そんなわけで続けていきたいのですが、まずはこれをご覧ください。


 日航機事故翌日(つまり8月13日)のテレビ欄ですが、これが火曜日なので<伏線>として7月末のテレビ欄も火曜日に合わせたわけです。
 しかしこうやって見ると、意外にも日航機事故関係の特別番組が少ない。「朝刊に間に合わなかっただけ」と思われるむきもあるかもしれませんが、夕刊でもあまり変化はなく、唯一「火曜ワイドスペシャル」(フジテレビ系)のみが「スクープ!!奇跡の生還 日航機墜落現場に生存者が!!墜落炎上のなかで、生きていた!!ジャンボ機事故、空陸から徹底リポート!!」というタイトルで(長いわw)差し替えられてるくらいです。
 あ、ちなみにテレビ朝日系の「パンツの穴」はそのままでした(白目)。そんなに「パンツの穴」が重要だったか。ま、契約の関係だろうけど、何やってんだテレビ朝日。(←これも一応伏線)


 で、さらに一週間後、つまり1985年8月20日のテレビ欄。あ、今回面倒だったので(いやそれだけじゃないけど)朝日新聞で統一しています。

 もう日航機事故などなかったかのように、一見平穏な日常(というかテレビ)に戻ったかのように見えます。
 実際、何もなかったっちゃあ、何もなかった。何もないまま、8月が終わり、9月になって、季節もめっきり秋めいて10月になった、頃、突然「1985年8月20日火曜日」に放送された、とある「テレビ番組」が猛烈な勢いで注目されることになるのです。
 しかもそれは、この年の春に放送開始から20年を迎えた長寿番組。そして間違いなくテレビ朝日の看板番組でした。
 ・・・ここまで書けばリアルタイムの記憶のある方ならお判りでしょう。

 「アフタヌーンショー」にかんしてはココでちょろっと触れたことかありますし、ココでも書いたことがある。それでも桂小金治司会時代を知らないアタシら世代にとって、やっぱ「アフタヌーンショー」と言えばコレでしょう。

 もともとこれはザ・ぼんちの漫才のネタなのですが、あくまで<素材>として「アフタヌーンショー」の事件を扱うコーナーをパロディ的に扱っただけです。(だから別にモノマネではない)
 ぼんちの話はともかく、今思えば、アタシが事件モノに興味を持つようになったのは「水曜スペシャル」の事件回と「アフタヌーンショー」の、司会である川崎敬三とこのコーナー担当だった山本耕一(念の為書いておけばこの人も役者です)による事件コーナーだったと思う。(ちなみにこのふたりによる事件コーナーが「毎週火曜日の放送だった」ということを記憶しておいてください)
 で、アタシにとってその最終到達地点が「だてレビsideB」のミステリーアワーと言う番組だったと。

 話が逸れたので大幅に戻しますが、1985年8月20日の「アフタヌーンショー」の視聴率は7.3%という「毎週火曜日の視聴率として見れば良くも悪くもない」もので、もっとも裏で夏の高校野球準決勝が行われていたことを考慮すれば、まあまあ健闘、くらいの感じだったみたいです。
 まさかこれが、ひと月半ほどしてとんでもない騒ぎになるなどとは誰も予想してなかったと思う。
 「あー、これ見てたわ。めっちゃすごかったで!」とかいう関西人がいたとするならダウトです。何故ならこの回は関西では放送されてない。

 ま、「い、いや、この日たまたま東京に旅行に行ってて・・・」とかならともかく、まあ嘘というか記憶のすり替えですな。言い訳にもなってない。ましてや前段で「ちょうどオカンがつくってくれた焼きそば食べながら見てたわ」とか言っちゃってたら完全に言い逃れが出来ませんな。
 つまりです。神戸出身のアタシはこの回の「アフタヌーンショー」は当然見ていない。いやアタシも何となく見た気にはなってるんだけど、実際は見れるわけがない。

 だけれども、だけれども、です。
 毎日当たり前のように学校に行かなければならない子供は、平日の正午からやってる番組なんて春休みとか冬休みとか夏休みとか、あとはせいぜい祝日とか風邪をひいて休んだとか、そういう限られた日しか見れないわけです。でも何故か「お昼のワイドショー」とか「笑ってる場合ですよ!」とか、その後継番組の「笑っていいとも!」とか、すんごい見てた記憶がある。当たり前だけど、仮に学校が休みでも「どれかひとつ」しか見れないにもかかわらず。
 だからか、10月になって、阪神タイガースの優勝が目前になった頃、「アフタヌーンショー」がなんかとんでもないことになってる、と知った時はめちゃくちゃショックだったんです。

