故きを温ねて新しきを知る

 言うまでもなく論語にある言葉ですが、何だか、どうもね、いやこの言葉自体は正しいと思うんだけど、意味を履き違えてる人が多いのではないかと。

 このエントリは、いわゆる「物申す系」の最後のエントリにしたいと思っています。
 よくよく考えたらですが、アタシは同じことしか言ってない。いや言う言わないの話というよりは何年も意見が変わっていないというか。
 例えばココに2003年の日記の一部を引用してますが、ま、リンク先に飛んでもらうのも偲びないので、ここで必要な箇所だけを再引用しておきます。

今日はダラダラ度が高かった関係で、まさしくダラダラテレビをみていたが、どうしてこんなにつまらぬものか。しかも今日やっていた「噂の東京マガジン」(TBS)や「サンデースポーツ」(NHK)内の<アンカツ>(現注・騎手の安藤勝己のこと)のドキュメンタリーなどまだ良質なほうなのだ。
たとえば「行列のできる法律相談所」(日本テレビ)など、まぁみれなくもないが、ゴールデンにやるような番組ではないだろう。いくら面白くつくってあっても、程度の低い面白さにはかわりない。
俺は別にテレビになにひとつ期待などしていないのだ。必ずしも<知的好奇心をくすぐられる番組>であったり、<モラルのいきとどいた番組>であったりする必要はない。所詮2ちゃんねるに代表される<良識もへったくれもない>ネットとたいして変わらない存在だと認識している。
しかるにどうだ。俺にとって<2ちゃんねる>は面白いものであり、<テレビ>は非常につまらない。これは興味の対象がどうたらこうたらという問題ではなく、メディアの特性を活かしているかどうかの差だと思う。
何度もいうが、テレビの最大の特性は<生放送>なのだ。制作サイドは絶対滞りなく進行させる義務がある。しかし本当になんの滞りもなかったかのように<編集>してしまっては、テレビの魅力など皆無に等しい。誰がつくられたハプニングなど見たいと思いますか。どれだけつくっても本当のハプニングには逆立ちしてもかなわないのに。
なんかなぁ、この間漫画について書いた時もそんな結論になったが、漫画だけでなく、ゲームもテレビも<ソツ>がないものばかりじゃないか。あの時も書いたが、<つっこまれどころ>のないもの程つまらないものはないですよ。もう想像を絶するような完璧な作品ならともかく、そこそこのアイデアとそこそこの予算とそこそこの情熱で<ソツなく>つくられた作品(本当は作品などと呼ぶのさえもったいないが)のオンパレードじゃねぇ。ま、これはデザインにもいえることだが。(一応自戒)
なんでこんなことになっちゃったんだろうね。先週買った「東京人」を丹念に眺めたが、どう考えても日本文化が正常進化しているとは思えない。
もし、あの時代の続きで現在があったらな、と真剣に思う。橋本治も云っているように、あの時代は突然どっかへ行っちゃって、そしてあの時代とはまったく関係ない、現在につながる時代が始まった。
たとえば70年代の写真を見せられて、これが現在の30年前の姿です、といわれても説得力がある。しかしそれより前、60年代、というか昭和30年代までと、70年代がつながっているというのはあまりにも無理がある気がしてならない。
昭和43年生まれの俺には到底理解できないが、いったい俺の生まれた前後に何があったのか?
俺はモラリストでもなんでもないし、俺の10代後半の時代など最悪の時代だったと思うのだから、<俺の若い時分は・・・、それに比べて今の若者は・・・>なんていう気はさらさらない。だけれども、昭和30年代までのセンスやモラルの方が、本当の意味で健全であり、進歩的だと思うのだ。
無責任男は植木等が演じるから痛快なのであって、大半の人からは(もし実際にあんな人物がいればの話だが)顔をしかめられる存在であったはずだ。だからあの映画は輝いている。でももし今、植木等に相当するコメディアンが現れて、あの話であの役を演じても、話題にもならないのであろう。もう、本当にあの時代から現在を眺めれば、とんでもない狂った方向に時代がいっちゃってるんだから。
やっぱねぇ、文化そのものが老年期なんでしょうなぁ。一回間違った方向に走り出しちゃうと、誰にもとめることはできないから。だからね、もういっかい最初からやり直さないといけない時期なんだと思わざるをえないんですよ。(2003年4月20日の日記より)


 一部と言いながら相当長いので全文お読みいただけたかわかりませんが、とにかく、もう呆れるくらい、今とおんなじこと言ってる。これは進歩とか進化ではなく、どれだけ<いろいろ>あっても、たぶん変えようがない思考なんじゃないかと。
 だからか、マジメなエントリになると、いつも同じような内容になる。この、このってのは後述するけど、同じ思考ベースで考えるので、何度書こうが微妙に細部が新しい以外は全部同じなのです。
 反芻もたいがいにしておかないとただの繰り言ジジイになるし、だったら、もう二度と書かなくてよいように、つかYabuniraにエントリを残しておけば、あ、もう書いたから書けないや、と思うのではないかと。
 で、何について書くかですが、エントリタイトル通り「新しい」と「古い」についてです。

