では1996年の福岡にスポットを当てたいのですが、その前にちょっと奇妙なことがあるんでその話から。

これは、まァ、福岡にある一流ホテルの一覧ですが、ラジオ収録のために来福していたこの時、どこのホテルに泊まっていたのか、そもそもホテルにチェックインしたかの記憶がさっぱりないんですよ。
さすがに車中泊ってことはなかったと思うけど、サウナってこともなかったと思う。つかラジオ収録を終えて帰阪した足でサウナに行った、なんてことは憶えてるし、もし福岡のサウナに行ったとかならむしろ憶えてそうなんですよね。
つかね、何でそこにこだわるかと言うと、たぶんこの時点でただのひとりも「福岡ローカルタレント」を知らなかった。もしホテルに泊まってたとするなら、アタシの性格からして必ず福岡ローカル番組を見たはずだけど、その記憶がない。つか実際にローカル番組、ローカルタレントを目にするのは福岡に居住し出した1997年の秋以降です。
では当時、どんな福岡ローカルタレントがいたのか。ここからにかんしては2000年くらいまでの、つまり福岡に居住し始めて、んで福岡を離れることになるまでの期間の記憶も含まれるんだけどご勘弁ください。
・山本カヨ
誰がどれだけ嫌がろうが、福岡ローカルタレントのトップランナーとしてまずこの人の名前を挙げないわけにはいかない。
この山本カヨの知名度を一気に上げたのは「ドォーモ」という深夜番組での「やけぼっくいに火をつけろ」というコーナーだったらしい。ま、それ以前に無修正で出産シーンが放送された、というのも大きいけど、これが1993年のことらしいので当然アタシは見てない。うん、3年遅くて助かった。
・中島浩二
Page2で紹介した動画のテレQ(テレビ東京系)の番組「ぐっ!ジョブ」で司会をしていたのがこの中島浩二です。
しかしアタシの記憶では先の山本華世と武内裕之アナと「ドォーモ」の司会をしていたことくらいしか記憶がない。ま、今も健在で頑張ってるのは良きことだけど。
・コンバット満
元カノ曰く「嫌い。出てきたら自衛隊の話しかせんけん」ということらしいけど、アタシは運が良いのか悪いのか、ただの一回もコンバット満が自衛隊トークをしてるのを聴いたことがない。
ま、こうした話でも、あと芸名でもわかるように自衛隊経験者らしいけど、意外と出しゃばらないタイプなのでアタシはそこまで嫌な印象はない。逆に言えば印象が薄いとも言えるけど。
・スター高橋
何で福岡のローカルタレントについて書こうかと思ったかと言うと、福岡在住の次郎丸さんから「スター高橋って憶えてるやろ?なんか今、議員やってるらしいわ」ってな話を聞いたから。
そうか。スター高橋が議員か。なんか感慨があるのかというと別にないけどさ。
・岡本啓(岡本先生)
アタシが福岡ローカルタレントの中で一番買ってたのがこの人で、もともとタレント志望ではなかったらしいけど、他の人に比べてあきらかに<ソツ>がなかった。こういうソツのないタイプは貴重だと。
つかね、共感性羞恥心というか、見てるこっちが恥ずかしくなる半素人みたいな人がかなりテレビに出てたんですよ。
・安田栗之助
この人は他の人と違ってむしろディスイズ福岡ローカルタレントというのを前面に出してたからね、こういう人には共感性羞恥心は感じない。つかたぶん「福岡のタレントってこんな感じでしょ?」と想像するそのままの人です。
・深町健二郎
番組単位でもっとも共感性羞恥心を覚えたのは1999年にリニューアルされた、山本華世/中島浩二/武内裕之司会時代の「ドォーモ」で、これについてはココに詳しめに書きました。
しかしそれ以前、つまりリニューアル前の「ドォーモ」はまるで別の番組だったようで、この深町健二郎と、川上鴻一郎、村中ともみのトリオ司会でまあまあしっかりした番組だったらしい。
ただしアタシはこの時代のこの番組を見たことがない。だから深町健二郎についての知識も薄く、せいぜい「陣内孝則と仲が良い」くらいしか知りません。
・ケン坊田中(田中健二)/おたこぷー
何か今は本名名義になったみたいですが、ケン坊田中は「カンニング竹山の元々の相方」であり、そうした理由でごくごく稀に全国放送の番組に出ることがあります。
おたこぷーは「おたこ体操」で一世を風靡、いや福岡ローカルを風靡したらしいけど在住前なので詳細は知らない。
何でこのふたりをひとまとめで取り上げたかというと、アタシが福岡に移住して以降になるのですが、このふたりと鼎談方式のインタビューをしたことがあるのです。
これ、わりと面白い内容だったんだけど、誌面に載った書き起こしは相当つまらなかった。何故かって?それは、まあいいや。いろいろあったんですよ。
・今井雄太郎
ま、タレントっちゃ失礼というか、何しろ元阪急ブレーブスのエースでしたからね。ってもこの当時の今井雄太郎は「ナイトシャッフル」という番組でやたら酒を飲んでるタレントだったんだけど。
って実はこの人の話はすでに、ココにてかなり詳細に書いてます。かなり面白いので元阪急ブレーブスファンの方に是非読んでもらいたい。
☆ オマケ
・城島健司

