たしか10月の頭だったと思う。語学学校から電話が来た。要するに「あなた、このまま学校に来なければ退学になりますよ」という衝撃の内容だったんです。

 た、退学?んな馬鹿な。いやそもそも退学とかそういうことがあるのか。そんなことは何も聞いてない。代理店でも一切そんなことは言われていない。
 アタシはあわてて、日本の代理店に電話をした。代理店曰く「そんなことはないと思うので大丈夫ですよ」と根拠のない楽観を述べるだけで、もちろん先方(アタシの通う語学学校)に確認するわけでもなく、てんで話にならない。
 アタシは懇意にさせてもらっていた、イギリスに移住して10年以上になる日本人の方にに相談して語学学校についてきてもらうことにした。そこで詳細な話を聞くと

「やはり出席日数が極端に足りない生徒は退学にするしかない。当然退学となれば強制送還の可能性がある」

 マジで目の前が真っ暗になった。つか話がぜんぜん違う。しかしいくら代理店に抗議しても「そんなことはないと思います。当社では一度もそういうことがありません」と言い張るのみ。こりゃダメだ・・・。


 しかし、その懇意にしてもらってる日本人の方がいろいろ交渉してくれて、今後、毎日必ず学校に来る、一日の休まないのであれば退学を取り消す、ということになった。
 その時点で滞在ひと月ちょっと。学校に行きながらでも調査は出来るんじゃないかということはわかってきてたけど、それでも学校に行くのは嫌だった。
 しかしこうなっては嫌もヘッタクレもない。強制送還だけは絶対に避けなければいけない。となるともう、毎日学校に行くしかない。正確には「行くしかなくなった」のですが、そうか、またあの、辛い日々が始まるのか・・・。

 相変わらず授業中も、授業の合間も、アタシはオミソだった。
 英語が喋れない。そのコンプレックスに押し潰されそうになっていた。そうなると一層、殻に閉じこもるようになって、クラスメイトと一切コミュニケーションを取ろうとしない。授業が始まる寸前に教室に入って、終わるとさっと消える。もうそれくらいしか自衛手段がなかったんです。
 にもかかわらず、そんな殻に閉じこもっているアタシに、たったひとりだけ声をかけてくれる人がいた。
 彼はマリ人でした。正直「マリ」という国が在ることすら知らない頃で、黒人で、しかもデカい。つかメチャクチャガタイがいい。もう「想像上のコワいガイコクジン」を煮詰めたような見た目です。
 にもかかわらず非常にフレンドリーだった。だったのですが、何しろ当時のアタシは厚い厚い殻に閉じこもり中で、軽く挨拶する程度で終わらさせた。やっぱ、見た目コワいし。

 そんなタイミングだった。
 授業が終ってアタシは学校から出た。んで、そういや何かメールが来てたな、と交差点で止まったタイミングでポケットからiPhoneを取り出した。
 すると、後ろから猛スピードで自転車が走ってきて、手に持っていたiPhoneをサッと取っていったのです。
 最初は事態を把握出来ず、何か、イタズラかなんかと思った。でもそのまま自転車ははるか彼方に走って行くのが見えた時点ですべて察した。

やられた!!
買ったばかりのiPhone5を!
徹夜で並んでまで買ったiPhone5を!!!

 まだ学校を出てすぐの場所だったので、アタシはとりあえず学校に駆け込んだ。ひたすら「ストレーン!ストレーン!」と叫びながら。
 ストレーンとは「スティール(盗む)」の過去分詞ですが、何で過去分詞が出てきたのか自分でもわからない。アタシが言ってたクラスはほぼ最低の学力レベルだったので過去分詞なんて教わったとは思えない。
 なのに、咄嗟に「ストレーン!」という言葉が出てきた。それはいいんだけど、アタシの学力では到底盗まれた状況を上手く説明出来ない。
 しかしありがたいことに、同じ学校に通う日本人や、ほんの少し日本語が理解出来る職員が上手く説明してくれて、警察も呼んでくれた。
 担任のティーチャーが駆け寄って、アタシの肩を抱きながら「そういうことがある国なんだ。でも気を落としちゃいけない」と必死に励ましてくれた。

 アタシは日本に来る直前に事故を起こした、というようなことを書きました。
 この時はともかく、日本でも自分が被害者になるような事故や事件はいろいろあったけど、事故や事件そのものよりも「事後」で嫌な、というか不愉快な思いをすることが多かった。
 だけれども、この時ばかりは違った。みんなが協力して対処してくれて、ちゃんと気遣ってくれる。誰も「お前がボーッとしてたからこんなことになったんだろ!」なんて責める莫迦はいない。(日本ではそういうことがよくあった)
 だから、家に帰る道すがら、待望のiPhone5を盗まれたというのに、妙に清々しい気持ちだった。ま、保険会社に連絡したら全額戻ってくるってのがわかったのもあるけどさ。

 翌日のことです。
 教室に入って授業が始まるのを待ってると、いつもより陽気な感じで、例のマリ人が「ハウドゥユドゥー?」と声をかけてきた。アタシはいつも通り「アイムファイン」と素っ気なく返事したんだけど、その瞬間、そのマリ人が少し悲しそうな表情を見せたのです。
 それを見ていた、前日のiPhone盗難騒動で助けてもらった日本人がアタシに近づいてきた。

