って、その時限りの思ったことを「ただ喋ってるだけ」と言ってもいい。
 だから当然、生配信について深く知ってるわけではない。でも何度も出演を重ねる毎に、なんとなくの勘所は掴めるようになっていきました。
 ま、カンドコロっちゃあ大仰だけど、とにかくただの出演者であっても「あ、これ、自分がやってる動画<作り>とはまるで別モンだ」ってくらいはよくわかったわけでして。
 極端な言い方をすれば、「編集を施した動画と生配信」は「映画と舞台(ステージ)」くらい違う。映画も舞台も「フィクションを演じて人様に見てもらう」って意味では近しいと思われがちなのに実際はかなり違う。んでアタシがやってるような動画作成と生配信も「同じYouTubeというプラットフォーム」からの発信ではあるけど、実態はある意味真逆と言っていいくらい違うのです。

 生配信なんだから当然「編集」というものは存在しない。となると編集の「面白さ」も存在しないことになる。
 Page1でも書いたように、見様見真似から脱却した瞬間からある種のクリエイティビティが生まれるのが編集なのですが、その手のクリエイティブな要素は生配信ではあまりありません。いやあるんだけど、まったく別種のクリエイティブさというか。
 ま、どこからどこまでをクリエイティブと呼ぶのかはいろいろありますが、編集が必要な動画のような「煮詰める」ことは出来ない。どれだけ事前準備していても、編集を施した動画に<濃度>で勝てるわけがない。
 しかし編集した動画では逆立ちしても敵わないことがある。それが<緊張>です。もちろん良い緊張と悪い緊張はあるのですが、後でいくらでもやり直しが効く編集ありきの動画ではどうやってもこの緊張感が出ない。
 友人であるEはスチールカメラマンです。アタシはグラフィックデザイナーなので「同じクリエイティブな仕事をしている者同士」と言えなくもないけど、その瞬間をアーティスティックに切り取るのが仕事、であるEと、無限に「アンドゥ」が出来るグラフィックデザイナーでは、もはや別種も別種ってことになると思う。

 当然のことながら、仕事を始める前の緊張感はカメラマンの方が強い。逆に瞬間を切り取るわけではないアタシみたいな仕事はもっと「のそっと」入れる。
 「編集を施した動画」「グラフィックデザイン」「映画」などのチームは「全体を見ながら全体にクリエイティブな要素で満たしていく」ものだとするなら、「生配信」「カメラマン」「舞台」は事前準備が必要なのは当然として「瞬発力でクリエイティビティを出していく」といった感じでしょうか。
 そしてこの瞬発力というのは緊張感なくして生まれないのです。適度の緊張感があるから瞬発力が生まれる。これはもう絶対だと思う。
 それが上手くスパークした時、完成度においても細部まで煮詰めまくった編集チームに勝ってしまうことすらある。
 いわば編集チームは0点になることもない代わりに100点も取れない。50点から90点の間という感じか。逆に生配信は余裕で0点の可能性もある代わりに、全部完璧にハマったら100点ちかく取れてしまうこともある。

 これは生配信に限らずテレビやラジオの生放送にも言えるのですが、保険をかけまくって「最低でも50点はとれるようにしよう」とかした途端につまらなくなる。50点とることに必死になって<生>の良さがまったく出ずに50点もとれなくなるのがオチです。
 <生>のエンターテイメントを作るうえで必要なのは「完璧を乗り越える」という意識です。どうせどうやっても完璧になんかならないし、万が一完璧になっても、ではそれで100点に近づくかというと近づかない。というかソツなくやりたいのであれば編集が効くメディアでやった方が絶対にいい。
 となったらです。<生>というものは「完璧がベストじゃない。完璧を乗り越えるんだ!」とどれだけ作り手側が思えるかじゃないか。つまり目指すのは完璧じゃなくてベストだと。もちろんベストを目指すために事前準備もしっかりやる必要があるし、つか完璧にやるのは事前準備であって本番ではない。本番はただベストを尽くすことだけに全力を注ぐ。つかこれは<生>だったらなんでも、それこそスポーツにも言えることなんですがね。