1996年と言えばホークスが、親会社がダイエーに、本拠地が福岡に移転して、つまり「福岡ダイエーホークス」になって8年目、んで1999年にリーグ優勝を果たすわけですが、その3年前といった時期で、着々と戦力を整えつつあった頃です。
同時に「ホークスが福岡に根づき始めた」といっていい時期でもあり、とくに地元九州出身の城島健司には大きな期待がかけられていました。
城島はちゃんと大成し、メジャーリーガーにまでなったんだから、いや本当によく育てたと思う。んで今現在もホークスでCBOなる要職についてるわけですが、まさか阪神タイガースを経由するとはね。ほんと人の人生なんてわからん。
もちろんこれ以外にも華丸大吉などの、後に全国区になったタレントはいますが、ま、その辺は割愛。つか華丸大吉はローカルタレント時代に、ケン坊おたこ同様1時間くらいインタビューしたことがあるので思い入れはあるんだけどね。
んなわけで、やはりもうちょいね、シティ情報ふくおかを<杖>にして天神という街も掘っていきたい。で、シティ情報ふくおかはタウン誌なのでタウンマップのようなものも掲載されてます。

ただこれ、画像解像度が低いのよ。要するに文字が潰れて読めないのよ。もっと高画質なのが見たいんだけど、国会図書館に所蔵されていないのでとりあえずは見る手段がない。
記事もね、まァタウン誌あるあるだけど、掲載されている飲食店など居住して以降でさえほぼ行ったことがない。だから何も参考にもならない。
てことはやっぱり記憶でやんなきゃダメってことか。
そんなうっすいうっすい記憶を無理矢理まさぐってみたいのですが、これ、店名もそのままだったか記憶がないし、場所の詳細もわからなかったんだけど、さらに厳密には天神というよりは大名だったし、居住して以降の話だけど、とにかくゲームテックにはよく行ってた。
ここでミニテトリンの亜種とか、あと当時は馬鹿みたいに安かった中古のファミコンを買ってきて(たしか数百円レベルだった)、改造して遊んでたことをよく憶えてます。
いや居住して以降でさえこの程度の記憶しかない。というかね、1996年、ラジオ収録のために福岡に行った時は何しろ土地勘もないし、何にも憶えてない。「ひげ将軍」とか「テムジン」には行った記憶はあるけど、これらはチェーン店で天神付近の店舗だったかも定かではない。
中洲はね、たしかこのユニットと中洲にあるクラブ(踊る方じゃないクラブ)に飲みに行った記憶はあるんだけど、もうマジで場所がどこだったか何も憶えていない。
あとこれもはっきりした記憶じゃないんだけど、親不孝通りにあった店で「焼きラーメン」を食った記憶はあるけど場所はおろか店舗名すら特定出来ません。