 実際に大騒動になったのは先ほどから書いてるように10月に入ってからなので、このエントリの趣旨である「Summer」からズレるのですが、少し逸脱してでもこの件にかんしてはちゃんと書いておきたい。
 概要を書いておけば、要するに「リンチシーンが撮影したい番組スタッフが素人の若者たちに暴行を指示し、しかも暴行「された側」には撮影云々は一切伝えられておらず、この件の報道が始まってすぐに被害者のひとりの母親が自殺した」というものです。
 しかしこの自殺が本当にこの番組と関係あるかははっきりしておらず、また暴行を指示したとされるディレクターは「そんな指示はしていない」と真っ向から否定している。


 ですが、そんな話が<世間的に>通用するわけもなく、司会の川崎敬三や「ばばこういち」は番組を痛烈に批判した上で降板を発表し、またスポンサーも続々撤退、とても番組を継続出来る状態ではなくなり、一報が入ってからわずか10日後に番組が打ち切られるという壮絶な最後となりました。
 実はこのリンチシーンを演出したとされるディレクターは一冊の本を書いている。それが「テレビ朝日やらせリンチ事件の真実 ピエロの城」というもので、今回このエントリを書くにあたって読んでみました。

 もちろん片側からの言い分でしかないので、この本で繰り返しディレクター氏か主張している「暴力教唆はなかった」という意見を鵜呑みにすることは出来ません。
 おそらくこの問題の本質は、同書籍に収録されている「アフタヌーンショー」の出演者でもあった「ばばこういち」との対談でばばこういちが指摘した通り「中途半端」な演出方法にあったと思う。
 ただしそれでも、当時のテレビ朝日の「トカゲの尻尾切り体質」だけはくっきり浮かび上がっている。

「今村(優理子/筆者注・「アフタヌーンショー」の女性司会者)さんの事情聴取をしたときも驚いたんだが、君の局は彼女に弁護士もつけてよこさなかったんだよ。事情聴取というのは、まかりまちがえば、その場でただちに逮捕ということだってあるんだし、普通は弁護士がつき添ってくるというのが常識なんだ。君の場合もそうだったし、われわれはテレビ朝日という会社の冷たい姿勢にはびっくりしているんだよ。」


 これは担当検事からディレクター氏が言われたことですが、もう一度繰り返しておきます。担当<弁護士>ではない。担当<検事>です。
 本来であれば敵対するはずの検事から「アンタがいた会社、ちょっとおかしいんじゃねーか?」と言われてるわけですよ。
 もうひとつ、ディレクター氏の意見に同調することがあるとするなら、川崎敬三や今村優理子、このコーナーを担当していた山本耕一などの、いわば巻き込まれ事故にあった出演者たちに十分なアフターフォローが何故なされなかったのか、という点です。
 この書籍が発行されて以降の話になりますが、唯一川崎敬三は「新アフタヌーンショー」の司会に起用されるというフォローが行なわれましたが、では他の出演者は、というと、少なくともテレビ朝日がアフターフォローを行なった形跡はありません。

 ここで長年川崎敬三とともに番組を支えてきた今村優理子のケースを見て行きたい。
 まず、先ほどから「女性司会者」と書いてきましたが、実質的なポジショニングは「司会者は川崎敬三ただひとり」であり、では今村優理子はというと<司会者>というより「アシスタント」に近い。
 しかしこれはしょうがないところもある。川崎敬三は数々の映画に出演していた<元>くせ者役者であり、1967年から放送されたTBS版テレビドラマ「サザエさん」(サザエさん役は映画版に引き続き江利チエミ)ではマスオ役をやるなどお茶の間にも広く知られた存在でした。
 しかし今村優理子はそうではない。「アフタヌーンショー」が行なったオーディションで見事出演を勝ちとった、いわば今村優理子にとって「アフタヌーンショー」はデビュー番組なのです。
 もちろんその後、8年にわたって起用され続けてきたのは彼女の実力があればこそでしょうが、完全に新人として番組に入ったのだからあまり立場は強いものではなかったと思う。ちなみに「アフタヌーンショー」出演時の月収は150万円だったらしい。(←これもたいがい少ないよ)