 そしてもうひとつ、生配信が編集済み動画と決定的に違うのは、リアルタイムで視聴者さんとやり取り出来ることです。ま、YouTubeならプレミアム配信で疑似的に似たようなことは出来るんだけど、すでに編集済みの動画の内容は変えられない。
 しかし生配信であれば、チャット欄での書き込みをきっかけに話の流れが大きく変わっていく、なんてことは珍しくないわけです。
 つまりです。編集済み動画が自分ひとり、もしくはチームで作るものだとするなら、生配信は「視聴者全員と作っていく」のに近い。当然イニシアチブをとるのは出演者なんだけど、あまりにも出演者のイニシアチブが強すぎると生配信の強みがなくなってしまうような気がする。
 YouTubeにはチャット欄があるので、適度に視聴者の意見を拾いながら話を進めた方が俄然盛り上がって番組として面白くなりやすい。これはリスナーというか「はがき職人」が大きなウエイトを占めるラジオ番組によく似ています。

 というかね、アタシはここが、その人が「生配信向き」なのか「編集動画向き」なのかを分けるポイントだと思っている。つかもし「完成されたものを見せたい、そこに見る側の意見は不要」と思うなら、そういう人は生配信に向いてない。
 それはそうなんだけど、これね、難しいのは「本来やりたくはないんだけど、何故か向いてた」ということがあるんですよ。
 アタシは先述の通りグラフィックデザインをやってきましたし、アタシが出演している「だてレビ」を主宰されているキーフレームさんは映像関係の仕事をされている方です。つまりどちらもずっと「完パケ納品」をやってきたと言ってもいい。
 ま、アタシはともかく、ずっと完パケ納品=完成したものを見せたい側だったキーフレームさんは実は意外にも生配信に向いていたってことだと思う。でないとあれだけの長期間、あんなに面白い番組を作り続けることは出来なかったはずです。
 アタシはアタシで、もちろん<生>ならではの緊張はあるし、本番は必死だけど、じゃあ終わって何かしらの反省をするかと言えば、そんなことはしない。つかアタシが出演してる番組は反省会があるわけでもないので、上手くいこうが上手くいかなかろうがさっさと帰ってしまえばいい。
 つかね、もうこれは痛感してるんだけど、生本番で「あそこをああすりゃ良かった」みたいな反省って本当に意味がないんですよ。これが「もう少し事前準備をしておけば良かった」という反省であれば次に活かせるけど、生配信だとそういうわけにはいかない。だって絶対に取り返しがつかないから。

 これが編集動画ならそうはいかない。何ヶ月も前にアップした動画であっても後で見返すと「ここ、こうすりゃ良かったな」というのが見つかる。もちろん「今からアップする予定の動画」ならなおさらです。
 もちろんアップする前に何度か確認はするんだけど、もうそこかしこに、あそこが気になる、あそこがダメみたいなのが見えてくる。これが気分的にめちゃくちゃしんどい。さらに言えばアップした後でさえ「本当にこれで良かったのか」という不安に苛まれる。
 生配信の場合、本番前の事前準備は大変だし、本番直前はやはりかなり緊張する。しかし「終わった後」がぜんぜん違う。生配信が終わった後は「終わったー!よーしビールでも飲むか!」みたいな気分にもなってくる。いや生配信後はアタシはクルマで帰んなきゃいけないし、そもそも下戸だしビールはあんまり好きじゃないので本当に飲むわけじゃないけどさ、でもそういうね、ある種の開放感に包まれるのは事実なんですよ。

