正直、ここまでの書き方はあんまり良くないというか、誤解を生む書き方をしてるな、と自覚しています。
 何がどう、よろしくないのか、少しずつ説明していきます。

 さて、アタシは、メチャクチャ大雑把に言えば「昭和オタク」なのかもしれません。
 いやとくにオタクって意識はないのですが、昭和であれば何でもござれ、みたいなところがあるのも事実でね。ココに詳しく書きましたが、63年ちょいの昭和という時代で興味の<穴>となる時代がほとんどない。だから昭和オタクと言われても甘んじて受け入れます。
 最近は戦前モダニズムに興味が移っちゃったけど、それでも1960年代は愛すべき時代で、この時代の象徴である植木等ならびハナ肇とクレージーキャッツを愛して止まないのには変わりがありません。
 もし、もしですよ、こんなアタシにです。

「クレージーキャッツ最高ですね!本当に面白い。それに比べて今の芸人とかクソですよね!」

 なんて話し掛けてくるような人がいたら、ブチ切れる。いや実際にはブチ切れはしないか。でもその場では愛想笑いを浮かべても、二度と関わろうとはしない。
 つまり、Page1で書いたことの逆パターンで、いや逆ではないけど、とにかく「<新しい>のはぜんぜんダメ、その点<古い>ものは素晴らしい」という考えの人って一定数いるんです。つか下手したら「<新しい>最高!」よりも「<古い>最高!」の方が多いかもしれない。

 これは逆張りというか、ある種のスノビッシュな思考で、これまた若い頃に陥りやすい。
 喜々として「流行りモノ」に乗っかってる人にたいして、冷笑しながら「アイツらはただ流されてるだけだ。本当に<良い>のがなんなのか知らないんだ」みたいな。
 えと、これもココで書きましたが、結局これって「流行ってるモノの何が良いのか<肌感覚>で理解出来ない。だから自分が<肌感覚>で良さがわかるものを見つけて、流行りモノに敏感な人を否定しているだけ」なのです。
 前半はいいんですよ。「自分が<肌感覚>で良さがわかるもの」を探して見つけるって本当に大事なことだから。
 問題は後半で、見事な「返す刀」になってる。本当はただピンと来てないだけなのにピンと来るような敏感な人を否定する、というね。

 この<ヤマイ>に若い頃のアタシもかかった。
 1980年代半ば、高校生だったアタシは1960年代という時代のファッションや街並み、そして文化にのめり込み、「返す刀」でリアルタイム(つまり1980年代)の文化を、心の中で侮蔑しまくっていた。
 その頃はネットなんかなかったから「心の中」で済んだけど、もし当時、5ちゃんねるがあったら、アタシはエラソーに得手勝手な高説を垂れまくっていたと思う。
 だから気持ちはわかるんです。でも、それこそ今考えれば非常に幼稚な考え方で、今流行ってるモノ(<新しい>と言い換えてもいい)を頭ごなしに否定し出すと、マジで人間として終わりだと思っている。
 これってね、まさしく、クソをクソと言える正直さを持とうって話じゃないですか。要するに、こんな正直さなど何の意味もない。
 ムカつくヤツがいたから自分に<正直>になって殺しました、とかと一緒で、こういうのは正直とは言わない。ただの自己中というかワガママなだけです。
 「返す刀」で嫌いなモノ、興味がないモノを叩きまくる、またはなくそうとする、それは<正直>かどうかとはまったく関係がないんです。

 インターネットの時代になって、正確にはSNSが幅を利かせる時代になってね、大幅に露呈したとは思うけど、「自分が気に入らないモノ、興味のないモノを「機に乗じて」叩き潰そう」という人は昔からいた。
 ここ数年でも、コロナ禍の時のパチンコ屋叩きとか、旧ジャニーズ問題の時とか松本人志や中居正広の騒動の時なんかまさにそうでね、これが「マイナスから再スタートさせろ」ってんならわかるんですよ。でも「完全に消滅しろ」=根絶やししろ、とかって、やっぱりおかしい。しかも根絶やし以外だと<援護>ということになるらしいんだから、もう開いた口が塞がりません。
 これこそまさに、Page1で書いた極論で、極論でしかモノを見れない恐ろしさがよくわかる。と同時に、極論では何も解決しないのがわかってなさすぎる。「万引きで死刑になったら誰も万引きしなくなる」とか言ってるのと、んで万引き死刑を<正論>と思ってしまう輩と同じです。
 何というかね、あまりにも「世の中の<しくみ>」みたいなのがわかってなさすぎるんですよ。ま、幼稚と言い換えてもいいんだけど、何で現状そうなってるか、つまり「現状分析」なんか一切せずに、全部脳内で、しかも都合の悪い反証は無視して<正論>なんてあり得ない。つかそんな理屈、社会で通用するわけがない。
 アタシから言わせれば、こういう輩の思考はカルト宗教やカルト政治団体と同じです。つまり「自分の考える理想=正論」ではない、いやもっというなら「自分の考える理想=他人さんから見ればただの極論」という当たり前すぎるくらい当たり前の話がわかってなさすぎるというか。

