本来であればというか、<キリ>を考えれば2025年の夏にやるべきネタだったのですが、ま、いろいろあってやれなかったのでね。そこはもう、勘弁してもらって、ということで。

 さて、1985年と言えば、アタシ的に言えば「阪神タイガース21年ぶりの(アタシが阪神贔屓になってから初めての)優勝」ってことになるし、世間的にはというか後世まで影響を残しまくったとなったら、何といっても「スーパーマリオブラザース」の発売でしょう。
 しかし今回のテーマは1985年は1985年でもSummer、つまり「夏」に絞る。ま、「スーパーマリオブラザース」の発売は9月だからギリギリ夏ってことで扱えるけど、阪神タイガースの優勝決定と球団史上初の日本一は軽く触れる程度になります。
 だからと言ってまったく、阪神関係ないやろ!ってことでもない。たしかに阪神球団のことではあるんだけど野球とは直接関係ない。
 阪神関係あるやん!で、でも野球は関係ない、となったら、もうあの事故しかないわけでして、今回はあの事故を中心に書きたいと思っています。
 ただしウチは事件系事故系サイトでも何でもないので、事故の真相は、みたいなことはやらない。絶対やらない。理由?それは墓場まで持っていきます。(←こういうネタは入れる)
 じゃあ何をやるんだって話ですが、個人的にはこの事故は忘れることは出来ない。何故なら高校2年の夏、あの日は・・・。

 とまあ、言ってもこのエントリはあくまで「ルックバック」としてやるのですが、シリーズ初のサブタイトルを付けました。もちろんブルーハーツの「青空」の一節ですが、何でこんなサブタイトルを付けたかはおいおい。

 とにかくです。「ルックバック」なんだから「ルックバック」らしく1985年の<出来事>を転載していきます。っても<Summer>なんでギリギリ夏の範疇に入りそうな6月から。

6月6日 ・エホバの証人の信者が、自転車でダンプカーに巻き込まれる交通事故に遭った当時10歳の息子への輸血を拒否、息子が搬送先の聖マリアンナ医科大学病院で死亡


6月8日 ・神戸淡路鳴門自動車道の大鳴門橋が開通


6月17日 ・柔道ロサンゼルスオリンピック金メダリストの山下泰裕が現役引退


6月18日 ・豊田商事会長の永野一男が自室玄関前にマンション内で刺殺。この日逮捕されるとの報道で大勢の報道陣が大阪市内の永野が住む自宅マンションに集まり、その中で永野が暴漢に刺殺される映像を生中継(一部は録画)で放映。実際に殺害される場面を生の映像で伝えたNHKではアナウンサーが「子供には見せないで下さい!」と連呼

・神戸市営地下鉄名谷駅 - 西神中央駅(西神延伸線)が延伸開業


6月19日 ・投資ジャーナル事件に関与したとして、投資ジャーナル社の会長・中江滋樹らが逮捕


6月24日 ・アイドル歌手の松田聖子と俳優の神田正輝の結婚式が開催され、テレビ朝日系で「独占生中継!!おめでとう 聖子・正輝結婚!・今夜愛の旅立ち」と銘打ち独占放送。「聖輝の結婚」と称されたこの結婚の特番は視聴率34.9%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録


6月30日 ・関西テレビ・フジテレビ系のクイズ番組「クイズDEデート」(筆者注・「一目合ったその日から~」でお馴染みの桂三枝(現・文枝)と西川きよし司会の「パンチDEデート」とは違う)が終了、8年3か月の歴史に幕



 あくまで<前フリ>として、というか時代感を知って欲しかったので6月から入れたのですが、そのわりにはかなり濃い、ドロっとした出来事が多い。
 というかね、アタシは記憶力が極端に悪いとしつこく書いてるのですが、その記憶力の悪いアタシでさえ憶えてるものばっかりです。
 とくに豊田商事はあまりにも衝撃的だったんでかなり憶えてるし、松田聖子と神田正輝の結婚も(結婚<式>はあんまり憶えてないけど)発表された時はかなり驚いた。(今度生まれ変わったら、とか言ってたんじゃなかったのかよ・・・)