 ↑は「週刊平凡」1986年5月2日号ですが、これによると今村優理子は「アフタヌーンショー」がなくなって失職状態となり(番組が終了して月収が1/10になったらしい)、1986年4月から新たに新番組の司会は決まりましたが、これが『テレビ大分の料理トーク番組』という、こう言っては申し訳ないけど、キー局の人気番組から所詮地方ローカル局の番組ではあまりにも都落ちがすぎる。
 ちなみに「新アフタヌーンショー」には今村優理子は起用されていない。もしかしたらテレビ朝日からしたら「事件を連想させる今村優理子の顔など見たくない」ということだったのかもしれないけど、これはあまりにも冷たすぎる。結果彼女はシャンソン歌手を目指したりしましたが(大阪音楽大学声楽学科出身だったらしい)、結局芸能界から引退している。
 テレビ朝日の尻尾切り体質の象徴が今村優理子であり、いわば一番の犠牲者だったと思う。ま、その後ご結婚されて音楽教室を開くなど幸せな人生だったっぽいのが唯一の救いです。

 さて、Page1でもちょろっと触れましたが、「アフタヌーンショー」の<やらせ>問題が起こった1985年10月、テレビ朝日は社運をかけた超大型のニュース番組を立ち上げている。もちろん久米宏司会(≠キャスター)の「ニュースステーション」です。
 始まったばかりの「ニュースステーション」でも一応「アフタヌーンショー」のことは取り上げてはいる。しかし当然のことながら「テレビ朝日の尻尾切り体質が原因」というような論調ではない。つかもしここで自局の追求なんてことをやったら、あんなに長く続く看板番組にはならなかったと思う。いや「思う」じゃねーな。絶対にならなかった。
 つまり言い方を変えればテレビ朝日は「古びた看板の「アフタヌーンショー」を打ち捨てて、新しい看板の「ニュースステーション」に架替えた」とも言える。
 ま、それはどうかわかんないけど、あんまり「アフタヌーンショー」→「ニュースステーション」という流れに言及した文章がないので、ちょっと天邪鬼的に書いてみた次第です。

 もう少し「ニュースステーション」の話を続ければ、よく言われるようにあれはその前に久米宏が日本テレビ系でやっていた「TVスクランブル」(横山やすしが出ていたことで有名)の題材を「報道」に振ったものと言われていますが、たしかに、それこそ「アフタヌーンショー」のようなワイドショーとも、情報バラエティ番組とも、ストレートニュースとも違っていて、とにかく「明るく」「広々したセット」「(既存のニュース番組に比べたら)若干くだけた口調」といった感じで、間違いなくそれまでになかった新しさがあった。
 先行する形で1974年開始のNHK「ニュースセンター9時」はありましたが、「ニュースセンター9時」はやはりNHK独特の硬さというか生真面目さがあり、コーナーによっては爆笑することも厭わない久米宏の硬軟織り交ぜた司会ぶりがより<新しさ>を際立たせていました。
 ま、それでもざっくり言えば「芸能ニュースを扱わない、仰々しくないワイドショー」というイメージだった。つまり時間帯はともかくとして「アフタヌーンショー」の看板架替え番組としてはこれほど「うってつけ」の番組もない。

 いや、これは現在と根本的な違いだと思うので書いておけば、1980年代いっぱいくらいまでのテレビは、とにかく全部が大仰だった。

 ↑はいうまでもなく「水曜スペシャル」の川口浩探検隊だけど、今見たら異様に見えるかもしれませんが、別にこういう内容の番組だからこんな大仰なわけではなく、どの番組も基本こんな調子だった。
 とにかくこの手の仰々しいフォント(ま、フォントではなく手書きだけど)を画面いっぱいに表示させて視聴者を煽りまくってたんです。

 ↑こっちはまさに「アフタヌーンショー」の例の<やらせ>回ですが、ね?ほとんど一緒でしょ?
 つまりは「ニュースステーション」=この手の仰々しさ(ゲテモノ感と言い換えてもいい)を排除して、もうちょい端正に、もうちょい行儀良くした、でも根本はワイドショーとたいして変わらない、みたいな、というのが一番適当だと思います。

 そんなわけでPage4に続く。ま、重い話は終わったんでかなり軽くなると思いますが。

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