 たぶん、アタシがインターネット上にアップしたもので、もっとも古い「新しい古い」にかんする記述は2005年4月8日付の「<新しい笑い>とは何ぞや?」です。

今から3、4ヶ月前でしたでしょうか。某雑誌で某若手芸人が「僕たちは新しい笑いをやってるんで」みたいなことをいってて、立ち読みしながら思わず耳たぶが赤くなっちまいました


 原文ではいろいろとボカして書いていますが、某雑誌とは週刊プレイボーイ(だったと思う)、某若手芸人とはキングコングです。
 つまり「新しい笑いをやってる」云々と発言したのは西野亮廣です。
 この後原文では「それ、本当に新しいのか?つかそもそも新しい<笑い>って、何?」というふうに話を広げているのですが、まァ今回は笑い云々はどうでもいい。
 しかし、2005年の時点で、西野亮廣のこうした発言に違和感を抱いているのは我ながら慧眼だと思う。これは何故、多くの人が西野亮廣の発言に「詐欺師めいた」ニュアンスを感じてしまうのかの見事なアンサーだとも思うからで。

 アタシの意見が、少なくとも日記が残っている2003年から何ひとつ変わっていないのと同様、ある意味、西野亮廣もぜんぜんブレてない。相変わらず「新しい価値観」「新しい<やり方>」とやらにご執心です。つまり彼も2005年の頃と同じ思考で生きているのでしょう。

「新しいことをやろうとしているんだから、素直に応援してやればいいのに」

「日本人は新しいことをやろうとする人間をすぐに邪魔をする」

 こんなことを平気で、ネットだけでなくリアルでも口にする人がいますが、アタシはまさに、これらの言葉は「詐欺師の常套句」だと思っています。
 要するに「<新しい>という言葉はすべての免罪符ではない」って話です。
 方法論的、またモラル的にどれだけ破綻したものであっても<新し>ければ、それは許されるのか?つかそれって本当に新しいの?という話でね。
 例えば企業で新規事業の企画書を出してね、一番の惹句、つまりキャッチコピーが<新しい>では、そんな企画書は即ゴミ箱行きです。
 いやいや、新しいか古いかなんかどうでもいいよ。新規事業を立ち上げるってんなら、それがどれだけ可能性があるのか、またどんなリスクがあるのか、その説明は絶対に必要だし、もし<新しい>ってだけでカネをポンと出す人間がいるならそっちのがどうかしてる。

 そうなんですよ。<新しい>を売りにする、いや売りくらいならいいけど「<新しい>から正しい、<古い>から間違ってる」って強弁する人って他にストロングポイントが何もないんです。
 この場合に限っては<古い>を<老害>と言い換えてもいいんだけど、老害の考えることなんて今後ロクな結果にならない、<新しい>ことこそ<新しい>時代に適応した素晴らしい発想だ、と信じて疑わない。
 そんな考えにたいして、大半の人は「デタラメ言うな」と思う。もちろん「過去に事例がない=これからもそんなふうになるはずがない=デタラメ」ってな安直な人もいるとは思うけど、そうじゃないんですよ。
 というか「<新しい>教信者」とでも言えばいいのか、は、こういう「過去に事例がないからデタラメだと思ってる」人たちを「仮想敵」に見立ててるはずです。

自分が思うほど自分は賢くない
自分が思うほど他人は馬鹿じゃない

 これはアタシが繰り返し書いていることですが、仮にどれだけ賢い人間であってもひとりの人間が世の中のすべてを変えようという発想が不遜というかおこがましい考えです。
 アタシは何も、謙虚に生きろ、社会の歯車として馬車馬のように働けって言いたいんじゃない。
 それはちゃんとした人には十分すぎるくらい通じるのですが、すぐに極論に入る、いわば極論マンには通用しないんです。

「本当に、今までの人間が正しかったと思うか?戦争が正しいか?人殺しが正しいか?人類が誕生してから、どれだけ戦争や殺人があったと思うんだ。こんな間違った世の中は変えなきゃいけない。戦争も殺人もない、ユートピアのような世界にしなければいけない。その一歩としてオレは立ち上がるんだ」