 先ほどから書いてるように、アタシはずっと「完パケ納品」側の人間だったのが、んでココでも書いたように「<生>は怖い」という潜在意識があった人間なのに、いざやってるみると「これはこれで意外と向いてるかもしれない」と思い始めてきた。
 じゃあウチのチャンネルも生配信にすりゃいいじゃないかとなりそうなもんですが、これがなかなかね、条件が整ってないと難しいのですよ。
 生配信をやるとなったら、視聴者が見やすい時間、具体的に言うなら夜遅くでも遠慮なく声を出せる場所が必要です。さらに生配信向きの機材も必要になるし、ま、早い話がいろいろとカネがかかる。
 んで何より、生配信というものは視聴者と一緒に作っていくものなので、チャット欄に誰もいないとなるとただのひとり言配信になってしまう。つまり向き不向きとは別のところで最低限のチャンネル登録者数がないとほとんど意味のない生配信になってしまう。
 だからどれだけ編集動画に向いてなかろうが、ある程度のチャンネル登録者数と、それなりの濃度のある視聴者がいないことには生配信なんて不可能なんです。

 そろそろまとめに入りますが、要するにこのエントリ、なんだかふたつの話を無理矢理ひとつのエントリに押し込んだみたいになってしまってます。
 何でそんなことになったか、それは「編集動画」と「生配信」というものは同じYouTubeというプラットフォームからの発信でありながら、まるで別種、エンターテイメントという範疇で言っても相当距離があるんです。
 あくまで作り手側の話ではありますが、労力もかかるカネもハードルもまるで違う。どっちが高いか低いかではなく「そもそもタイプが違いすぎる」という話なんです。
 でもこれが「見る側」に立ってみれば、さほど違うようには見えない。少なくとも野球とサッカーほどの違いは感じないはずです。
 だから自分が作る側に回った時に混乱しやすい。「似たようなもの」という認識で始めてはみたものの、実際にやろうとしたらあまりの違いに愕然とする。結果、なんとも中途半端なものが出来やすいんじゃないか。いや正確には「中途半端な気持ちのまま、何となく出来ちゃった」みたいになりやすいんじゃないかとね。

 あくまでアタシの個人的な考えですが、これからイチからYouTubeを始めようと思うのであれば、大変だなんだと言ってないで、兎にも角にもまずは編集を施した動画から始めて、ある程度チャンネル登録者数が増えたら<お試し感覚>で生配信をやってみて、その後どちらをメインにするか考えた方がいいように思う。つかいきなり「生配信<専門>」はちょっと無理だと思う。
 いやもっとそもそものことを言えば、仮に仕事のニュアンスがあったとしてもですよ、やはり最初は<遊び>の感覚が重要なんじゃないかね。つか儲かる儲からないって話になってしまうと変な方向に行きやすいというか、もし儲け第一ならYouTubeなんてギャンブル性の高いものに手を出すべきではないような。

 YouTubeなんてラクして儲けるスタイルとか言うけど、世の中にはもうちょっとラクして儲かることなんてあるもん。それを考えるならYouTubeで得られる収益なんてわりと妥当だと思うんだけどさ。






せっかくYouTubeのチャンネルを始めて2周年なんで、もう完全に「作る側の気持ちオンリーの視点」からのエントリを書こうと思ったのですが、なんか自分でも意外な感じのエントリになったような気がします。というかこんなふうな文章にするつもりはまったくなかったんだけど、書いてるうちに何でかこんな感じになっちゃったというか。
ま、これはこれでいいんじゃないですかね。




Classic Yabuniraチャンネル裏話 動画制作 YouTube やぶにらこぼれ X/Twitter/SNS全般 インターネット サブスク/有料ネットコンテンツ 2010年代 2020年代 映像 テレビ ラジオ メンタル クルマ エンターテイメント クリエイティブ/アート フェイバリット だてレビ 2026年 収益化 労力 仕事 遊び 飽き 撮って出し 編集 見様見真似 独自スタイル カズチャンネル 生配信 プラットフォーム カメラマン 生放送 はがき職人 チャット欄 完パケ納品 ラクして儲けるスタイルじゃない PostScript 全2ページ