「彼はアナタがiPhoneを盗まれたのを知ってる。だからそれを正直に言って欲しかったはずだ」

 それを聞いた瞬間、教室が潤んで見えた。なんて優しいヤツなんだ・・・。
 いや、そもそも、間違っていたのは全部自分だ。英語が喋れないからと殻に閉じこもってコミュニケーションを取ろうともしない。そんなことを言えば「英語が喋れない」からここの語学学校に来てるわけだし、アタシと同じクラスということは、少なくともこっちの人間からしたら英語力なんて五十歩百歩ってことだろう。
 でも方や、そんなことはもろともせず、心配だからと声をかける。一方アタシは「恥をかきたくない」というショーモナイ理由で素っ気ない返事をする。
 マリ人は、いや日本人を含む語学学校に通う他の生徒、そして担任のティーチャーを含む職員は<説教>ではなく<優しさ>で「間違ってるのは誰か」を教えてくれた。

変わろう

ここで変わらなければ

もう人間じゃない


 もう恥でもなんでもいい。笑われようがどう思われようがたいしたこっちゃない。さすがにいきなりコミュニケーションを取っていくのは難しいけど、それでも出来ることがある。
 よし、もうこうなったら、一回の授業につき、最低一回はジョークを言ってやるぞ!と。

まさかイギリスに来て荒井注の偉大さ悟ろうとは思いもしなかった。でもこれがジョークの基本なんだよね。

植田まさしによる深ァい、ありがたい言葉。そうなんだよ。風刺なんて二の矢なんだよ。まず、どれだけバチーンと相手に突き刺さるジョークが言えるか。そっちのが<笑わせる>ことにおいてはよほど重要なわけで。

 フシギなんだけど、無理矢理ジョークを言い始めたら、前にも増して人が寄ってくるようになった。んで、何よりフシギなのはほぼこのタイミングで「英語が聞こえるようになった」のです。
 あ、あくまで「聞こえるようになった」だけで、何を喋ってんのかはよくわからないですよ。でもそれまで「ひとかたまり」に聞こえていたのが「ここからここまでが単語、ここからここまでがひとつのセンテンス」ってのがわかるようになった。
 たぶん、イギリスに来て2ヶ月ほど経って「耳が慣れた」ってことなんだろうけど、とりあえず「聞こえるようになった」ら最低限のコミュニケーションが取れるようになった。つかわからない単語は無視すりゃいいし、重要そうな単語なら辞書アプリで調べりゃいい。
 聞こえたからと言って喋れはしないけど、紙とペンさえあれば<絵>で伝えりゃいい。どうせ他のクラスメイトもアタシと同じくらいの英語力なんだから。

 そのうちジョークもハマり出した。
 今でも憶えているのが、アタシが買ったばかりの服で登校した時、ティーチャーが「いい服じゃないか」と言ってきたので「これ、すごく高かったんだ。高級店で買ったからね」と答え、ティーチャーが「高級店?どこで買ったんだ?」と聞いてきたので、すかさず「プライマーク!」と答えた。
 日本人にはわかりづらいジョークだけど、プライマークってのは日本で言えば、しまむらとかGUのようなロープライスの店で、ロンドンの人間なら誰でも知ってる。品質はお察しだけど、とにかくクソ安い店ってことが。
 こんなのベタもベタなんですよ。でもベタでいい。何も高級な笑いだったり、ましてや風刺なんていらない。
 ただし、どれだけ巧みに話を引っ張るか、そしてオチの「プライマーク!」と発する<間>だけは相当練った。これはもうイギリスであろうが日本であろうが変わらない。ちゃんと構成さえ考えれば、ちゃんと<間>をはかれば、イギリスでも笑いが取れる!

 これ実は、何も<笑い>だけに限らないのです。
 マリ人の人を気遣う優しさなんかその典型だけど、ナニジンであるかで大きく何かが変わるわけではない、ということを痛感した。
 思えばイギリスに来て、自分は日本人である、ということを過剰に意識しすぎていたんだと思う。日本では、とか日本人として、とか、でもそんなの関係ないんですよ。人種とかどこの国出身とかよりも「その人」がどういう人かが重要なわけで、アタシだって必ず日本人となら仲良くなれるかと言うとなれない人もいるように「同じような環境で育った」というのは仲良くなるための「ほんの小さな理由のひとつに過ぎない」と。

 ひとつ例を出します。
 アタシがイギリスで知り合った日本人で、どうしても肌の合わない人がいた。その日本人は何かっていうと「イギリスでは物事をはっきり言わないといけない」という理屈から、自分の言葉で人を傷つけることを歯牙にもかけてないというタイプで、ああもう、こういう人は嫌いだ、と。
 たしかに日本人からしたらイギリス人ははっきりとイエスノーは言うのですが、その代わり、メチャクチャ、返事をする時に気を遣う。イエスノーは伝えるけど、そのことで相手を傷つけてはいけない、それをものすごく気にするのです。ま、みんながみんなかはわからないけど、アタシが接したイギリス人はみなそうだった。
 つまりこの日本人はイギリス人の「イエスノーをはっきり言う」という表面だけ真似してる、というか、もっと言えば自分のワガママをイギリスのせいにしてるだけなんですよ。
 ぶっちゃけ、こんな日本人なんかよりも、人種も生まれ育った国も何もかも違うマリ人の方がよほどわかり合える。
 結局そういうことなんだと。ナニジンかよりも「その人」なんですよ。


 続く。

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