 もう、これでもか、と極論マンの理屈を詰め込みましたが、当然モデルはない。ただ極論を詰め込んだだけだから。
 実際、極論で言えば、過去の出来事はおかしいのかもしれない。人間なんて本当にロクでもない生き物かもしれない。だから「正論か正論ではないか」で言えば正論なのかもしれません。
 しかし、こんな正論に何の意味もないことくらい、大半の人にはわかっている。つか極論で言えば何でも正しいことになる。「お前、今すぐ死んだ方がいいよ」なんてメチャクチャなことでも極論を持ち出せば理屈で押し通せます。
 どころか、戦争や殺人さえ肯定することは不可能ではない。つまり「戦争も殺人もないユートピアにしよう」と同じレベルで「戦争も殺人もオッケーな自由な世の中にしよう」ってのも、極論を用いれば成立させることが出来るのです。
 んで、これは言うまでもないことだけど、極論ならば「どんなに正しいとされていることでも否定出来る」のです。
 だから極論は議論の対象になり得ない。極論VS極論なんてただの泥仕合になるだけだから。

 当然のことながら<新しい>も極論を用いれば肯定的に説明することは可能です。
 では翻って、大半の人には説得力がないと感じる、下手したら「詐欺の常套句めいた」とさえ感じさせる<新しい>ってだけのものを、極論を一切抜きで肯定しろ、と言われても、それはかなり難しい。
 それでもね、アタシは思うんです。
 <新しい>の良さを声高にガナり立てる。これだけならまだ罪はないんですよ。そりゃあ、うっとおしいと思う人もいるだろうけど、少なくともアタシは、まァ、生暖かい目で見ることは出来ます。
 ましてや<新しい>に絶対的な価値観を持ちがちな若い人だとなおさらだし、仮に木っ端微塵に論破して、その結果「若い人が新しいことに一切チャレンジしなくなる」というのは、それはそれでマズい。
 ところがそれだけで済まないことの方が多い。いわゆる「返す刀で」ってヤツです。
 <新しい>を肯定する。このことは理解出来る。もし何らかの注意を促すとしても「おいおい、新しいだけじゃあ、難しいんじゃないの?」とにこやかに伝えることは出来ます。
 しかし「返す刀で」<古い>を否定し出すから話がおかしなことになる。

 これはいろんなことに言えることでして、つまんない例で言えば「犬好きと猫好き」で争う、とかね。
 これとか双方が、どれだけ犬がかわいいか、どれだけ猫が愛らしいかだけを語っている分には何の問題にもならない。
 しかし、つい「返す刀」の発想が浮かぶ。

「犬なんて面倒なだけ。もし他人に噛み付いて大怪我させたらどうするんだ」

「猫だって噛むし、何なら引っ掻いたりもするだろ」

「でも猫のが圧倒的に飼いやすいってのは、それだけ猫が優れてるからだろ」

「そもそも猫なんか所詮犬を飼うことが出来ない人間用の代用ペット」

 こうなったらもう終わりです。自分の好きなものの良いところではなく、好きでないものの罵倒合戦になる。


 あ、違った。コラじゃないのは↓か。


 ただね、こうした「返す刀で」ってのは、実際問題「一切なしで」となるとメチャクチャ難しいのです。
 何かひとつのことを考える時、それを誰かに伝える時、比較対象があった方が考えやすいし、他人さんに伝わりやすいのも事実でしてね。
 例えばココに「湘南と川崎の素晴らしさ」について駄文を書いてますが、湘南と川崎の両方が素晴らしいでは何が素晴らしいのか伝えづらいのです。
 だから、比較対象が欲しくなって、ついつい横浜をあげつらうみたいになってしまったのですが、PostScriptにも書いた通り、横浜が嫌いかというとぜんぜん嫌いじゃない。ただアタシとしては「わかりやすいように」横浜を比較対象にしただけに過ぎないんだけど、これも「返す刀」かどうかで言えば、まァ「返す刀」になってるように思う。

 これは本当に、留意しすぎるくらい留意しなきゃいけないことだと肝に銘じています。
 たぶん人を不快にするのは、ただ、とある事象、とある人物、とある場所を罵倒された時ではなく、「返す刀」で斬り付けられた時だと思う。
 しかもね、所詮は「返す刀」に過ぎないから、それは「本当に言いたいこと」ではないんですよ。
 ○○を称賛(コキ下ろし)さえ出来れば、本当はそれだけで良かった。ただ「わかりやすくするために」比較対象として△△の名前を出しただけなんだから。
 野球で言えば、阪神を称賛したいがためにオリックスをコキ下ろす、みたいなもんで、こんなのオリックス贔屓からしたら「何でオリックスなの?阪神以外11球団ある中から何でオリックスがコキ下ろしの対象になったの?」となる。
 んで、対象を称賛する時、比較対象のコキ下ろしをおこなうのは間違いなく「見下し」とか「見くびり」の気持ちがあるものです。つまり比較対象にたいして愛なんかないってことになるわけで、そりゃあ、不快にもなりますよ。
 ま、先のアタシの例で言えば、横浜のことを見下してはないけど、心の中で多少たりとも見くびった感情はない、と言うと嘘になるし。

 ま、この辺でPage2に続きます。

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