Page2でも書きましたように、アタシが福岡に移住するのは1997年秋。具体的な日にちまでは憶えてないけど、とにかく軽トラに荷物を積んで、大阪南港からフェリーで大分まで行ったことは憶えています。

 もちろんそれは今回の主題となる出来事から一年後のことですが、1996年の天神と1997年の天神を比較出来るのかって言うと、データ的なことではなく「記憶」としては難しいんですよ。
 というのもです。ここから福岡に移住してからの話になりますが、最初に住んだのは厳密には福岡市内ではなく春日原(かすがはら、ではなくかすが<ばる>と読む)で、さらに翌1998年には久留米に引っ越している。
 アタシが名実ともに福岡市内在住となったのは1999年のはじめで、ココに書いたこととは若干違うんだけど、福岡市内、もっと言うなら天神を<暇つぶし>でブラつき出したのは1999年以降なんです。(だから1999年に表面化した東芝クレーマー事件から始まる)
 それまでにも天神に行くことがなかったとは言わない。しかしそれこそ当時のカノジョの付き添いで行ったくらいで、積極的に自分から天神に遊びに行った記憶もない。
 何が言いたいのかと言うと、まったくの初見というか初見参だった1996年の福岡と比較すべきなのは実は1999年なんです。何故なら1997年と1998年の<天神>は「行ったことがあるってレベルで、ほぼ記憶にない」んだから。

 さすがに3年も経てばだいぶ変わってるのも当然で、今回、わざわざ国会図書館にまで行って調査した結果、それが如実にわかった。というかアタシが知ってると思い込んでた天神って、実は1997年から2000年ではなく、1999年と2000年の天神だった、と。
 つまりたった2年。この2年がアタシにとっての「天神のすべて」です。もちろんこれ以降も、つまり福岡を離れてから何度も何度も遊びに行ったし、多少はゴッチャになってるところはあるんだけど、とにかく記憶にある限り、当時の天神を再現してみたい。ってめちゃくちゃ当時の住宅地図に頼ってますが。

 まずはPage2に書いたFREE WAVEの場所ですが、Wikipediaの記載で勘違いしてしまったのは「今の岩田屋本店新館の位置」という記述です。
 アタシはこの「岩田屋本店新館」が当時のIWATAYA Z-SIDE、つまり現在の岩田屋本店だと信じ切っていた。つかもともと元岩田屋本店、現在の福岡PARCOの<隣>にあった「新館」が移転してIWATAYA Z-SIDEになったって勝手な思い込みが強すぎたのです。だから混乱した。
 Page2で書いたように、現在岩田屋本店新館の場所こそが元にしてつカリテンで間違いない。んでこのにしてつカリテンはNHK福岡放送の旧社屋です。そして住宅地図にも、にしてつカリテン(住宅地図では西鉄カリテンと表記)の2階にFREE WAVEの別名「天神FM」という文字が見える。

 じゃあ現在の岩田屋本店、アタシが住んでた頃のIWATAYA Z-SIDEがもともと何だったかです。
 どうもアタシがコミュニティFMで福岡に初めて行った直前にZ-SIDEはオープンしたようで(1996年9月22日オープン)、住宅地図には「NTT-Tビル」という仮称がつけられてました。
 ああ、じゃあもっと古い住宅地図を見なきゃダメか、と思ってね、1992年の住宅地図の閲覧を申請した。
 何があったんだろ、いつしか異様な期待が膨らんだ。
 ですが・・・
 現在、岩田屋本店の隣にアーバンネット天神ビルがあり、これは当時のNTTの社屋ですが、なんと岩田屋本店の位置もNTTだった。つまりただNTTが狭くなっただけだった。

・・・つまんね・・・

 ただし交差点角には、おそらくはかなり小さい「天神メディアプラザ」というビルか建屋があり、ここにはKBC INPAC、NTTプレーゴ JT INFOPLAZAなんかが入っていたようです。
 後、1996年時点ではなかった、んで1999年時点ではあったと言えば天神東宝ビルで、たぶんロングランってことだったんだろうけど1997年末にここで元カノと「もののけ姫」を観てる。これが1997年1998年の数少ない天神体験です。
 ちなみに現在天神東宝ビルはなくなり、リッチモンドホテル天神西通が、んで1階にはロイホがありますね。
 さらにちなみにですが、1996年時点ではまだ工事中で、住宅地図を見ると仮称で「天神東急ビル」となってる。
 いやいや、東急と言えば東映でしょ。それが何で東宝に変わった?これはよくわからん。
 あ、もういっこ。天神東宝ビルと言えば、個人的には<映画>ではなく、たしか1階に入っていた「天ぷらひらお」でして、ここは本当によく行った。何しろ揚げたての天ぷらがどんどん出てくる。んで何より「イカの塩辛食べ放題」ってのがね、またあの柚子が効いた塩辛食いたいなぁ。って今はアクロスの中に入ってるのか。って今はイカの塩辛食べ放題じゃないのかよ!