 ただ投資ジャーナルは事件そのものよりも中江滋樹のインパクトのある見た目と、もう掘り返されたくないだろうけど、どうやっても投資ジャーナルと聞けば倉田まり子が浮かぶ。まァほぼ間違いなくただの記念写真でしかなかったんだろうけど、それにしてもさ、あれはインパクトありすぎた。

 いやね、倉田まり子がアイドルをやってたのは当然知ってたし、たぶん歌ってるところも見たことあると思うけど、きわめて印象の薄い人で、あくまで見た目だけで言えば石川ひとみあたりとかなりゴッチャになってる。って石川ひとみと言えばNHKでやってた「プリンプリン物語」の声優のイメージが強いので、つまりアタシの中で「石川ひとみっぽいけどプリンプリン物語で声優をやってなかった方」みたいな、悪い言い方をすれば「じゃない方」なんですよ。

 それがさぁ、よりによって中江滋樹とセットで記憶されることになろうとは。

 何でここまで「投資ジャーナル=倉田まり子」というイメージが脳裏にこびりついたか、それは例の写真が何度も何度もワイドショーで流されたから。これは豊田商事も同じです。
 なのですか、ここでひとつの疑問が浮かぶ。
 当時アタシは高校2年生でした。んでアタシが通っていた高校は通学に1時間半もかかる、まァかなり遠い場所にあり、当然家を出るのも早く、朝6時半に出ないと間に合わない。またココでも書いたような理由で帰宅は毎日19時を過ぎていた。
 帰宅後は、晩飯を食って、とりあえず寝る。野球も見ずに。だから実はこの年アタシは阪神の試合をそこまで見てないのです。
 んで起きるのは23時前。それから「プロ野球ニュース」や当時はどこの局でもやってた深夜劇場(かなり古い映画のテレビ放送)を見てから寝る。つまり当時のアタシの睡眠は「20~23時」と「3時~6時まで」とふたつに分かれていたわけで。

 これ、どういうことかわかります?
 芸能ニュースや「野次馬的」な観点でニュースを報じるのは朝の8時半からはじまるモーニングショー、んで12時からのアフタヌーンショー(同名の番組があるのでややこしいけど)、んで15時からのワイドショーしかない。ちなみに「芸能ニュースこそ扱わないものの、比較的くだけた雰囲気でニュースを扱う」嚆矢となった「ニュースステーション」は1985年10月開始で、要するに「6月の時点ではまだ始まっていない」のです。
 つまりです。他18時からのニュースを含めてアタシは「見れるわけがない」のです。
 見たとすれば23時15分開始の「プロ野球ニュース」の前にやってた(つまり23時開始の15分番組の)ニュースしかない。しかし何しろ15分しかないので長々と豊田商事や投資ジャーナルのことばかりやるわけでもなかったと思う。

 まァね、何しろ高校生、つまりまだ子供と言えるわけで、やはり子供の頃の記憶は強いんで、せいぜい2、3度しか見てなかったとしても強烈に印象に残るなんてことはあり得るわけで、つまり実際はたいして不思議な話ではない。
 それはそうなんだけど、当時のニュース番組事情ついてどうしても先に触れておきたかった。ついでに当時のアタシの行動っつーか生活パターンについても書いておきたかった。このふたつは後でつながっていくのでね。
 ま、何にしろ、豊田商事も投資ジャーナルも、それを報じたニュース番組も、何か実感があるのか、つまり「身近な出来事」なのか、というとぜんぜん違う。どこまで行っても「ブラウン管の向こう側」の出来事です。

 まだインターネットなんてものは誰も知らない。まァ誰もかはともかく世間一般の人は知らない。新聞やラジオ、あと雑誌なんかはあるけど、当時、神戸の片隅に暮らす一介の高校生がいくら「世の中を知ってる」気になっても所詮はすべてブラウン管の向こうの話だった。
 ニュースだけじゃない。比較的近くに住んでいたとは言え、滅多に甲子園球場には行けない。大好きな阪神タイガースの試合もサンテレビでの中継(サンテレビボックス席)などの「ブラウン管の向こう」の話であり、どころか本来映画館で上映される前提で作られたはずの古い映画もブラウン管越しで眺めていた。
 高校生のアタシにとってブラウン管(テレビ受像機)は唯一世間を感じとれる魔法の箱だった。
 ま、正直こうやって書くとクサいんだけど、この前提がなければ「ただいろんな出来事を十把一絡げにしてるだけ」にしか見えないと思う。
 そうじゃない、というか「所詮全部「ブラウン管の向こう側」の話なんだから十把一絡げにするしかない」んです。