 これは決めつけかもしれないけど、どうも<新しい>に執着する人って「自分の考える理想=正論」と思い込んでる人が多いように思う。言い方を変えれば「自分にとっての理想=<新しい>という言葉で誤魔化している」とでも言うのか。
 イフってのはあくまでイフなんですよ。「もし~ならば」と考えるのは楽しいし、そういう時ってどうしても「自分にとっての理想の展開」になるんだけど、どこまで行ってもイフの世界でしかない。
 正解なのか、<新しい>のかはわからない。結果、成功するか失敗するかもわからない。でもこれが「自分の<やり方>」であり「自分の理想」なんだから、それに向かって邁進するってんなら、これは誰にも否定出来ないんですよ。
 というかこういう言い方なら、正直可能性が薄いと思っても「やれるだけやってみろ」というかもしれないし、莫迦だなぁ、と思いつつ、心の底では応援したくなる。
 「応援したくなる」ってのは本当に重要なんです。というか「応援したくなるモノが成功する」ってのは本当の理想のはずで、ま、あくまで<成功>を求めるのはわかるんだけど「世の中の人から恨みを買ってでも成功する」というのは次善の策なんじゃないかと。
 これだけセンシティブな世の中になってね、一部の狂信者からだけ支持されて、大半の人から莫迦にされたり、胡散臭いと思われたり、ね。もちろん成功さえすればそれでいいんだけど、何も最初から次善の策での成功を目指すことはないんじゃないの?

 要するにアタシが言いたいのは「<新しい>だけ、<古い>だけを強弁しても、実はあんまりトクなことはないんじゃね?」って話なんです。
 実は損得勘定で物事を考えるのは悪いことじゃない。アタシはまったくエラソーに言える立場の人間じゃないし、間違っても聖人君子になれ、とか言いたいわけじゃない。でも「それをやったら得だよ?」とか「そのやり方は損だな」を常に意識しながらの言動ってのが思慮だと思うし、当然のことながら「損だとわかっててもやらなきゃいけないことがある」ってのもわかる。
 もう、本当に説教臭い話になるんだけど、アタシはよく「自分が損することであれば嘘をついてもいい」と言っています。逆に言えば「自分が得をするために嘘をつくと、むしろ損をすることになるぞ」と。

 これも「嘘は人間としていけないことかどうか」じゃないんですよ。人間として正しいかどうかなんて、マジでどうでもいい。それこそ人殺しが何故いけないかに通じる話で、正しいか間違ってるかで判断すれば判断ミスが起こりやすい。何故なら「正しいか間違ってるか」なんて人によってかなり違うんですよ。要するにものすごく<あやふや>なものというか。
 そんな<あやふや>なものに頼るより、もっと単純に損得勘定でやった方が判断ミスが減る。
 損得勘定ってのは「今」はどうでもいい。最終的に、と言った方がいいというか、ここで嘘をついたら、ここで人を殺してしまったら、最終的に自分の人生を俯瞰で見た時に「得か損か」を判断するというかね。

 話が新しい古いからズレてきましたが、新しいか古いかって価値基準がもう「俯瞰で見たら」という視点が欠如しているのです。
 世の中っつーか歴史を俯瞰で見たら、本当に新しいか古いかなんてマジどうでもいいことなんですよ。
 どうせね、これを書いてるのは2025年だけど、2025年時点でどれだけ新しいことでも、あと5年もすれば新しくなくなる。ましてや20年30年経てば古臭いってことになってしまう。
 時代に合わせてアップデートしていけば~なんて言うかもしれないけど、まァ、そんなことが出来るヤツとかほぼいないね。つか時代に合わせてアップデート出来る人間は「新しい<やり方>」なんて陳腐な物言いはしない。
 野球の話で恐縮ですが、岡田彰布なんか見てたらまさにそうだと思う。
 阪神タイガースは2023年に日本一になり、阪神の監督が岡田だったのですが、よく「岡田は時代に合わせた指導をしたから結果に結びついた」と言われました。
 岡田は前回の阪神監督時代、<JFK>と言われる強力なリリーフ陣を形成した、まァ言えば野球に革命をもたらした人物でもあるのですが、岡田はね、間違っても「どや?JFKって新しいやろ、おーん」とか言ってないんですよ。
 たしかに変えたところもある。でも「やりたい野球」、いや「勝てる野球」はこういうものだ、という<芯>のところはまったく変えてない。変えたのはいわば枝葉の箇所だけで、こうした「<芯>はテコでも変えない、でも枝葉はいくらでも柔軟に変える」というような人がどれだけいるかって話です。

 <芯>は変わってないことを取り出せば「古臭い」のかもしれない。で、枝葉は柔軟に変えることを取り出せば「新しい」のかもしれない。
 所詮、新しい古いなんてその程度の話なんです。そもそも<芯>がない人間に何かが成し遂げられるとは思えないし、柔軟性がない人間が長期に渡って結果を出せるわけがない。
 つまりね、結局は新しいも古いもどっちも必要なんですよ。新しいやり方が必要なのは当然として、新しいことだけやってればいい、古いことは全部切り捨てたらいい、なんて考えるのは、所詮「その程度の人間」なんです。

 というかね、もしかしたら、それこそこれからの時代、新しいか古いかにこだわってる人間こそ時代遅れになるかもしれない、と思ってるのですが、その話はPage3で。

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