 とまあ、「天ぷらひらお」以外のことは国会図書館で調べたのですが、アタシもたいがい何度も国会図書館まで行って住宅地図を閲覧してきたけど、住宅地図ってね、本当にピンポイントでしかわからないんですよ。
 たとえば「Z-SIDEの場所に何があったか」みたいにナニ町ナン丁目ナン番地の建屋を遡っていく、みたいなのは得意なんだけど、パッと1996年の住宅地図を見せられてもまったく記憶が喚起されない。つまりそこから広がらないんです。つか別の何かから記憶が喚起されて、具体的な名称を知りたい時に用いるのが住宅地図って感じ、と言えばいいか。
 となったら「記憶が喚起される<何か>」が必要になる。それこそPage2で書いたようなYouTube(元はテレビ番組だけど)なんかです。
 じゃあ他にあるのか、となったら、これもPage2で名前を挙げた「シティ情報ふくおか」のバックナンバーで、これのおかげでだいぶ記憶の補填が出来た。あ、そうか。そういやこんな<空気感>だったわ、と。
 というかね、まずはアタシが初めて福岡という街に行った1996年という時代についてからやりたいのですが、そうは言っても「ルックバック」のようにこんな出来事がありました、とかじゃなくてね、もっとざっくりした、しかし抜け落ちやすい空気感のわかることを書いていこうと。

 いや実際問題、それを生業にしていた人はともかく、令和の今、1996年当時のメイン通信手段は何だった?と聞かれてね、ソラで答えられる人はそういない。
 イエデン?ポケベル?ピッチ?いやすでにケータイ?
 1996年はたしかにいろいろと変わり目で特に難しいのですが、たとえばこれをご覧ください。

 もはや「発信先の番号が表示される」なんて当たり前も当たり前なんで逆に調べられることもないんだけど、ちょうどこの頃にナンバーディスプレイサービスが始まってる。
 新しいサービスが開始されてるくらいだからイエデン、つまり固定電話はまだまだ現役バリバリの時代だったってことです。
 ではインターネットはどうか?というと、さすがに一般家庭でインターネットとなると本当にマニアだけだったと思う。たしかに前年の秋にWindows95は発売されてるんだけど、実際にインターネットに接続していた人間はほんのひと握りでしょう。
 当然この時代だから、光回線はおろかADSLもまだ一般的ではない。つーことはつまり普通は通常の電話回線(いわゆるアナログ回線にモデムで接続する)、良くてISDN回線ってことになる。

 うん、ネスケのロゴマークが懐かしい。
 それはともかく、ISDNでさえ敷いてる家庭はほとんどなかったはずで、だとしたらマニア以外はまったくインターネットに触れる機会はなかったと言ってもいいと思います。
 ただしこの頃からすでにネットカフェのようなものはあった。

 ま、カフェってよりは「インターネット環境を時間貸ししてる」って感じなんだけど、2012年、アタシはロンドンに滞在していたのですが、ロンドンではまだこの手の「インターネット環境時間貸し」みたいなサービスを提供している店が残存していました。ちなみに今は知らい。

 ではモバイル通信はというと、簡単に言えば「ポケベル=黄昏期、PHS=普及期、ケータイ=贅沢品」という感じか。
 とはいえポケベルもまだまだ健在なのは以下の広告を見ればわかります。

 んでケータイはと言えば、こんな感じだった。

 しかしやはり目につくのはPHSの広告で、若者の間でPHS=ピッチが広がりつつあった、と見做して構わないと思います。
 つまり1996年時点ですでに、比較的お金に余裕のない若者でさえ外出先から連絡を取れる手段を持っていた。もちろん人によって「まだポケベル」だったり「ピッチにしたよ!」だったり「リッチにケータイ」といった違いはあったとは思うけどね。
 逆に言えばこの頃から駅の改札横の掲示板が有名無実化したとも言えるんです。

 ではこの時代のファッションは、というと、ま、引用元があくまでシティ情報ふくおかなので、つまり福岡のファッション事情になっちゃうんだけど、それこそ渋谷のような局地的なことではなく、福岡クラスの中規模都市のファッションこそ日本各地の若者ファッション事情を探るのにちょうど良い。

 この年代に街を闊歩していた、つまり1996年当時の若者だった人が見れば「そうそう!こんな感じだった!!」と思ってもらえるはずです。
 これね、令和の今の目でオシャレとかダサいとか言っても何の意味もない。とにかく歴史の1ページとして「こういう人たちが街を闊歩していた」そんな時代があったって事実だけで十分です。
 ま、もっと具体的にと思ったけど、やはりこの時代のファッション、それも全国規模でとなるとコイツでしょう。


 そりゃあね、言葉として「エアマックス狩り」とかは聞いたことはあっても、その実態はこの時代を生きてきた人にしかなかなか飲み込みづらい。
 しかしこうやって見れば、如何に当時「ナイキ全盛期」だったかがよくわかる。つか「今も現存してるけど立ち位置がまるで変わってしまった」二大ブランドのひとつがナイキで、あともうひとつがエイベックスでしょう。
 今もエイベックスは健在だけど、ま、大手レーベルのひとつくらいの感じで、しかし当時はそうじゃなかった。極端に言えば「エイベックス所属でなければアーティストに非ず」くらいの感じで、ヒットチャートもほぼエイベックスが独占していた(ま、実際はトイズファクトリーとかもあったけど)。そんな時代なのです。


 これを見れば当時のエイベックスの勢いが実によくわかる。つか「エイベックストラック!」というサウンドロゴが懐かしい。
 いやたしかにですよ。急に本筋に戻るけど、たしかにアタシたちがやってたのはレゲエっつーかそういう類いの音楽ですよ。だからエイベックス系サウンドはあんまり関係ない。
 それでもさすがにここまで洪水のようにエイベックス系が街のあちこちから聴こえてきたら「知らない」なんてことはあり得ない。
 そうは言ってもクラブに出入りしていた連中の大半はエイベックス系を莫迦にしてたんだけど、アタシたちのユニットはむしろ「あれだけ売れるのは何かがあるからに違いない」と見ていて、この当時、いわゆるコムロサウンドをだいぶ研究した。
 小室哲哉はちょっと機材オタクめいたところがあるにもかかわらず、当時大流行していたアナログシンセをあえて使わない、というようなこともやっており、ユニットのメンバーとも「あれ、◯◯の音だよな」みたいな話をよくしていたことを思い出します。

 ま、とにかくこういう時代だったんですが、Page4では1996年の福岡についてもうちょい掘っていきます。

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