 さあ、ウダウダ言ってないで、続いて7月もやってしまいます。

7月9日 ・徳島ラジオ商殺し事件の再審公判で、徳島地方裁判所は被告人(判決前に死去)に無罪判決


7月10日 ・京都市が古都保存協力税条例を施行。以後、同税に反対する金閣寺・銀閣寺・清水寺などが拝観停止を実施


7月11日 ・国鉄能登線古君駅 - 鵜川駅間で急行列車「能登路5号」が脱線。7人死亡


7月24日 ・熊本県上益城郡甲佐町で熊本母娘殺害事件が発生。加害者の男は1962年に元妻の母(義母)を殺害したとして尊属殺人罪で無期懲役刑に処されたが、その仮釈放中に元妻の親族たちへの逆恨みから犯行に及んだ

・コメディアンで俳優のたこ八郎が神奈川県の海水浴場で飲酒後に海水浴をし、心臓麻痺により死去


7月25日 ・女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約を日本が批准・発効


7月26日 ・長野県長野市の地附山で地すべりが発生。埋没、全壊55棟、死者26名



 なんか一転して7月はおとなしい。「徳島ラジオ商殺し事件」は大事件だけど、起こったのは1953年だからね。逆転無罪判決が出たのかこのタイミングだって話だから。
 で、言うまでもないけど、8月はめちゃくちゃになるのですが、どうもこうやって見れば「嵐の前の静けさ」にさえ思える。
 てなわけで本丸に入っていきたいのですが、その前にもうちょい「当たり前」を書いておきます。
 当たり前?そうです。令和の今見れば「え?」と思うかもしれないけど、少なくとも1985年時点では当たり前だったことを書いておかないと、もしかしたら以降の話が掴みづらくなるかもしれないんで。
 とにかく7月30日のテレビ欄をご覧いただきましょうか。何しろサブタイトルが「ブラウン管の向こう側」なんで。


 7月で区切るんなら最終日の7月31日の方が良いのでは?という疑問はその通り。なのに何で30日にしたのかは「火曜日だったから」です。この後のことを考えたらどう考えても火曜日の方がね、都合が良いんですよ。
 やはり、目につくのは「藤子不二雄ワイドって何なんだよ」かもしれません。当然アタシと同年齢、もしくは7、8歳下くらいまでの方なら「そういやこの頃は藤子不二雄<ブーム>だったなぁ」ってご記憶があると思うのですが、ここまで名前がフィーチャーされた漫画家は他にいない。手塚治虫も冠番組はあったけどスペシャル番組で、だったし(例・24時間テレビ)、でも藤子不二雄は違う。毎週レギュラーで漫画家の冠番組が放送されていたんです。


 この頃藤子不二雄のアニメ化作品を独占的に放送していたのはテレビ朝日でした。それまで藤子不二雄アニメというとモノクロ作品時代のTBS、「新オバケのQ太郎」や「ドラえもん(1973年版)」の日本テレビが中心でしたが、「ドラえもん(1979年版)」以降は「制作・シンエイ動画」「基幹放送局・テレビ朝日」でほぼ固定されることになった。1990年代以降はまた変わっていくのですが、少なくとも藤子不二雄<ブーム>時はこの体制だったわけです。

 「ドラえもん」のパイロット版の出来の良さを見たことでテレビ朝日が放送に前向きになったと言われていますが、まさか、ここまでの金の卵というか<金脈>だったとは想像もしてなかったと思う。でなければ「平日18時50分から10分の帯枠」なんていうキワモノ枠を用意しない。本当に最初から金脈と思ってたならゴールデンタイムに30分枠を用意するはずだから。
 って、何でそこまで「藤子不二雄」その人(その人<たち>だけど)ではなく放送局にこだわるのか?それはおいおいわかっていきます。てなわけでPage2に続く。

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