そして、です。これまた詳細な場所も店舗名もわからないんだけど、1996年11月の収録時に、つまりアタシがビジュアル担当とご指名されたその日、親不孝通りにあったクラブ(こっちは踊る方)に行ったことだけははっきり記憶してる。
しかしここ、クラブといっても何だか昔のディスコのようで、どうにも古臭い。アタシは一切踊らず、メンバーのひとりと一緒に大型モニター(プロジェクターだったかもしれない)で流れていた「スピード」(キアヌ・リーブス主演の映画です念の為)を観てたことくらいしか憶えてない。
じゃあ他のメンバーが何してたかというと、ナンパに勤しんでいた。んで二人組をゲットしたんでドライブに行こうって話になったんです。
メンバー6人と女子ふたり。あ、大丈夫です。事件には発展しません。さらに8人乗りのワゴンなんで道路交通法違反でもない。
車内で、ふたりのうちのひとりの女子と隣になった。んでね、もうあきらかにその子がアタシに興味あるオーラを出してきててね。しかもアタシからしてもめちゃくちゃタイプだった。
その後、海に行ったんだけど、他のメンバーが気を利かせてくれてふたりきりになった。んでそこで・・・いやいや!この時点では「行け!稲中卓球部」で言えばせいぜい竹田と岩下くらいまでの関係だから!あと沖田浩之風に言ったらCには行ってないから!!
あ、リーダーが言ってたことは本当だった・・・
とりあえずその日は「12月にまた来るから」と告げて、連絡先だけ交換して終わり。って何しろ時代は1996年ですからね。LINEはおろかメールすらない、いや誰しもがケータイを持ってる時代じゃなかった。
ただしアタシは持ってた。いやPage3で書いたようにアタシもカネのない若者だったけど何故か持ってた。んで当時使ってた機種はソニーの「SO101」つての。

いわゆる「クルクルピッピ!」ってヤツで、今考えてもジョグダイヤルは使いやすかったな。その後もソニーのケータイを使ってたけど、どんどんジョグダイヤルの品質が悪くなってさ、ま、それはいいや。
とにかく女子の方はケータイを持ってなかったので、連絡先交換と言っても一方的にこちらの番号を教えただけ。向こうが継続を望まなければこれで終わりです。
幸いにも向こうから連絡が来た。12月に会えるのを楽しみにしてる、と。
おいおい、早くも現地妻確保か?
待ちに待った12月の収録日がやってきました。
いやその前から書かなきゃダメか。11月の収録終了後、ラジオブースのあるソラリアプラザの許可が取れたんで、12月の収録はブース前から完全に公開形式でやりませんか?と打診された。
いつもならっつーか10月11月の収録時は生歌唱の時間はせいぜい10分程度。しかし12月収録にかんしては2時間番組のうち、前半1時間は通常通りで後半1時間がブース前で、ライブで歌うということになった。
さすがに1時間ぶっ通しで歌うとなったら手持ちの持ち歌では足りない。だからメンバーが以前作った曲を出し合って、たしか15曲くらいは歌ったはずです。
そのうちの一曲は完全にアタシのソロで、いやぁ、これは恥ずかしかった。しかも現地妻候補も観に来てくれていたので、ヤバいと思いつつ何とか歌詞も飛ばさず歌い終えることが出来ました。
ただしこの時はあくまでメンバーと同一行動だったので現地妻候補ともあまり話は出来ず、ヒロくんが言うところのCまで行ったのは1996年の年末だった。この時はラジオ収録関係なく、つまり自分の意思で初めて福岡くんだりまで行った。そう、CだよCのためだよ!ありがとう沖田浩之!フォーエバーヒロくん!!
って結局、この子は現地妻にはならなかった。というか接していくほどにもう純粋にひとりの女性として好きになっていった。だからこの現地妻候補と、Page3で書いた「もののけ姫」を観に行った元カノは同一人物です。
もちろんこの子との出会いはきわめて大きい。最終的には別れることになったとは言え、もしこの子の存在がなければ絶対に福岡には移住してなかったんだから。となったら次郎丸さんともタナカさんとも出会えてなかったんだから。
これで終われば、本当にメデタシメデタシなんだけど、そうは行かない。というか、そりゃひとりの女性と巡り会えたことは良きことだし、ラジオ収録も上手く行ったのも目出度いことです。
しかし当時のアタシの最大の目標、というか<夢>は、この音楽ユニットを大々的にメディアに乗せて、ゆくゆくは「レゲエ版ドリフターズ」にすることだったんだから。
てな感じでPage5に続く。
